意外と書いてこなかったものに花というのもある。花を伏線に、と、そうしたことを、よく言っているし、小説の中の花の伏線に感心させられたり、憤ったりもしているのに、自分はそれを使わない。いや、使えないのだ。風俗店との付き合いが深かったので、花を
思い出の地に一人で赴くというのは、よくやっている企画なのだが、そこで対談を行うというのはどうだろうか。もちろん、そんな酔狂な企画につきあってくれる人もいないので、対談の相手は、もし、その人がそこにいたら、きっと、こんなことを言うだろうとい
そういえば筆者は編集者に対して「どうして編集者になったのか」と、尋ねるが好きだった。同じ質問をカメラマンにも作家にもデザイナーにもしない。その質問の回答が面白いのは編集者だけだったからだ。 編集者の多くは作家になれなかったので編集者になっ
サロンのイベントにはそれを維持する理由があった。決して忘れてはいけない理由だった。しかし、そうした理由はどうしても忘れ去られてしまう、あるいは捻じ曲げられてしまうものなのだ。 たとえば、プレゼント文庫は、もうなくなった。理由はかんたんだ。
そういえば、筆者は普通のエロについては、あまり書いて来なかった。それについて何か理由があったわけではない。そこで「裸について知っている、いくつかのこと」という企画はどうだろうか。女、男、どちらの裸も本当によく見て来た。女なら、痩せている、
編集者は企画に悩む。 編集者は企画に悩むものなのだ。企画を作るものでも、企画を実現させるものでもなく、ただ、企画に悩むのが編集者というものなのだ。その理由は、かんたんなのだ。読み手が企画に飽きてしまうからなのだ。たいていの読み手は犬や猫で
たくさんの編集者とかかわり、たくさんのことを学ばせてもらったものだ。文章の書き方、企画の立て方、企画書の作り方、見積もりの出し方、経費の精算の仕方、原稿依頼の仕方、謝罪の仕方、ケンカの仕方、逃げ方、遊び方もセックスも、本当にいろいろなこと
テレビのディレクターやプロデューサーが編集者になる話は珍しくなかった。しかし、筆者の知識が足りないだけなのかもしれないが、その逆の話を筆者は知らない。ただ、一人、彼女を除いては。「好きな音楽を持つことは大事なのよ。でも、同じぐらいに嫌いな
外人部隊に所属していたと言う男。それが嘘か本当かは分からなかった。ただ、その男が命知らずだったことはだけは確かだった。大手の出版社に所属し、そこで戦争や軍備やテロに関する記事のみを編集していた。しかし、これも、嘘か本当か分からなかった。男
西荻久保は決して便利な駅ではなかった。荻久保は大きく、喫茶店にも飲み屋にも不自由することがなかった。ところが、一つ離れた西荻久保は、けっこうローカルだった。しかし、少ない喫茶店も飲み屋も、どこかお洒落で面白かった。 その西荻久保が好きだっ
その男はいつも池袋にいた。池袋の東口をサンシャインに向かってやや左に外れた通りの地味な店で酒を飲む。池袋で飲む理由は二十四時間の喫茶店があるからだということだった。夜の九時ぐらいから居酒屋で飲みはじめ、十二時を過ぎた頃にはショットバーで飲
新宿のホテルの最上階にあるラウンジ。夜景を見ながらお酒を飲む。席は窓に向かって二人掛け。同じ女性編集者と前回は新宿の地下二階にあるパブでお酒を飲んだ。「いつも同じところにしか行かない人は編集者には向いていないのよ。編集者だけじゃなくて、そ
高田馬場は不思議な駅だった。大学、予備校、学生の街というのに、結婚式場があったりスケートリンクがあったりした。駅前には大きなゲームセンターがあり、早稲田通りは小さな通りではないのに、その通りを挟んだ商店街のようなものがあった。その早稲田通
東横線の神泉という駅だったと思うが記憶は定かではない。渋谷のSМクラブの取材の後に、その店にはよく行っていた。渋谷で取材し、そこから歩くか、あるいは、神泉の駅から歩く。どちらにしても近くはなかったように記憶している。 不思議な店だった。洋
