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2018年07月14日01:24

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遊びが下手な大人たち、その7

 娯楽小説を読んで、どうやってお勉強をしようとしたのか分からないのだが、中学生の頃の夏休みの課題図書の中には、ずいぶんと娯楽小説が入っていた。教科書に掲載されている小説も、これで何をお勉強させるつもりなのかと疑問を持たされるものがあった。そんな娯楽小説でお勉強をさせられたので、娯楽小説がすっかり、娯楽でなくなってしまった。
 少し未来には、漫画が国語の授業で取り上げられ、子供たちが、また、漫画かよ、つまらないなあ、サボりたいなあ、そうだ、漫画を机に立ててその下でこっそりとテレビゲームをやろうと、思いつくのではないかとさえ思ってしまう。
 筆者たちが熱中して読んでいる漫画も、学校の授業にすれば、きっとつまらなく出来るのに違いないのだ。そう考えると学校とは偉大なところである。どんな楽しいことも、つまらなく、どんな好きなことも嫌いにさせることが出来てしまうのだから。
 ダイエットの悩む人が街のジムなどに通って、その上で、なお、ダイエットに失敗したりするが、食べることも学校で教え、食べ方を細かくチェックされ、テストで食べ方の順位など発表されるようになれば、食べるのが嫌いになるかもしれない。食べる楽しみを学校が教えれば、それで人は食べることが嫌いになるかもしれないのだ。ダイエットなどかんたんなのだ。
 話がだいぶ逸れてしまった。この話が逸れるのも、また、遊びなのだが、そんなことも言っていられないので、話を小説に戻そう。多くの小説は娯楽小説なのだ。だいたい作家などという人にまともな人がいるはずもないのである。まともな人は学校の先生になっているのだから。作家になるということが、もう、人としてダメなのである。生き方が不真面目なのだ。その不真面目な人がどうして読み手を説教するような小説を書けるというのか。書けるはずがない。
 実際、明治文学など読んでいても、つくづくダメだなあ、と、思うことが多い。思えば、あの時代から、現代まで、小説も編集技術も、また、情報の収集方法も格段に進歩してしまっているのだ。現代小説よりも、明治時代の小説のほうが優れていると本気で思っている人は、どうかしている。逆に、現代の小説は娯楽で明治の頃の小説は啓蒙小説だと考えている人も、きちんとそうした小説を読み比べて欲しい。現代にも道徳的で退屈な小説を書いている作家もいれば、明治時代にも、悪ふざけの過ぎる作家もいたのだ。
 ただ、技術だけを見るなら、それは現代ほうが優れているのだ。当たり前なのだ。何しろ、現代の作家には明治の小説の技術が入っているが、明治時代の作家には平成の作家たちの技術は少しも入っていないのだから。
 では、その小説がどうして、こんなにもつまらないと思われるようになってしまったのか。
 それが国語の授業なのだ。
 日本の国語の授業は極端なのだ。まず、小説を読み、その感じ方は自由でいいと教えてしまう。解釈が自由でいいなら、文書に意味などない。明日は天気です、と、書いてあるのに、天気というのは雨も晴れも天気なので、どちらだと思ってもいい、と、そんなことあるはずがない。明日は天気です、と、書いてあったら、その書き手は、おそらく、明日は晴れるだろう、と、言っていると解釈すべきなのだ。自由でいいということはないのだ。
 その間違った認識の上で、しかし、学校の先生の解釈は生徒に強制されている。日本の国語教育は国語の教育を止めて政治思想、あるいは、道徳教育になってしまっているのだ。
 解釈は自由だと言いながら、その一方でテストの回答は一つだと言われるのだから、子供たちには、国語とは何なのかも分からなくなる。とりあえず、成績が大事なので、テストの正解にのみに拘るようになってしまう。
 小説の解釈における正解を求めるのは実はスリリングで面白いのだが、小説を利用したテストの回答を求めるのなら、これは酷くつまらないものになる。
 小説の解釈は一つなのだ。しかし、小説は作家の手を離れてしまうと、作家にさえ、自由には出来なくなることがあるのだ。怪物に育つということなのだ。そうなれば、小説の解釈は作家が回答を持っているとも限らなくなるのだ。
 だから面白いのだ。どう解釈してもいいのではない。作家にさえ自由にならない回答を読み手が求めてもいいということなのだ。
 ここが面白いのに、最近の小説読みは、解釈をしたがらない。対立することを嫌い、敗北を嫌うからなのだ。敗北したくなければ、インターネットで検索すれば誰にでも得ることの出来る同じ情報だけを得ればいいことになる。読めば分かる粗筋、読めば分かる台詞の抜粋、読めば分かるエピソード、調べれば分かる作家の名前、書かれた年代、なんて退屈なのだろうか。
 まるで、国語の授業である。
 あんなにも退屈で嫌だった国語の授業のやり方でしか小説を読まない。なんと、そうした人たちはポルノ小説でさえ、同じやり方で読もうとするのである。それで小説が面白くなるはずがない。
 小説を読むことも、書くことも遊びなのだ。遊びが分かれば、小説はゲームよりも、映画よりも、テレビドラマよりも、はるかに面白いものなのだ。
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