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日記一覧

 包口(ほうこう)、貫喉(かんこう)、散喉(さんこう、のどちらし) 何を意味するかを書く必要はないだろう。 「絶対に嫌。だって、そんなとこ、汚いもん。汚いものを出すところでしょ。絶対に出来ない」 そう言って硬く唇を閉じるが、その柔らかい唇は

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 ワイセツ用語の規制について考えている内に、そもそも、ワイセツ用語を規制されたところで、一人の物書きなら、痛くも痒くもない、と、そんなことを考えるようになった。ものを書くということは、新しい表現を作り出すということなのだ。 たとえば、優れな

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 差別用語やワイセツ用語の使用に規制を設けることには懐疑的なのだ。理由はかんたんで、そうした用語を使うのは普通の人かもしれないが、それを発信するのは、たいていの場合は作家だからなのだ。作家というのは、詩人を頂点に言葉を生む人たちのことである

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 鹿鳴館サロンのエロはSМのエロであり、性異常のエロであり、性的逸脱のエロであり、性犯罪のエロなのである。つまり、そのエロの根底には禍々しいものが含まれてしまっているのである。それを、あたかも健全な趣味であるかのように誤魔化すことには、もう

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 鹿鳴館は日本にある。鹿月舎は鹿鳴館にあるわけなので、これも日本なのだ。そこで、基本的には日本の法律に従いたい、と、ここまでは、何度も主張してきたところのことである。 その上で、鹿鳴館は絵画的性表現の規制を裸そのものとしている。裸がワイセツ

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 書店とエロ雑誌という問題で、筆者は、一つの矛盾を感じていた。エロ雑誌はレジのそばに置くのだ。たいていの書店のレジは入り口のそばにあった。つまり、入り口の目立つところにエロ雑誌が並べられたのだ。これは子供にエロ雑誌を立ち読みさせないという理

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書き方講座課題小説
2017年04月21日18:03

 カウンターにもどるとトイレに立つ前に注文していたラムソーダがテーブルにのせられていました。丸い木のコースターには水滴がありません。長身で細身のマスターはいつものように氷を球体にしていました。 「トイレの前の鏡、どうして割れたままにしておく

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 性器の露出が誰に不快感を与えるのか不明なのだが、それがあると仮定して、さて、この時代に、何を規制すべきなのだろうか。ここが筆者には疑問なのだ。 情報は個人が受け取るものになっている。最近はテレビでさえ家族単位ではなく個人のものだ。たとえば

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 マナーという問題で鹿鳴館サロンについて考えてみよう。 たとえば、鹿鳴館サロンは公然ワイセツを恐れてはいない。それを恐れることはマニアの集いの場としては違うと思うからだ。公然ワイセツを恐れるのは、むしろ、性風俗産業だからなのだ。パンツを脱い

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 他人の性器を見せられて、それを不快だと感じる人は確かにいるのだろう。たとえば、テレビのCMで、他人の排泄物を見せられたら、これはクレームの嵐となるはずだ。筆者にしたところで、食事中にそれを見せられるのはどうかと思う。筆者にしたところで、そ

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 性器の絵画的表現をどこまで許容するのか。もし、この許容の仕方が法律の求めるところと違うなら、鹿鳴館の作品は地下に潜っても、それで行くべきだと筆者は考える。表現に関わるものの、ものすごーい端くれだとしても、そこにいる限りは、そうしたことに妥

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 不快なものがない、と、それは嘘である。たとえば、残酷なシーンの表現物には不快とか恐怖がある。そうした写真や絵には規制がかかっているが、それは当然のように思う。暴力なども不快である。 しかし、そうした言語はどうなのだろうか。残酷なものを想起

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 ワイセツ用語についての規制は難しい。ワイセツ用語でもっともワイセツなのは、猥褻という言語のはずなのだが、これはどんな団体においても規制対象になっていない、不思議なことだ。 そもそも、そんな矛盾した規制について考えることがバカバカしいように

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 さて、少し考えるところがあるので、鹿鳴館サロン、あるいは、その出版部門であるところの鹿月舎として、ワイセツの問題について書いて行くことにした。 筆者はかなり昔から、この問題と闘って来た。ビニ本という時代には、性器をどこまで隠すのか見せるの

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新企画考案(おわり)
2017年04月14日16:53

 楽しいという字は気楽の楽の字と同じなのだ。つまり、楽しいというのは苦労がないという意味なのだろう。 そこで筆者は昔からの疑問がある。それは、製作の現場で、しばしば聞かされた「自分たちが楽しければ、それが一番いいんだ」というバカバカしい意見

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新企画考案(その11)
2017年04月13日00:50

