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日記一覧

 書けないことを理由に何を書いてもいいというものではない。書けないときにも節度は持つべきなのだ。筆者は書けるときでも、常に節度を持って書いている。他人の悪口のようなものは基本的に書かないようにしているし、他人をバカにするようなものは原則とし

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 自慢話を書くことには抵抗があるが、筆者はマスターの称号を持っている。無駄遣いマスターなのだ。 無駄遣いをかんたんに考えてはいけない。筆者は必要な物を必要以上に買うが、そんなものは無駄遣いとは言えない。車の中にペットボトルのお茶を置いている

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 環境が影響しているのか年齢に問題があるのか、なかなかスランプを抜けることが出来ない。このまま、何も書けなくなるのではないかと不安になる。不安になると、より、書き難くなる。 そういえば、筆者は、問題の解決に、その原因の追究ということをしてこ

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 さて、何をしても書く気力が充実してこないということもある。想像以上に大きなストレスがかかり、集中力が回復出来ないということがあるものなのだ。 スランプを抜け出すための、あらゆる方策が通じない。 そんなときには、筆者は、もう、何も考えずに歩

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 子供の頃から一人でしている遊びがある。子供の頃は名を付けていなかったが、いつの頃からか、その遊びに名前を付けていた。遊びの名は「でたらめな台詞」というものだ。 何のひねりもない、そのまま遊びの内容を語ったようなネーミングだ。センスがない。

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 書けないときというのは、拘りのようなものも喪失していることがある。拘りのない人は書くことに向いていない。逆に言えば、拘りの強い人は書くことに向いているのだ。 よく、作家のグルメ話、作家の拘りのスイーツやコーヒー、そして、もちろんお酒の話を

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 人間というのは我慢が苦手な動物のようだ。もしかしたら筆者だけかもしれない。しかし、筆者も人間なので、筆者が苦手なのだから、多くの人間は我慢が苦手だと思っても、そう外れてはいないだろう。 さて、スランプというのは面白いもので、何の前ぶれもな

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 書けないことは読めないことに比例している。書けなくなると、不思議と読むことも困難になる。別に文字が読めなくなるのではない。読み続ける集中力が失われるのだ。集中力がなくなったのだから仕方ない、今は、読書どころではないのだ、と、そう判断するの

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 設計図もなしに家を建てる大工さんは嫌だ。レシピを知らないままに料理をするシェフも嫌だ。しかし、一流の大工さんなら犬小屋ぐらいなら設計図は必要としないし、慣れたシェフは日々の料理ならレシピを必要としないことだろう。それは、設計図やレシピが頭

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 日本の国語教育の影響だろうか。書くことは学問に似ていると考えている人が日本人には多いような気がする。欧米人にはそれが少ないのかどうかは知らない。 書くことは学問ではない。他人の書いた作品に採点をするなど、これほど無粋なことはないし、そこに

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 文章を書くということは、写真を撮影するということではなく絵を描くことに近い、と、筆者は思っている。ただし、近年のSNSは、むしろ、絵ではなく写真に近い。もっとも、そのカメラのレンズはものすごくミクロだったりはするのだが。 さて、たとえば、

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 書く気力がない。気力というのは、力なので、これがないのに無理に書こうとすれば、ますます書くことが嫌になる。たとえば、疲労困憊のときに、さてマラソンでもするか、と、そんな人はいないはずだ。二日酔いで寝不足だから遠泳に出よう、と、そんな人は多

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 ものを書くような人は、自惚れと傲慢さを持ち合わせていなければならない。他人の書いたものに完全に満足しているような人は、書く必要を感じていないからなのだ。どんなに有名な作品だろうと、それが世界的な作家の作品であろうと、どこかで、自分なら、も

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 書けないときというのは面白いものなのだ。何しろ、ほんの数時間前までは書きたいことが山ほどあったのに、一瞬で消し飛ぶのだから。まるで思い出せない夢のように、そこにあったはずなのに、それが何だったのかを思い出せなくなるのだ。いい夢を見た朝に、

