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2026年08月27日07:21

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【配信連動企画】昭和プロレス年史外伝�ゾ赦卒猯�島の決闘、アントニオ猪木vsストロング小林(16)

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74年9月28日に、豊登、芳の里、ユセフ・トルコ、九州山ら日本プロレスOBから、「アントニオ猪木vs大木金太郎、猪木vsストロング小林の再戦の勝者と馬場は闘うべき。」と声明文を突きつけられ、さらに猪木には「小林との再戦に勝ったらある重大発表をする。」とその内容が日本選手権を賭けて馬場に対戦要求をすることがほぼ明らかと言える挑発をマスコミを通してされている馬場は、沈黙を守って来ましたが、日本プロレス界とマスコミ、そして猪木に対し、痛烈な「回答」をしています。

11月22日全日本プロレス後楽園ホールで開幕した「NWAワールド・チャンピオン・シリーズ」12月2日鹿児島県立体育館(テレビ収録、観衆5,900人満員発表)大会で馬場はジャック・ブリスコのNWA世界ヘビー級王座に挑戦。試合は60分3本勝負。

1本目は11分47秒、馬場がブリスコをロープに振ってカウンターの逆水平チョップから32文ドロップキック、続けて河津落としを決め体固めでフォールし先制。2本目は5分39秒、ブリスコがヘッドロックにきた馬場をバックドロップで投げ、すかさず足4の字固め、1分近く耐えた馬場でしたがギブアップしブリスコが取り返しました。

決勝の3本目、ブリスコは馬場の左足を抱えてニークラッシャー、馬場が立ち上がる。ロープの反動を利して変えきたところへ、3分20秒馬場がランニング・ネックブリーカードロップを決めフォール。2−1で馬場がブリスコから2フォールを奪い「師匠力道山さえ成し得なかった」第49代NWA世界ヘビー級王者となりました。

馬場は試合後「とにかくプロレスラーになって14年、本当にこのタイトルを取る事だけが夢だったんですよ。世界のトップランクと人にいわれるようになってからは、とりわけこのタイトルを意識してきた。それだけに嬉しいというより、本当に俺はチャンピオンになったのかなという、ほっぺたをつねってみたいような不思議な気持ち、喜びが大きすぎるのでこんな気持ちなのかもしれませんね。一晩眠ったら本当にうれしさがわいてくるかもしれない。」と喜びをあらわにしています.

負けたブリスコは「全く予想していない結果になった。春に対戦した時、強い相手だと思ったが、負けるとは思わなかった。まだ負けたという実感がない。5日(日大講堂でのリターンマッチ)にはもちろん勝つ。このままアメリカへ帰れるはずがないじゃないか。」とショックを隠しきれない様子。

立会人を務めたロード・ブレアースPWF会長のコメント「まずミスター・馬場に心からおめでとうと言いたい。馬場は堂々たる世界王者だ。近来まれに見る実にフェアな名勝負だった。」と日本人初のNWA世界ヘビー級王者誕生を祝福しています。

12月5日日大講堂(テレビ収録、観衆10,200人超満員発表)では当初はNWA世界ヘビー級王者ブリスコとPWFヘビー級王者馬場とのダブル・タイトルマッチと発表されていましたが、2日のベルト移動でブリスコが馬場のNWA世界ヘビー級&PWFヘビー級の二冠王座に挑戦することになりました。試合は60分3本勝負。 

1本目は馬場がブリスコをロープに飛ばしてランニング・ネックブリーカードロップを狙ったところへブリスコがロープの反動を利してのドロップキック、続けてバックドロップを決め13分53秒、ブリスコが片エビ固めで先制のフォール。2本目、馬場がヒップトス(腰投げ)にきたところをブリスコは身体を入れ換えて切り返し逆さ押さえ込み、これをカウント2で返した馬場は、すかさずネックブリーカー・ドロップを決め3分53秒、体固め。

