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日記一覧

 後になって考えればまったく怖いくないことが、その場では、ものすごく怖かったということがある。いくつかある。 その沼にはいろいろな因縁があるので、オカルト取材は避けていた。しかし、オカルト雑誌を作っていれば、いつか行くことになるところの千葉

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 夢を見ていた。夢の中で筆者はテレビを見ていた。テレビでニュースを見ていたのだ。ニュースは、高校生が肝試し中の事故で川に流されたというものだった。そこはホラースポットとして有名な場所で、高校生たちは深夜にバイク数台で河原に集まり、肝試しとし

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 オカルト取材中はどんなに怖いと思っても逃げてはいけない。これはオカルト取材をしていた者たちの共通の認識だった。恐怖で逃げることほど危険なことはないのだ。たいていの事故は、この逃走中に起きるのだ。車を使って逃げるなどは最悪なのだ。怖ければ怖

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人形その4 階下に降りると、そこは電気がつけられていて、明るかった。姉妹もパジャマのまま出て来ていた。家族は一階のそれぞれの部屋で寝ていたようだった。まだ、ワンピースにエプロンを付けたままの母親は低い階段を降りたところにある風呂場の前にいて

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人形その3 ファミレスで原稿を書く予定がそのまま眠り、日帰り温泉の開いている時間を過ぎてしまった。あわてて予定の温泉に移動し、温泉に入り、休憩室で原稿を書くつもりが、そこでも眠ってしまった。 幸い、二件のインタビュー記事は予定通りにとれた。

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人形その2 オカルト雑誌には、調査の依頼が多く入る。オカルトの編集者や記者と霊媒師とは無関係なのだが、読者には同じように見えるらしいのだ。実際、どちらも兼ねているような人たちもいた。筆者の勝手な想像なのだが、霊媒師を兼ねているような人たちの

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 オカルト雑誌には、調査の依頼が多く入る。オカルトの編集者や記者と霊媒師とは無関係なのだが、読者には同じように見えるらしいのだ。実際、どちらも兼ねているような人たちもいた。筆者の勝手な想像なのだが、霊媒師を兼ねているような人たちの雑誌のほう

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 その時には、本当に、膝から崩れ落ちて動けないと思うほどに怖かったことが、後から考えると、自分にさえその怖さが分からないということがある。後から考えた自分に怖さが分からないのだから、それを読む人には、いっそう怖さが分からないはずだ。しかし、

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 オカルト雑誌は心霊写真競争になっていたようなところがあった。巻頭部分にどれだけ怖い写真を掲載出来るかで売り上げが変わったからだ。筆者たちはオカルト現場の取材をする一方で、この心霊写真なるものも捏造していた。筆者にとっては、オカルトはただの

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 事件記者をやっていたというカメラマンとの取材になった。幾多の修羅場を潜り抜けたカメラマンというのは、本当に胆がすわっているものなのだ。オカルト現場で筆者たちが怯えるところの暴走族や野犬に対して怯える様子がいっさいない。当然だが、闇も、霊も

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 深夜の廃校という企画で取材をしていた。男性カメラマンと二人。運転は彼、車も彼のものだった。オカルト取材では、何故かここが問題になる。不思議なのだが、運転している者が車の持ち主である場合のほうが、そうでない場合よりも安全なような気がするのだ

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 どうして、大人たちは遊べなくなってしまったのか。マナーがいいわけでもないのに、決められたことには従う。不思議な大人たちになってしまったのはどうしてなのだろうか。どこかの国の貴族のように、常にきちんとして上品で、音楽もクラシックしか楽しまな

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 どんなに楽しいことも、つまらなくしてしまう。そして、嫌なこと辛いことにしてしまう。学校というものは、悲惨を作る巧を教える機関なのかもしれない。思えば、筆者は学校で食べることも嫌いになった。お弁当の時間など最悪だった。どうして、貧乏人の子供

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 深夜のファミレスで何に襲われたら怖いかについて考えることがある。何も書けないスランプのときには、特に、そうしたことを考えるのだ。怖いのは刃物、ホークも怖い。しかし、刃物は少ない。ファミレスなので、寿司店ほどの切れ味とも考え難い。テーブルは

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 筆者は学校が嫌いな子供たちに、学校の何がもっとも嫌だったかを尋ねるのが好きなのだ。これは、もう、一つの趣味なのだ。学校が嫌いな理由はいろいろある。面白い理由もあるのだが、それは、いつか別のチャンスに書くとして、今回は、もっとも多い理由を一

