mixiユーザー(id:21258650)

2026年08月22日08:59

133 view

【配信連動企画】昭和プロレス年史外伝�ゾ赦卒猯�島の決闘、アントニオ猪木vsストロング小林(11)

フォト

アントニオ猪木に敗れたストロング小林は「アメリカに行って鍛え直して、もう一度猪木さんに挑戦する」と表明、74年5月29日にアメリカ武者修行に出発しました。

小林はまずフロリダに行き、マスクマンのコリアン・アサシンに変身し、パク・ソンナン(朴松男)とタッグを組んでヒールファイトを展開した後、WWWF入り。

アメリカ東部WWWF地区遠征は8月3日ペンシルバニア州フィラデルフィアからスタート。初戦はフロリダでも対戦したロン・フラーに勝利。

同日、バトルロイヤルに出場、早くもここでWWWFヘビー級王者ブルーノ・サンマルチノを初めとした超大物レスラー達と顔合わせ。優勝はボビー・ダンカンでした。小林がコリアン・アサシンとしてフロリダのリングに上がっていた時に対戦しているメンバーも多数いますが、こちらはWWWF代表のビンス・マクマホン・シニアとフロリダのエディ・グラハムが懇意の間柄だったからです。

チーフ・ジェイ・ストロンボー、ヘイスタック・カルホーン、トニー・ガレア、ラリー・ズビスコは78年に新日本プロレスに来日。ビクター・リベラはロサンゼルスルートで前73年9月には新日本プロレスに来日していました。

一方でサンマルチノ親派であるドミニク(ドン)・デヌーチ、キラー・コワルスキーは新日本プロレスには上がらず、全日本プロレスに参戦しています。シルバーノ・サウサは若手ジョバーでしたが76年7月に全日本プロレスに一度だけ来日、

今年亡くなられたピート・ドハティーはベテランのジョバーで来日はなかったものの、77年暮れ〜78年上旬にミル・マスカラスがWWWFに定期参戦していた時期、78年4月24日にMSGでマスクマン、ゴールデン・テラーとしてマスカラスとマスカラ・コントラ・マスカラ(敗者覆面剥ぎマッチ)で対戦、敗れて素顔を晒し、日本でも報道されてその名前はマニアには知られた存在でした。

ズビスコとは対戦機会も多かったですが、当時まだ23歳、「サンマルチノ2世」としてサンマルチノを小柄にしたような風貌とファイトスタイルで売り出し中の新鋭。翌75年9月、サンマルチノのブッキングで全日本プロレスに初来日、ザ・ファンクスのブッキングで来たスタン・ハンセンと一緒でしたが全日本プロレスへの来日はこの時は単発で終わり、以後新日本プロレスに来日しますが81年7月には新日本プロレスと全日本プロレスの引き抜き抗争で全日本にUターン参戦しました。

「ブルーザー・ブロディ刺殺犯」のホセ・ゴンザレスとも対戦、ズビスコがサンマルチノ2世ならプエルトリカンのゴンザレスは「ペドロ・モラレス2世」として売り出されました。サンマルチノルートで75年1月、77年4月に全日本プロレスに来日、その後プエルトリコに定着。新日本プロレスには82年4月に一度だけ来日しています。

8月26日ニューヨークにMSG初登場、ガレアとのシングルマッチは「月刊プロレス」、「別冊ゴング」いずれもカラーグラビアで紹介され、特に「別冊ゴング」74年10月号は「燃える男ストロング小林特集号」として表紙となり特集記事が組まれています。

入場の際は紺の半被を着用、赤に足の部分が黄色のニータイツ(田吾作タイツ)、裸足に下駄を履いて登場。試合は20分1本勝負、ガレアは「貴公子」の異名を持つWWWF地区ベビーフェイスのトップクラスで、小林がガレアをヒール殺法で痛めつけ時間切れ寸前の19分58秒に急所攻撃で反則負けを宣告されました。

「別冊ゴング」74年10月号「燃える男ストロング小林特集号」ではWWWF地区で「悪党修行」をしている小林をゴング編集長の竹内宏介氏がボストンでキャッチ、電話取材してインタビューを行っていますが、その要旨を引用してみたいと思います。

竹内「8月26日のニューヨークのMSGにおけるトニー・ガレア戦のニュースは加山浩特派員(ゴングの海外特派員、MSG定期戦の写真とレポートを毎月送って来るが実在しない架空の特派員と言われている)から聞きました。ところで、日系の田吾作スタイルでリングに上がったようですが、一体どうしたのですか?」

小林「マネージャーのフレッド・ブラッシーと相談してこのスタイルに決めたんですよ。もうIWA世界チャンピオンだった頃の僕は昔の僕です。3月19日の猪木さんとの試合で僕は新しく生まれ変わったと思っています。」

竹内「すると外電で伝えられているように本当に悪党転向をやってのけた訳ですね。」

小林「悪党転向というニュアンスではなく、いい機会だから『どんなことでもやってやろう』という気持ちですね。日本にいる間には絶対にできなかったことでも、フリーの一匹狼になった現在なら何でも出来ますからね。正直言って、今はラフな試合をすることが楽しくてしょうがないですね。」

竹内「(試合ぶりは)具体的にどこがどう変わったの?まぁ、スタイルは違ってるけど…。」

小林「日本でスターの地位にいてチャンピオンベルトだけを必死に守っていた時代の僕からは想像もつかないことばかりです。今は『見せるレスリングから勝つレスリング』に大きく変わりつつあると思っています。

なぜ、ラフファイターと言われるレスラー達がファンの憎しみを受けながらレフェリーの目を巧みに盗んで反則攻撃を行うのか?それは勝つ為以外の何物でもないと思います。まぁ、MSGの第1戦ではエスカレートのあまり反則負けになってしまいましたが…。それでも反則勝ちよりはマシだと思っています。」

竹内「凄い意気込みですね。」

小林「もう聞いていると思いますが、最初にフロリダに遠征した時にマスクを被ってアサシン(暗殺者)なんて名乗ったのもその為です。日本では、一応スター選手だった僕が裸一貫となってアメリカに渡り、覆面レスラーとして試合を行っている…こんな話を聞くと『ああ、小林もくるところまで来たな。アメリカあたりに行って覆面を被って試合とは情けない』という人がいるかも知れない。人が何と言おうが僕は僕の意思で覆面を被った訳です。

そして貴重な体験の中から、いろいろなことをマスターしました。最初はちょっぴり抵抗もありましたが、2、3試合ぐらいやっている間に初めて覆面レスラーの持つ特有の魅力というものがわかりました。僕が国際プロレス時代に『覆面太郎』としてやっていた時のような暗いイメージは感じなかったですね。これからも機会があったら、たまには覆面を被ってみたいと思います。」

ヒールとして前向きになっている小林ですが、国際プロレスでデビューした時の覆面太郎が自分には黒歴史だったことをさらっとカミングアウトしているのも面白いです。

2 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2026年08月>
日 月 火 水 木 金 土
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031