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 何年かぶりかで書けなくなった。ようするにスランプなのだ。これだけ世情が落ち着かないのだから、集中力が欠落してしまっても仕方ないことなのかもしれない。そもそも、世情と同じように自身の運命も落ち着かないのだから書くどころではないのかもしれない

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 鹿鳴館のサイトには、窓だけをテーマとした小説のコーナーがある。窓が好きだったのだ。窓の内側から外の世界を見ているのも好きだったが、外の世界にいて窓の内側を想像していることも好きだった。特に二階より上にある窓が好きだった。何故なら、その内側

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 日本古典が好きだった。徒然草が好きだった。枕草子が好きだった。日本人は、あんな時代から、物事の曖昧に美意識を抱いていたのだ。そこが好きだった。もっとも、かなり真剣に頑張ったのだが、他の語学と同じように古文にも挫折した。古文を読むことには挫

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 廃墟が好きだった。たいていの廃墟は繁栄と消滅の間にあった。それは、繁栄と荒廃とか、幸福と不幸ではないのだ。豊かさと何一つない消滅の間で朽ちようとしていたのだ。その廃墟には幸福の欠片などもあった。しかし、それが不幸になったとか、不幸になって

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 狭間と言えば、性風俗に関わるような人は、狂気と日常の狭間にいることが多かったように思う。日常に居場所を失った人が、迷い込むようにして性風俗業界に入って来たのかもしれない。 人間が嫌い、でも、寂しがり屋。インサート出来ないが性行為が好き。時

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 筆者が幼かった頃、家の前に小さな川があった。小さいがジャンプして向こう岸に行けるというものではない。何しろ子供の頃の記憶なので、その川幅がどれぐらいだったのかは分からないのだが、五メートルもなかったように思う。それでも、子供にとっては越え

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 古代から、狭間というところに、人は、特別な意味を見出していたのかもしれない。そして、筆者も境界とか狭間というものが好きだった。昼と夜の間。この世とあの世の間。県境。階段の踊り場。そして、企画と企画の狭間。 特に、長く同じ企画で書いた後には

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 池袋に通いはじめたのは、まだ、中学生の頃だった。最初のきっかけは東口にあった西武美術館だ。あの頃は、シュールレアリスム系の美術展が多く行われていたのだ。西武デパートの書店も好きだった。サンシャインはなかった。新文芸坐という映画館があった。

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 六本木が嫌いだった。赤坂も青山も嫌いだったが、六本木ほどではない。ところが、六本木はSМクラブがもっとも多くあった街だった。ゆえに、六本木を訪れる回数は新宿や池袋を上回っていた。知り合いも多く、好きなママも好きな風俗嬢もいた。六本木の性風

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 新大久保には新宿らしいところがなかった。新宿駅から歩いても、それほど遠くない新大久保、しかし、そこは新宿とは、まったく別の駅だった。性風俗店も新宿のそれとは少し違っていた。新宿が大型風俗店なら新大久保は個人風俗店、と、そんな違いがあった。

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 新宿が好きだった。四十年ほど前になる。まだ、コマ劇場があった。そして、その周辺はカオスだった。如何わしさがあり、危険な臭いがしていた。昼間から、コマ劇場の周囲は混沌としていた。健全と不健全が矛盾なく混ざりあっていた。若者とそうでない者も混

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 地方取材はたいてい二泊にしていた。二泊三日ではなく、二泊なのだ。最初の頃は、慣れていなかったので、三泊四日、二泊三日にしたりと、試行錯誤したものだった。慣れてくると、朝の新幹線か飛行機で移動して、その日の取材を強行してホテルに入り、一泊、

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 おかしなものなのだ。東京にいるときも、毎日ように性風俗店の取材をしていたのだ。当たり前だが、どこの店も夕方前に取材を終えたがる。ようするに、お客の少ない時間帯を取材にあてたいからだ。それは地方に行っても同じことなのだ。そして、東京にいても

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