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2019年10月06日00:51

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総論23「高松城の水責め」合戦考証83

○防備の足りない城は、乗り崩されます。防備を固めていても、干し殺しをくらえば、最終的には落ちることになります。どちらにしても、城は「落ちる」しかないのです。それがわかっていてもなお、城将が「籠城を選択する」のは、味方の軍勢が「来援すること」を前提にしているからです。城を攻める側が「長期間の干し殺し」をしようにも、出てきた支援軍に「野戦衝突」で蹴散らされてしまえば、それ以上の干し殺しはできずに「敗走する」んですから、籠城戦は終了します。よって、「城は落ちるものでしかないのに、なぜ籠城するのか?」の答えは、「支援軍が来てくれるので、長期間の干し殺しをされることはない」。

○天正九年の「家康の高天神城攻め」と「秀吉の鳥取城攻め」は、干し殺しの果てに「落城した」例となりますが、これらの事例によって、籠城軍に「味方は来ない」ほうが通例であり、たまには「味方が来る」例外もあるという「反対の解釈」をしてきちゃったんですね。すると当然「家康は、かつて武田に奪われた高天神城を、取り返すことが目的だった」という解釈になるし、「秀吉は、かつえ殺しの計略で、鳥取城を落とすことが目的だった」の解釈になるわけです。そうすると、家康も秀吉も「あえて干し殺しをしている」ことに気づきませんよね?

○しかし「天正九年」なんです。「鉄砲の時代」なんです。城を落とすことが目的の場合、わざわざ四ヵ月の月日をかけるくらいなら、仕寄をかければ早いはずなのに、城の攻め方ひとつを取っても「乗り込んで攻め落とす」のが通例で、たまには「乗り込まない」例外もあるという「反対の解釈」をしてきたでしょう?

○高天神城も、鳥取城も、当然「支援が来ること」を前提に「籠城している」わけですが、この時期であれば、支援軍が来る前に「仕寄で落とされた」ら、たまりません。よって「敵の織田軍は、我らの背後にいる支援軍のほうこそを狙っている」という「判断」があったから、籠城の決断をしていることになるはずなんです。ということは、武田軍の側でも、毛利軍の側でも「織田軍が決戦を望んでいる」点に、気づいていたことになりますよね?「気づいた」からこそ、配下の城が籠城したのであって、気づいてもいないなら、城は「仕寄を恐れて、逃げ出す」はずなんですよ。そして「気づいた」からには無論のこと、信長の行動の中に、気づくキッカケとなった「何か」があるんです。その「何か」を史料の中から見つければ、それが「答え」となります。すなわち「天正何年の何をしたときから、信長は、武田や毛利と全面決戦を計画していた」と「判明する」ってこと。

○武田に関して言えば、対応していたのが家康であるため、『信長公記』には記述がないんですね。一応は『徳川実紀』も読みましたが、残念ながら「東照宮御実紀」は創作物に等しいので、ヒントも見つかりませんでした。しかし毛利は秀吉の対応ですから、『信長公記』にも些少の記述はありまして、八年中の「秀吉の行動」から「判断可能」となりそうな事象があるんです。こういうことをされたなら、もちろん毛利の側も「信長の決戦想定」を察知しただろうと思える行動。

○だとしても、結果的には武田も毛利も「支援の出陣がなかった」ことで、城が落ちているわけですよね?「なぜ出陣しなかったのか?」について、気にはなりますけども、武田のことを書いた『甲陽軍鑑』も、毛利のことを書いた『陰徳太平記』も、史料記述の信頼性は低いんです。しょせんは「反対の解釈」で書いているシロモノですからね。よって、この問題も今は保留としたうえで、ハッキリと史料記述のある話にシフトしましょう。翌年に、秀吉は再び動きましたよね?

●『信長公記』巻十五
「中国備中へ羽柴筑前守相働き、すくも塚の城あらあらと取寄り、攻落し、数多討捕り、並ゑつたが城へ又取懸け候処、降参申し罷退き、高松の城へ一所に楯籠るなり。又高松へ取詰め、見下墨、くも津川、ゑつた川両河を関切り、水を堪へ、水攻めに申付けられ候。芸州より毛利、吉川、小早川人数引率し対陣なり」

○「備中高松城の水責め」ですね?「河を関切り、水攻めに申付」と文章にありますし、毛利軍が「人数を引率し、対陣」と書いてあります。つまり「反対の解釈」なら、たまに「城へ乗り込みをかけないこともある」例外で、たまに「敵城に味方が出てくることもある」例外でもあるうえ、「河をせき止めて、水攻めにする」という特殊なことまでする「例外中の例外」に思えるでしょうね。けれども「乗り込まない」ほうが通例で、籠城軍には「支援軍が来る」のが通例という理解なら、このときの秀吉は「まったく通例どおりのことをしている」だけの話なんですよ?「高松城を落とさずに、わざと干し殺しにして、敵の支援軍が出てくるのを待っていたら、いよいよ支援軍が出てきました」という状態です。ただし「水攻め」という「普通じゃないこと」が一つだけ。この意味に気づきます?

○合戦研究をする歴史学者たち、歴史家たち、今まで誰ひとりとして、ここに気づくことがなかったみたいですね。私は十年も前に気がついて、作品の中で書いてますけどね。無論そのときは、推論に基づく「仮説」にすぎませんでしたが。
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