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 パロディは楽しい遊びの一つだった。 子供たちは何でもパロディにしてしまう。家庭のパロディとしてのままごと、お店ごっこ、子育てごっこ、人形を使って大人のパロディ、スポーツも戦争までをもパロディにしてしまう。 SМも、そうした遊びなのだと筆者

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 娯楽小説を読んで、どうやってお勉強をしようとしたのか分からないのだが、中学生の頃の夏休みの課題図書の中には、ずいぶんと娯楽小説が入っていた。教科書に掲載されている小説も、これで何をお勉強させるつもりなのかと疑問を持たされるものがあった。そ

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文章実験室課題小説
2018年07月13日15:29

 また、やってしまった。酔った勢いで深夜に通信販売で、たいして欲しくもない物を買ってしまう。いけない癖だと思いながら、止められないのだ。もはや病気かもしれない。 料理もしないのに包丁は二十数本ある。毛布、布団のたぐいもある。高級食料品が冷蔵

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 集団を前に感性を鍛えようとする行為に筆者は失笑してしまう。人間はマシーンではないから、同じように感性を鍛えることなど出来るはずがないのだ。集団で鍛えられるのは感性ではなく技術だけなのだ。 たとえば、集団でやるスポーツがある。サッカーやバス

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文章実験室課題小説
2018年07月12日16:00

 エロDVDを購入したことなどない。別にエロライフが充実しているというわけではない。しかし、ああしたもので性を満足させようということに興味がないのだ。昔から、エロ写真とかエロ映像で性を満足させようと思ったことがなかったのだ。 しかし、新聞紙

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 スポーツというものは、やるから楽しいのではないだろうか。野球でも、サッカーでも、格闘技でも、陸上競技でも、体操やフィギュアスケートでさえ、やってみるから楽しいのではないだろうか。それは競技としてしか楽しくないということではない。たとえば、

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 今の小中学校にも、読書感想文という課題はあるのだろうか。課題ではなく宿題なのだろうか。そして、今でも、それは原稿用紙五枚なのだろうか。 原稿用紙五枚というのは、どんな理由によって決められたものなのだろうか。何か整合性があるのだろうか。同じ

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 食べることを遊びにすることは出来る。しかし、最近の人はこれを遊びにするのが下手になっている。下手なのは、サイトなどのグルメ記事を読めばすぐに分かる。何をやっているのか。 まず、美味しい物を見つけると、その店に行く、そこで、その店の場所を書

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 遊びというものの定義は難しい。ぼんやりと雨の竹林を眺めることも遊びなのだ。芝居を観に行くときに、遊びに行くと言っても間違いではない。映画を観ることだって遊びと言えば遊びなのである。お酒を飲みに行くことも遊びなのだ。毎日、お酒ばかり飲んでい

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 さて、少し大きなものを書いてしまったので、ここからは、いつものエッセイで繋ぐところなのだが。 これもいつも書くことだが、筆者が何を食べたとか、どこに行ったとか、何の映画を観たということに興味がある人もいないことだろう。もし、筆者のそうした

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鹿鳴館ラジオのための小説 どうして別れたいのか、その理由を説明してくれと貴方は言うわけですが、その理由を説明してもらえると、そう信じて疑わない貴方と私は一緒に、やって行けないんです。別れることには理由がある、あって当然だと貴方は思うのでしょ

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 鹿鳴館サロンで行うイベントと鹿鳴館サロンの作品発表の場となるであろう鹿月舎の出版物は、まったく別のものである。サロンの中は非公開の場である。筆者は、非公開の場でも、なお、ワイセツや差別的表現などを規制することは間違いだと考えている。差別用

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 文学というものが感性のものだと考えている人がいる。官能文学ということになれば、より、いっそう感性が優先されているものだと考えている人がいる。しかし、筆者はそう考えてはいない。文学というものは優れて科学的なものだと考えている。全てのことが証

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 正義感があり、社交性があり、堂々としている人は、そうでない人よりも差別用語に寛容であると筆者は感じている。たいした根拠があるわけではない。そんなふうに感じているという程度のことである。 しかし、筆者は差別用語に対しては、かなり神経を使って

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 こんなことがあった。 SМ雑誌編集部に、寄付とボランティアの誘いがあったのだ。筆者は拒んだ。しかし、それは非道だと批難された。SМ雑誌など作っているのだから、そうしたものには協力しておくべきなのだ、と、そう言われたのだ。しかし、SМ雑誌と

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