一方、アントニオ猪木と相対するプロボクシングWBA&WBC統一世界ヘビー級王者モハメド・アリはこの76年、2月から5月の僅か3か月間に世界タイトルマッチを3回も行い、その強靭な体力を見せつけました。
74年10月30日(海外日付は全て現地時間)南アフリカザイール共和国キンシャサにおいてジョージ・フォアマンを破り、世界ヘビー級王座に返り咲いた後は
75年は3月にチャック・ウェップナー、5月にロン・ライル、7月にジョー・バグナー、10月にジョー・フレイジャーと年4回の防衛戦を行っています。
3か月に3回がいかにハイピッチかはご理解頂けるかと思います。
2月20日にはベルギーでジャン・ピエール・クープマンにKO勝ち、4月30日にニューヨークMSGでジミー・ヤングに判定勝ち、5月25日には西ドイツでリチャード・ダンにTKO勝ちを収めました。
このうち、クープマンとダンについては挑戦者としてはレベルが低かったと言えますが、アメリカ国内に留まらず、世界各国でタイトルマッチを開催して経済効果をもたらすところはまさに世界のスーパースターたる所以であり、ラリー・ホームズやマイク・タイソン等とは全ての面においてスケールが違いすぎました。
ダンとの試合が終わるとアリは猪木戦に向けての実戦特訓とばかり6月2日ペンシルバニア州フィラデルフィア・アリーナのWWWFの会場に姿を現しリングサイドにて観戦。
ゴリラ・モンスーンvsバロン・シクルナの試合でシクルナが場外に投げ飛ばされたところでアリがモンスーンを挑発。
モンスーンも「リングに上がって来い」と受けてたち、アリは上半身裸になり靴も脱いでモンスーンと番外戦となりました。
モンスーンはアリに組つくと肩の上に担ぎ上げてエアプレーン・スピンで回転を加えてアリをマットに叩きつけました。アリはオーバーアクションでダウン。
6月10日にはイリノイ州シカゴ・インターナショナル・アンフィシアターのAWAの興行に出場。ここでアリはケニー・ジャイ、バディ・ウォルフの2人のレスラーとエキシビションマッチを行いました。
この時既にアリのセコンドにはフレッド・ブラッシーがついていますのでおそらく、フィラデルフィアでのWWWFの大会に出た時にプロレス側のコーディネーターだったビンス・マクマホン・シニアからブラッシーがプロレス側のマネージャー兼トレーナーで付くことが決められたかと思います。
ジャイは72年1月に1度だけ国際プロレスに来日しているAWAのベテランジョバー。アリがこの時着けていた青いグローブは推定14〜16オンスのスパーリング用。
ジャイのセコンドにはディック・ザ・ブルーザーが付きレフェリーはアクシデントに備えてAWAのオーナーであるバーン・ガニア自らが務めました。
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