mixiユーザー(id:24322169)

2015年04月14日11:43

351 view

book『家族のスケッチ』(今井美沙子)

今井美沙子著『家族のスケッチ/五島福江新栄町』(ドン・ボスコ社)を読んだ。児童文学の本だ。実は今井美沙子さんは知らなかったのだが、和歌山の友人にこの本を教えてもらった。彼はこの本に私が調べている「1950年代の靖国神社遺児参拝」に関わるものがあるとPDFにして送ってくれたのだ。それを読んで触発され、ぜひ元の本を読みたくなり、アマゾンで注文し、取り寄せた訳だ。そのなかに「戦争はすかん」という1編があった。隣家の六年生の好子さんが靖国神社遺児参拝に参加することになり、男でも同じ町内のせいちゃんが行くという。それで新栄町の子どもたちは大騒ぎになる。昭和30年代(1950年代後半)に長崎県の五島から海を渡り、遠い東京へ行くということは、「ああ、好子ちゃんやせいちゃんが羨ましかあ」ことであり、この主人公のミンコも「羨ましい」ひとりであった。この段で、私の中学校3年生時の靖国神社参拝の際には気がつかなかったことだが、当時の同級生に対して「羨ましく」感じさせたことだろうと認識した。50年代の遺児参拝では、参拝する遺児にこのような形で「選ばれた」意識(選良意識)を持たせ、もし再軍備にいたれば「戦死した父」に続いて銃を持たせようとする狙いがあったことを想起させられた。同世代の子どもたちへの加害性もここに感じた。この後、家族のなかで「おりゃぁ羨ましいかぁ!」というミンコの考えが話題になり、「ミンコ、好子さんが東京へ行けるとは戦争でとうちゃが死んだからじゃろ。そうしたら考 えてみい。ミンコがもし、東京へ代表で行けるとたら?靖国神社に行けるということは、とうちゃんが戦争で死んだっちいうことぞ!」と姉に諭される。ミンコは鉄の棒で頭をなぐられたよう気持ちになって、ことの本質に気づく。 さらに参拝から帰って来た好子さんに「東京へ行ったばってん、ちっとも嬉しかったことはなかったよ。靖国神社に行って、生きたとうちゃんに会えたらよかったばってん、影も形もなかとじゃもん、いくら、先生に、ここにお父さんがまつられてますって説明されても、おりゃぁ納得せん」と聞かされる。実に鮮やかにその時代の靖国参拝に関わる様を写しとり、当時の私自身の心象風景をも想像させられる文章だった。『家族のスケッチ』は昭和30年代の長崎県五島福江地方の貧しくとも「人々のあたたかい心が充満していた」生活が生き生きと描かれ、また家族に生活の核にカソリックの信仰が息づいていることが活写される実に感動的な本だった。この本に続けて読んでいる同著者の『めだかの列島』(筑摩書房)とともにあらためて感想をまとめたいと思う。
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する