決勝の3本目、勝負を賭けた馬場は2本目のフィニッシュと同じネックブリーカー・ドロップ狙い。これをロープを掴んでかわしたブリスコは、馬場の首筋へエルボーを落としバックドロップ。しかしロープ際だったのが馬場に幸いし馬場は持ち上げられた瞬間にトップロープを蹴って崩し両者同体でマットに倒れましたがすかさず馬場が覆い被さり、4分50秒、体固め。2−1で鹿児島に次いで馬場がブリスコに連勝。馬場がNWA世界ヘビー級王座初防衛、PWFヘビー級王座22度目の防衛に成功しています。

フィニッシュはこれより8年9か月前、66年2月28日日本プロレス東京体育館大会で馬場がルー・テーズを2−1で破り、インターナショナル王座2度目の防衛に成功した時と同じでした。

二冠を死守した馬場は「守りのレスリングに徹していたので緊張の連続だった。どうしても守ろう守ろうの意識が強すぎて、攻めていく事はあまりなかった。でも初防衛を果たした事でほっとしたし、次からは…。あと一回、次もベルトを守る。」と「王者のレスリングとはこうなんだ」と言うことを強調するようなコメント。

馬場にまさかの連敗を喫したブリスコは、「疲れた。馬場があんなに粘り強いとは思ってなかった。バックドロップをやったが、馬場にロープを蹴られて、こっちが頭を打ってしまった。とにかく(12月9日、最後のリターンマッチ)豊橋では絶対勝つ。丸腰ではアメリカに帰れない。必ず馬場を倒す。」と馬場の体力とプロレスの巧さにしてやられた感じでした。

この日はダブル・メインイベント、ケン・マンテルの保持するNWA世界ジュニア・ヘビー級王座に鶴田が挑戦(60分3本勝負)鶴田がジュニア・ヘビー級王座に挑戦、というと今のファンの方はビックリされる方もいるとは思いますが、鶴田はNWAのジュニア・ヘビー級リミットの105Kgまで減量しての挑戦でした。

1本目、鶴田にコーナーに振られたマンテルは、コーナーに飛びつき振り向きざまのフライング・ボディアタックからフォールの体制へ。これを鶴田に返されると、マンテルは続けてブレーンバスターを決め12分39秒、体固め。

2本目は1本目と同じ流れとなり、鶴田にコーナーに振られたマンテルは、もう一度コーナーに飛びつき振り向きざまのフライング・ボディアタック、しかしマンテルの動きを見ていた鶴田は身を沈めてかわし、自爆したマンテルにジャンピング・ボディプレスからフォール、これを返されるとエルボードロップからダブルアーム・スープレックス4分45秒、体固めで鶴田が取り返しました。

決勝の3本目、鶴田がマンテルをロープに振りコブラツイストにいきましたが、マンテルがロープに逃げ、両者もつれてトップロープ越しに場外転落。両者場外でダウンし、鶴田がリングへ戻りかけたところでカウント10が入り3分2秒、両者リングアウトとなり1−1の引き分けでマンテルがタイトル防衛に成功、場外10カウントはPWFルールが採用されていました。

ブリスコが最後のリターンマッチとして馬場に挑戦したはNWA世界ヘビー級選手権試合は12月9日、愛知県豊橋市体育館(観衆3,700人発表)で行われています。(60分3本勝負)

1本目、馬場が足4の字固めにきたブリスコを右足で蹴り上げると、ブリスコは場外転落。馬場はリングに戻ってきたブリスコを捕まえてシュミット式バックブリーカーの連発からアトミック・ドロップを決め13分47秒、馬場が体固めで先制のフォール。2本目、馬場は「好調の証」ココナッツ・クラッシュ(椰子の実割り)2連発から再びアトミック・ドロップを狙いましたが、ブリスコは馬場の左足をすくって倒して素早く足4の字固め。3分30秒、ブリスコがギブアップを奪いタイスコア。

ついに迎えた決勝の3本目、ブリスコは馬場にショルダー・タックルを決め、もう一度ロープに富んでの再度タックル、底へ鹿児島と同じく馬場がランニング・ネックブリーカードロップ狙い、しかしこれは誘い水でした。ブリスコは身を沈めてかわし自爆した馬場へバックドロップ。2分34秒、体固めでカウント3が入り、ブリスコが2−1で執念の勝利。第50代NWA世界ヘビー級王座に返り咲き。馬場は2度目の防衛に失敗、七日天下に終わりました。