彼が東武練馬に住んでいた理由は、そこにカントリーウエスタン系のショットバーがあったからだった。ウエスタンというものは筆者にとっては西部劇とイコールで、他のイメージはなかった。「カントリーは音楽だろうが」 それは分かる。映画の西部劇で使われ
「ケーキにコーヒーで打ち合わせするつもりなら他の出版社に行って」 そう言って誘うのが夕方の四時ぐらいなのだ。ここから飲みはじめる。四時は一杯飲み屋のようなところ。そこで五時か六時ぐらいまで飲む。ここでは打ち合わせはしない。近況報告だけをする
横浜元町は今よりも、ずっとローカルだった。どの店がなくなり、どの店が新しいというのではない。商店街の規模がどうとかという問題でもない。書き表そうとすると何も変わっていないようにも思う。しかし、ローカルだったのだ。メインの商店街を少し外れる
いろいろ考えた結果「酒と駅と編集者」というタイトルの企画にすることにした。タイトルにあるのは、酒と駅だが、喫茶店や音楽や映画なども含めたい。もしかしたら、喫茶店と編集者でもよかったのかもしれないが、その分、この企画は、十二話で終わりにする
「愚痴る編集者」というタイトルの企画はどうだろうか。 メジャー・マイナーを問わず、何しろ編集者というものは愚痴をこぼす。愚痴にはいろいろある。作家が思い通り書いてくれない、製作費がとれない、原稿が遅れている、思った以上に修正に時間がかかりそ
「その人が食べていたもの」というタイトルの企画はどうだろうか。編集者というものは、食べることに拘る者ばかりだった。美味しい店。雰囲気の良い店。愉快な店。拘りの食材の店。ゲテモノ料理の店。 彼らは忙しくなれば毎日会社で店屋物となる。ある出版社
「嘘つきは編集者にしかなれない」というタイトルで編集者たちの嘘について書いて行くというのも面白い。何しろ編集者は嘘つきなのだ。筆者は編集長時代に、製作予算を百万円近くオーバーして、社長室に呼び出されたことがあった。その社長室に別の要件で、た
「船はいつでも山の上」というタイトルはどうだろうか。これは「船頭多くして船山を登る」というものの編集者篇というわけだ。やりたいのは編集会議でのことを書くということ。そもそも、編集会議とは、たいていが出鱈目だった。オカルト雑誌の編集会議ではエ
たくさんの編集者たちに出会い仕事をして来た。若い頃には年長の編集者の全てが怖かった。そして、多くの編集者たちにバカにされ、叱られ、励まされて来た。そんな編集者たちを通して雑誌とは何か、書籍とは何か、小説とは何か、そして、エロとは何かについ
十七歳のとき、ある雑誌の投稿をきっかけにエロ雑誌業界に入った。エロというよりも、マニアというよりも、金儲けが好きな危ない大人たちばかりがいるのに驚き、落胆し、それでも、マニア雑誌の復刊を望んで孤軍奮闘した。どうして孤軍奮闘になったのかと言
「そんな身体してたんだあ」 西洋のお姫様かあるいはラブホテル出張の風俗嬢しか入らないような豪華なバスタブに身を沈めながら、その女は言った。そんな身体も何も、彼女はすでに筆者の何もかもを知っているはずだった。肉体関係はない。特別な関係はいっさ
ウインドウショッピングなどという言葉は知らなかった。筆者はその頃はまで、一人でデパートなどをうろうろすることが苦手だった。買い物は目的の店まで一直線で行き、そこで買ったら駅まで一直線にもどるようなところがあったのだ。ウインドウを眺めながら
その時、彼女は五十三歳だった。そして、その時の自分が何歳だったのか、それは覚えていないのだから不思議なものである。仕事の内容から二十代ではなかったと思うが三十歳の後半まではいっていなかったと思われる。不確かなのだ。 元はハードなМ女だった
エロは差別との闘いであるというのは筆者の信念なのだ。エロは少し横道に逸れただけで醜い差別といじめの世界になるのだ。そして、そこにエロを落ち込ませてしまう人にかぎって善人の顔をし良言を吐くのだ。エロを表現する者も、エロを生業とする者も、常に