76年1月7日日比谷の帝国ホテルで記者会見が開かれたアントニオ猪木vsウィリエム・ルスカの試合は「格闘技世界一決定戦」と銘打たれました。
猪木はグレーのスーツ上下、ルスカはオランダの民族衣装で会見に臨み、会見終了後「裸になって欲しい」という記者からの要望に応え、ルスカは贅肉のない見事な上半身を披露。こう言っては何ですが、アントン・ヘーシンクに比べるとかなりのグッドシェイプを保っていました。
会見上、ルスカが「私はオランダのチーズを毎日食べている。そのおかげで強靭な身体になった。猪木にもチーズを送ってやる」とコメント。
これに対し猪木は「私は毎日納豆を食べているからいい」と拒否しました。
思わぬところで「チーズ、納豆論争」が沸き上がり、この東スポの記事を読んだ水戸の納豆組合から、「猪木さん、私達の作った納豆を食べてルスカを倒して下さい」と納豆が大量にプレゼントされました。
納豆は日もちがしないから量をもらってもあまり意味はないと思いますが…。おそらく、合宿所の若手の食事に使われたかと思います。
このシリーズ、エース外国人として来ていたのが前75年6月26日蔵前国技館で猪木にNWF世界ヘビー級王座を奪回されたタイガー・ジェット・シン。
シンはコブラクローで喉に穴を空けられ、出血しながらもバックドロップ2連発でベルトを奪回した猪木に尊敬の意を現し、これまでの一連の様々な因縁や遺恨を超越し、試合後、猪木と握手、猪木の手を自ら上げて祝福しています。
73年5月から始まった猪木vsシンの遺恨第1ラウンドは、リングサイド最前列に座って山本小鉄vsスティーブ・リッカード戦に突如試合乱入という強烈な日本登場から、伊勢丹前襲撃事件、腕折り事件、猪木がNWF本部のシン挑戦者指命に抗議してベルト返上、王座決定戦での猪木敗戦を経てここで一旦はピリオドが打たれたという見方が一般的。
猪木は75年12月11日蔵前国技館でのビル・ロビンソンとの試合を終えると休む間もなく、12月15日(現地時間)にはニューヨークMSGに初登場しフランク・モンティに8分43秒、バックドロップからの体固めでフォール勝ち。
ニューヨークでは水面下で行われていたモハメド・アリとの対戦に向けての交渉を行ったとされています。
12月19日(現地時間)ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムで坂口と組んでジ・インフェルノス2&3号と北米タッグ王座防衛戦。(2-0で防衛)とアメリカでのスケジュールをこなしましたが、そのいずれの会場にもシンが姿を現し(MSGで通路にいた姿はNETで放送されている、ロサンゼルスは映像はなし)ました。
さらにゴング誌によると、年末密かに来日したシンは、代官山の猪木の自宅マンションに現れたというストーカーぶりを見せたとのことです。
1月2日越谷市体育館における「新春黄金シリーズ」開幕戦でシンはセミ前に出場、星野勘太郎とシングルマッチを行いました。
ロープもきちんとクリーンブレイク、観客席から大きなどよめきが沸き上がり、1つの反則攻撃も使わず、4分23秒、ロープの反動を利用しての横入り式エビ固め(スクールボーイ)でフォール勝ち。
セミファイナルは猪木がシンが子分として日本に連れて来たザ・ブルータス(ムルンバ)と対戦。猪木はブルータスの額を鉄柱攻撃で流血させると、割れた額にナックルパンチの連発、9分34秒、ブレーンバスターから体固め。
するとこの試合をリング下で見ていたシンがリングに上がり猪木とレフェリーのミスター高橋に猛抗議。「俺は反則を使わずに勝った。猪木、なのにお前は反則を使って俺の子分のブルータスに勝った。どちらがダーティチャンプだ!」
ダーティチャンプとはシンが75年3月13日広島県立体育館で猪木を王座決定戦で破って以来、6月26日蔵前国技館で猪木に敗れてNWF世界ヘビー級王者だった間、猪木と新日本プロレスのファンから言われ続けて来たことで、シンはダーティチャンプと言われることに対し、嫌悪感を露骨に現していたのです。
クリーンなシン、反則を使って勝った猪木とこれまでとは反対の図式が遺恨第2ラウンドでスタートしようとしていましたが、1月7日の記者会見で猪木がルスカとの対戦を発表した為、シンの怒りが頂点に達しました。
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