ベルトを失った馬場は「無念だ。2本目一気に勝利を掴もうとしたが、これが裏目に出てしまった。このダメージで精神的に参ってしまい、やらずもがなの3本目を取られた。しかしこれであきらめたわけじゃない。川崎(12月12日川崎市体育館)では鶴田を挑戦させるし、それでもダメならアメリカに追いかけていく。」と敗戦の弁。

王座を奪い返したブリスコは「どんな事があってもタイトルを取り戻すつもりでいた。川崎では鶴田がチャレンジしてくるというが、胸を貸してやる。また馬場が挑戦したければチャンスはやる。」とホッと胸を撫で下ろしていました。

猪木vsストロング小林戦のNWF世界ヘビー級選手権試合が新日本プロレスの蔵前国技館で行われた同じ12月12日全日本プロレスは川崎市体育館(テレビ収録、観衆4,300人発表)でシリーズ最終戦を開催、ブリスコは鶴田を2−1で破ってNWA世界ヘビー級王座を初防衛、馬場は69年5月16日、日本プロレス東京体育館で猪木と優勝を争った「ロシアの妖怪」クリス・マルコフを2−0のストレート勝ちで容赦なく叩き潰してしまい、PWFヘビー級王座23度目の防衛を果たしました。

後に発売されたブリスコの自伝(日本語版未発売)によると、以下のような記述があり馬場が高値でNWA世界ヘビー級王座の1週間レンタルを申し出たという記述があります。

・馬場にNWA世界ヘビー級王座をレンタルする件の交渉役はテリー・ファンクだった。

・当初は10,000ドルという話だったが、ブリスコはNWA本部にアドバンス(供託金、もしNWA本部の意向に反し、勝手にベルトを移動させたり、ベルトを持ったまま、オポジション例えば新日本プロレスに参戦するような裏切りをした場合は没収される。)を25,000ドル預けており、10,000ドルのために25,000ドルを失うようなことはできないと断った。

・数日後、テリーは「25,000ドルのことは心配するな」と言ってきたので、ブリスコは、具体的にベルトの移動費用は供託金と同額。それ以外に通常のギャラ(週給2,000ドル)と馬場とのタイトル戦にはその4倍のギャラと滞在費用はすべてドルで欲しいと要求。

・馬場がそれを受け入れたことを確認したブリスコは、サム・マソニック、エディ・グラハム、ジム・バーネットらにタイトルを移動させることを告げた。ブリスコは馬場の足元を見たということでしょう。

つまりブリスコは25,000ドルのベルト移動代の他、馬場との3回のタイトルマッチで24,000ドル、ギャラ以外に当時の1ドル360円の固定相場時代で17,640,000円の大金を手にしたことになりますが、そうまでしてもこの時の馬場はNWA世界ヘビー級王座に就かなければならなかったということです。

初回の猪木vs小林戦(3月19日、蔵前国技館)の際、大会主催者である東京スポーツ新聞社が国際プロレスに対し払ったトレードマネーが1,000万円ですから、僅か1週間NWA世界ヘビー級王座のベルトレンタル料金がいかに高額かがわかります。

自分自身の名誉ももちろんありますが、猪木に対する「猪木よ、お前と俺とでは立ち位置が違うんだ。日本選手権だのゴチャゴチャ言っているが、こちらは世界一だぞ。お前にこの真似が出来るか!?」という馬場のアピールでした。

また、鶴田を無理矢理にでも減量させてNWA世界ジュニア・ヘビー級王座に挑戦させたのも、ヘビー級とジュニア・ヘビー級というNWAが認定する世界2大タイトル戦を猪木vs小林戦の1週間前に開催し、その外交力の高さを見せつけ日本人対決など所詮コップの中の嵐に過ぎず、スケールと桁が違う、というのが馬場の日本選手権に対する痛烈な回答であったということです。

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