76年6月10日(現地時間)イリノイ州シカゴ・インターナショナル・アンフィシアターのリングに上がったモハメド・アリはプロレスラーのケニー・ジャイと対戦しました。
アリはジャイ相手におそらくマネージャーでありプロレスのトレーナーであるフレッド・ブラッシーから教わったであろうボディスラムを見せたり、フロント・ヘッドロックのままジャイを前方に投げたりしています。
また、MMAが普及してからよく見られる四つん這い、4点ポジション状態のジャイに対しアリはジャイの背中や後頭部にパンチを叩き込んでいきました。
このあたりは後に藤田和之がニーを入れていく場面を連想させます。
アリのパンチをほとんどノーガードの状態で受けたジャイはたまらずダウンしアリのKO勝ち。
次にリングに上がったのはジャイより少し格上の中堅ジョバー、バディ・ウォルフ。ウォルフはこの年の4〜5月にかけて全日本プロレスの第4回チャンピオン・カーニバルに来日し、帰国してからまだ1か月経っていませんでした。
ウォルフはアリの身体を持ち上げるとシュミット式バックブリーカー、フォールの体勢に入ると特別レフェリーのバーン・ガニアはカウント2を入れますがアリはこれをキックアウト。
ウォルフはアリの腕を掴んだらままヒップトス(腰投げ)で投げつけ、アームロック狙い。このあたり猪木なら腕ひしぎ逆十字にいくパターンかと思います。
アリvsジャイ、ウォルフの試合ルールがどうかは不明ですが、プロレスの3カウント決着はあり、3分5ラウンド位だと考えます。
ウォルフはもう1度シュミット式バックブリーカー。今度もアリは返して見せます。
スタンディングでの殴り合いとなりますが、こうなってはウォルフに勝ち目は毛頭なく、ウォルフもパンチを出しますが空を切るものばかり。
しかし、ウォルフはパンチを空振りするフリを見せて自分の拳の中に入れた剃刀状の刃物で自分の額を切りました。ウォルフは額から流血。
レフェリーのガニアが両者の間に割って入り、ウォルフの傷口をチェック、ウォルフのセコンドであるディック・ザ・ブルーザーが入ってきて「アリはグローブの中に何か入れているんではないか?」とばかり激しいクレーム。
アリのセコンドのブラッシーもリングに入り乱闘になりかけましたが、ガニアが身体を張ってこれを阻止。
ラウンド終了が告げられ、両者コーナーに引き下がりましたが、流血させられて怒りの収まらないウォルフはインターバルの間にアリの背後から襲いかかりました。
アリも激しく応戦、アリの放ったワンツーをノーガードで受けたウォルフはダウン、プロレス流の大きな見映えのするバンプを取ってぶっ倒れました。
試合はエキシビションの為きちんと勝敗がつけられたかは不明ですが勝負なしが妥当かと思います。
当時は実戦特訓となっていましたが、実際は日本でアントニオ猪木と試合をやる際にどの位のパフォーマンスをして観客を楽しませるか?という為の予行演習のつもりであったことは想像に難くなく、元々プロレス大好きのアリはプロレス技をかけたりかけられたりして観客を沸かせ、あるいは反則になった時に双方のセコンドを使っての乱闘騒ぎまでをきちんと計算に入れて、猪木戦に備えていたのではないか、と思います。
アリ側からすれば600万ドル以上の高額なファイトマネーをもらう以上、猪木と最高のパフォーマンスを見せて観客を楽しませて帰したい、そう思っていたことでしょう。
このように書くとアリvs猪木戦が決められたシナリオのあるフィックスファイトであるように聞こえますが、プロボクシングの世界から見たプロレスはそういう世界であり、ビンス・マクマホン・シニアの父、ジェス・マクマホンを初め、昔はプロボクシングとプロレスを同じプロモーターが興行を開催していることはアメリカでは普通の話でしたから、アリが猪木戦をフィックスファイトと最初から捉えていたのも無理からぬ話でした。
ログインしてコメントを確認・投稿する