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2018年10月14日02:10

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本史関ヶ原131「秀秋は敵か味方か」

○ついにクライマックスですね。決戦当日の九月十五日、関東側が関ヶ原へ進出した際の状況です。十四日に交わした誓詞によって、寝返ることになっていた小早川秀秋。ところが翌日、関東側が関ヶ原へ出てみると、小早川軍は「大坂側の一員」のように、ちゃっかり「山中に布陣していた」わけですね。これを見た関東側は、「秀秋め。約束を破ったな」と思うのが自然なのではないでしょうか。

○では、この点を「定着している展開」と比較してみましょう。私が作ってきた展開とは、二つの「設定」が違っています。「定着している展開」なら、秀秋は十四日も十五日も「同じく松尾山の山頂のあるほうに布陣していた」です。動いてないわけですね。加えて石田たちは、十四日は「大垣城にいた」ですよね。すなわち「秀秋がいる場所」へ「石田たち西軍が、あとから来る」ということ。それつまり「東軍が関ヶ原へ向かうのを、西軍が先回りして、東軍の前へ出る」というときに、さらに「その前にいたのが秀秋」ってことじゃないですか。なのに秀秋は「進出してきた西軍」を攻撃してないんです。なぜでしょうか?

○「攻めない合戦」を主張している私の理解なら、松尾山という「高台に布陣している」秀秋が、わざわざ山を下りて攻撃に行くことは、ないんです。西軍が進んでくるのを、正面から攻撃することは、ないんです。少数の兵力で、大軍に向かって攻撃することは、ないんです。けれども、これらの全部が「普通にあること」になっている「攻める合戦」で解釈しているならば、早暁に「関ヶ原に布陣していく」段階で、東軍は「秀秋め、西軍に攻撃もしやがらない。寝返りをやめやがったな」というふうに「思うはずだ」と解釈するべきじゃないんですか?

○「定着している展開」で、まず「おかしい」のが、この点です。西軍が出てきたとき、なぜ秀秋は戦わなかったのか。するとほら、通俗的には「夜明けすぎまで濃霧だった」と言われていますよね?「なるほど、だから秀秋は攻撃できなかったんだな」と考えることになるんでしょう。きっと東軍も、そう思ったんでしょう。ならば秀秋は、この段階では「寝返る約束を破ってない」となりません?

○次に、戦闘が始まります。すると秀秋は、両軍が激しく戦う中で、動かないんです。これを見た東軍は、どう思うんでしょう?「やはり秀秋は、こちらに寝返ってくれる気だな?」と思うのか、それとも「おや、秀秋が動かないぞ。西軍を攻撃しないとは、寝返る約束を破る気なのか?」と思うのか、どっちでしょう?

○「攻める合戦」なのですから、吉川たちが南宮山で動かずに「東軍を攻撃しなかった」というだけで、「吉川は西軍を裏切った」と解釈されています。だったら秀秋が「松尾山から動かず、東軍を攻撃しなかった」ことで、立派に「西軍を裏切った」ことになりそうです。それとも「西軍を攻撃しないと、東軍に寝返ったことにならない」というのでしょうか。それなら、この状況を石田の立場で見てみましょうよ。朝は素振りも見せなかった秀秋が、いざ戦闘になると、軍令を無視して「東軍を攻撃しない」んです。これって「離反」じゃないんですか?

○不思議ですね?「攻めない合戦」で私が作った展開だと、戦闘前に「秀秋は寝返る約束を破った」と見えるんです。一方で「攻める合戦」の「定着している展開」をよく考えてみると、戦闘開始後の秀秋は「明らかに西軍を離反している」んです。しかも秀秋は「東軍が劣勢になると、ちゃんと味方してくれて、逆転勝利をもたらしてくれた」という「結果」じゃないですか。これでどうして「優柔不断に迷っていた秀秋」という話が出てくるんでしょうね。変だと思いません?

○では、試しに「濃霧」の話をカットしてみましょうか。すると秀秋が「出てきた西軍を攻撃しない」のですから、東軍は「秀秋め。寝返る約束を破ったな」の理解になりますね。しかし戦闘が始まってみると「秀秋は動かない」ので、「おや、寝返る気があるのかな?」と理解が反転します。けれど「東軍が劣勢になってきても、秀秋は動かない」のですから、ここで東軍は「ちくしょう、秀秋め、どっちにつくかを迷ってやがったのか」と正しく理解して、苦しまぎれに「鉄砲を撃って催促する」と、途端に「慌てた秀秋が西軍を攻撃する」という次第。つまり秀秋は「最初から迷い続けていた」わけですよ。「寝返りを約束しちゃったけど、どうしよう」と思いながら、朝はなしくずしに、出てきた西軍を受け入れちゃう。それで「寝返りをやめた」わけでもなく、戦闘中も「どうしよう」と迷うばかり。だのに東軍の側では、それを正しく見抜けなくて、理解が二転三転するんです。ところどころに強引な展開が見えますけども、一応こんな感じかな?

○ところが、文学には「視点規則」というのがありまして、この規則を無視すると、「主人公の理解」は「常に正しい」ことになるんですよ。つまり「秀秋は迷っている」のに「主人公の理解が二転三転する」なんてのは、ありえないことになるんです。よって「朝は秀秋が西軍を受け入れた」のを見て、主人公は「寝返ったのか。寝返ってないのか」と判断に迷うし、秀秋のほうでも「寝返ろうか。寝返るのをやめようか」と決断を迷っていることになるんです。主人公と、相手キャラの思考は常に一致するんですよ。そういうふうに作られているってこと。

○というわけで、どうやら「定着している展開」は、「寝返りを迷っていた」の設定が先にあって、そこに合わせて展開が作られたっぽいんですね。「結果に合わせて作る」と、どこかに必ず「ひずみ」が生じてしまうもの。ちなみに「催促の鉄砲」については、歴史学でも三十年ほど以前から「否定する声」が出ているのですが、この「催促」をカットすると、秀秋のほうが「劣勢になった東軍を見て、積極的に助けてあげた」に意味が変わってしまうんです。歴史小説や時代劇では今もなお「催促の鉄砲」を採用していまして、それを「史実ではない」と批判する歴史家もいますけど、変えるなら、展開を「全面的に変更」しないと、ストーリーが成立しなくなるんですよ。とはいえ「催促の鉄砲」については、「状況的にも物理的にもありえない」と言う歴史家に、私は賛成ですけどね。
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