 さて、新企画について書くことも、そろそろ終わりに近づいて来た。いつものように、十二回で終わりにしたい。こうしたことは長くて十二回でいいものなのだ。何でもそうなのだ。 このミクシィでも、しばしば、いつまでも食べ物の話ばかりを書き続ける人とか

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新企画考案(その10)
2017年04月12日16:00

 いっそ、なかった小説のありもしないシーンの聖地巡礼というのはどうだろうか。 ありもしない小説の書評は以前にも書いていたことがあるが、そもそも、小説自体がないのに、その小説の中のシーンに登場した場所を見に行くという、もはや何を拠り所に書けば

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新企画考案(その9)
2017年04月11日01:11

 昔のインタビューテープを聞いていて感じたことは、日付がないということだ。インタビューは雑誌掲載のための資料でしかないのだから、そこに日付は要らなかったのだ。テープは活字化された時点で不要のものとなった。それでよかったのだ。 しかし、こうし

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新企画考案(その8)
2017年04月10日17:14

 SМクラブなどというものは移り行くものなので、もう、二十年以上も前のSМクラブの話なら実名で話をしてもいいような気もする。 それなら、どうだろうか。いろいろな駅で、たった一つだけSМクラブを上げて、その跡地に向かい、近所の公園なり、ただの

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新企画考案(その7)
2017年04月09日17:24

 架空事件レポートというのはどうだろうか。架空とはいえ、あまりに生々しいものはどうかと思うので、どうでもいいような事件の現場レポートをするのだ。これだと、少しホラーが混ざるので、現場で録音する意味が出て来る。もちろん、架空とはいえ、完全にホ

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新企画考案(その6)
2017年04月08日01:25

「ここで読みたいこの本あのシーン」というのはどうだろうか。 官能小説を持って行って、深夜のどこかでその本の写真を撮って、その本をそこで読みたい理由と書評を書くという企画だ。 今は電子書籍もあるのだから、深夜の公園でも本が読める。ただ、電子書

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新企画考案(その5)
2017年04月07日01:16

「モルブ」という企画も考えていた。妄想、ルートのぶらり旅の頭を取って「モルブ」と、名付けるだけで、ちょっとお洒落な雰囲気にならないだろうか。これは、お手軽な深夜の都会で、勝手な妄想をしながら道を歩くだけという企画だ。道は一本道がいい。そして

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新企画考案(その4)
2017年04月06日16:27

 一駅散歩という企画はどうだうか。当然だが、電車が走っているのに一駅歩くというのは面白くない。電車が走っているなら電車に乗ればいいのだ。そこで深夜に、どこかの駅から次の駅まで歩いてみるというのはどうだろうか。歩きながら、そこにあるものをレポ

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新企画考案(その3)
2017年04月05日17:24

 どこでもフェラローグという企画で、いろいろな場所でフェラさらながら一人語りをするという不可能な企画を妄想しながら、まったく違う企画について考えた。 筆者が昔書いた記事を実際に見つけて来て、その記事の現場でその記事について語るというものだ。

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新企画考案(その2)
2017年04月04日04:20

 こんなことは出来ないだろうが、少し考えているというのがある。 これはある人から共著の話を持ちかけられて考えていた企画なのだ。共著というのは面白いのだが、どうして共著にしなければならないのか、その必然性を見つけるのが難しい。 そこで、筆者は

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新企画考案(その1)
2017年04月03日15:57

 企画について深く考えようと思う。理由は二つ。一つは鹿鳴館の悲願であるところの雑誌に向けて、もう少し斬新な企画を入れたいというもの。そして、もう一つは、鹿鳴館ラジオとしての企画について、もう少し、じっくり考えてみたいというもの。どうして音が

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アブ街あの頃(おわり)
2017年04月03日01:14

 アブ街あの頃をICコーダーを片手に実験的に行ってみたのだが、もう一つピンと来るものがなかった。自分のやりたいことはこれだったのだろうか、と、疑問が出て来たのだ。街は違っている。懐かしい思い出はある。街とそこにあったSМ風俗の特徴も出ている

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 上野は面白いところだった。決してお洒落な街ではない。しかし、家庭的かというと正反対の街でもあった。では、新宿のような冷たさがあるかといえば、意外と温かかった。不思議な街だった。 それを象徴するのがSМクラブの数ではなかったかと筆者は考えて

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 横浜のSМ風俗は東京のそれとは少しだけ違っていた。もし、東京が名店とファミレスだとするなら、横浜はオーナーシェフの店が多いと、そんな喩えはダメだろうか。 確かに、東京にもオーナーやママの拘りのSМクラブはあった。しかし、どうしても、他のク

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