美人のママと人生の成功者とも言える社長の男と筆者との屈折した三人プレイは面白いものになるはずだった。いや、確かに途中までは面白かったのだ。 ホテルの部屋に入る前の食事は男が気を使って支払いは自分だが、食事はママと筆者の二人きりにしてくれた
理解出来ないような性癖の持ち主にかぎって社会的な成功者だったような気がする。気のせいかもしれない。しかし、少なくとも、その男は成功者だった。 不動産をいくつも所有し、会社を三つも持っていた。 あるSМクラブのママが、変わった趣味のМ男がい
横浜のビジネスホテルをとっていると彼女は言った。以前に、プレイするのに夜景が見えなければ嫌だというМ女を取材していたので、そうした何かがあるのかと思ったのだが、彼女がとっていたのは、意外にも、安そうな小さなビジネスホテルだった。駐車場もな
ホテルに誘われた。相手はインタビュー記事を書かせてもらった後に、体験取材までさせてもらった女王様だった。体験取材と言ったところで、プレイは撮影用の真似事である。本気で鞭を打たれたりすることもないし、顔面騎乗だからといって本気で座る女王様も
照り付ける太陽を頭頂部にまともに受け続けたためだろうか、頭がぼんやりとして来た。こんな時、タバコでも吸えれば、少し日陰で立ち止まることも出来るのだろうが、あいにく私はタバコが吸えない。日陰を選んで歩いてはいるものの、やはり、少し立ち止まり
その男は都内ホテルのスイートルームでプレイをする。狭い空間では落ち着いてプレイが出来ないと言っていた。そして、プレイの時には、撮影をしたいとも言っていた。後でそれを見ることは、まずないらしい。それでも記録しておきたいのだそうだ。それがマニ
マニアの撮影の手伝いをさせらることは少なくなかった。まだ、家庭用ビデオが今ほどお手軽ではなかった頃なので、ビデオを撮れるということが珍しかったのだ。しかも、筆者に頼めば編集まで出来た。パソコンで手軽にビデオ編集が出来る今とは違っていたので
ラブホテルに入る前の車の中で、彼女は、ホテルの中では、いっさいの会話をしないで欲しいと言った。その代わりに、何をされても絶対に文句を言わないとも言うのだった。 何をしてもいい。それは面白いことだと思った。本当に何をされてもいいと思っている
分かろうとしていた。しかし、結果として彼女のことは何も分からなかった。 最初に彼女と会ったのは取材中のSМクラブだった。SМクラブのママに紹介されるかたちで、会ったのだ。ママによれば、彼女は風俗嬢ではなく、姪っ子を預かっているのだと言うこ
話は面白いほうがいいというのがある。たとえば、こんなことがある。深夜のドライブにはいろいろあるが、ヒヤリとするのが猫の飛び出し。そして、なぜか落ちている雑巾。雑巾が猫の死体に見えるからだ。一瞬のことだ。一瞬のことなのだが、ドライブ中の運転
企画について考えているうちに、一つのことを思い出した。それはエロの企画でやりたかったことが、まだ、いくつか残っていたということだ。その中には出来ないことも多くある。たとえば、SМクラブの歴史など、もう、それを正確に語れる人もいなくなったの
ウィキペディアで調べれば誰にでも分かりそうな映画評というものがある。まあ、それで映画好きをアピールしたいのだろうが、調べれば分かるようなことをどうして、わざわざ書き直す必要があるのだろうかと疑問だった。 そこで、こんな企画はどうだろうか。
書くとは何か、何を書くべきで、何を書くべきでないのか、そんな問題と格闘して、もう何十年にもなるような気がする。 中学生の頃に、読書感想文というものを書かされたが、どうして、多くの書評家がきちんとした感想を述べているのに、そんなものを書かな
ものを書くということを根本的に勘違いしている人がいる。ものを書くというのは、思いついたことを垂れ流すことではない。酔っ払いが何ごとかぶつぶつと言いながら路上を歩いているのを見ることがある。その、ぶつぶつを文章にしても、誰も読まない。思いつ
さて、いつものように十二話が終わり、次の企画までの繋ぎになったようだ。企画と書きたいことは少し違う。企画は作品であり、書きたいことは、ただの宛先のない手紙のようなもので、手紙なら、本来は発表すべきものではないものだ。 しかし、筆者が先生と
筆納め 松はサンタの 向こう側 句というものは、解説があってこそのもの。解説がなく、誰にでも読めば分かるというものは句ではなく、ただの独り言である。だからと言って、書いた本人にも、きちんとした解説が出来ないものも、偽物。 そこで、この句。
「お茶でも飲みに行かない」 取材の後、必ず、そう言って誘ってくれるSМクラブがあった。六本木だった。誘ってくれるのは嬉しいのだが、コーヒー代は筆者持ちだった。まあ、編集部の経費として出るということを良く知っているママだったのだろう。 今なら
本のある喫茶店は昔は珍しくなかった。今も絵本の置いてある喫茶店がある。昔は、漫画が多かった。料理の対決漫画などが置いてあることが多かったように記憶している。野球漫画が充実している喫茶店や格闘技漫画が充実している喫茶店も多くあった。音楽もジ
赤坂に面白い喫茶店があった。面白いと言っても、外装も内装も普通の喫茶店で、コーヒーは少し美味しい程度。別に変わった物があるわけでもなく、変わった音楽を流しているということもなかった。 ただ、その喫茶店。いつ行っても、お客の半分ぐらいが何か
この句は、きっと、あの人が好きシリーズ改札で 君待つ秋の 口寂し鯉のぼる ひとり相撲に 血がのぼる猫杓子 まとめて捨てた 大掃除つらら踏む 子を置き私 男踏む年度末 どこ吹く風と 春を待つ目がそれる 隣のサンマ 太りすぎひんやりと 冷たい石
年の暮れ 端くれ外れ 飲んだくれ花見酔い それに似たよな 俳句かな一人寝の 寂しさしみる 冬布団蝉落ちて バブルの狂乱 鳴き踊る我が息子 下向く冬の 皺の足恋よりも 恋歌恋し 赤と白春待ちて 膏薬貼るも 春は来ぬ銀杏の葉 車に着いて 苛つい
まだ、携帯電話を持っていない頃には、地下の喫茶店が好きだった。最近は、地下の喫茶店も電波が届くようになっているようだが、携帯電話を持ってから、しばらくは、地下の喫茶店は避けるようになっていた。特に、新宿にあったその店は地下二階だったので、