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2026年08月21日07:17

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【配信連動企画】昭和プロレス年史外伝�ゾ赦卒猯�島の決闘、アントニオ猪木vsストロング小林(10)

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74年3月19日、新日本プロレス蔵前国技館大会、NWF世界ヘビー級選手権試合、アントニオ猪木vsストロング小林の一戦は壮絶な流血戦、激闘の末に29分30秒、ジャーマン・スープレックスホールドで猪木がフォール勝ち、王座初防衛に成功しています。

勝敗が決した瞬間、両陣営のセコンドがリング内に入り込み、両選手をケア、小林の私設応援団は「よくやった!」と小林を激励しています。

小林の鉄柱攻撃で額から流血した猪木は黄色いタオルを巻かれて止血、小林の健闘を讃えて握手を交わし、右手を上げました。小林はその状態で両手を上げてファンの大歓声に応えています。

NET三浦智和アナウンサーによる勝利者インタビュー。三浦アナ「猪木さん、全国のプロレスファンに向けて一言!」と興奮を隠せずマイクを向けると、猪木は「ちょっと…何か…わかんないです。」

三浦アナ「意識朦朧としていますが、一言だけ、ちょっと酷かも知れませんが、この次に挑戦者が現れたらどうしますか?」

観客席からは「小林、10年早いぞ10年!」という野次が飛びます。

猪木「そうですね、チャンピオンは負けることもある、これは宿命なんですね。私も本当なら10年持つ選手生命が1年で終わってしまうかも知れない。しかし、それがファンに対しての我々の義務だと思っていますから、私が勝てない相手もいるかも知れない、中には。誰が挑戦してきても、いつ何時でも受けて立つ、それで負けても私は悔いはないです。」

三浦アナ「チャンピオン猪木選手にもう一度盛大な声援をお送り下さい!」

多くの人々に語り継がれ、多くのライターが書いている「10年持つ選手生命が1年で終わる」有名な猪木語録、よく前段につけられる「こんなプロレスをやっていたら」という発言はありません。

両者控室に戻ってから記者団による囲み取材、一問一答式のインタビューが行われています。まずは挑戦者小林から。

―「実際に闘ってみて、猪木選手はどうでしたか?」

小林「やはり、強いですね。本当に今日はいい勉強になったと思います。」

―「ズバリ!敗因は何だと思いますか?」

小林「やはり、自分は詰めが甘かったと思います。」

―「ロープ越しのブレーンバスターにいった時は勝てると思いましたか?」

小林「僕、ブレーンバスターをやったんですか?」

―「試合の経過は詳しく覚えてない?」

小林「途中で猪木さんの肘打ち(右ストレートに見えたが実はエルボー)を左アゴに喰らってクラクラとしてから…その後のことはよく覚えていません。」

―「今後の予定は?」

小林「一応、休養とトレーニングを兼ねてハワイに行こうと思っています。それから先のことは…ゆっくりハワイで考えてみます。」

―「リターンマッチなどをやる気は?」

小林「チャンスがあれば何度でもやってみたいですね。」

―「今度やったら勝てる自信はありますか?」

小林「十分あります!一度やれば勝手もわかるし、今度は不覚を取りませんよ。」

負けた小林ですが、「猪木を相手にここまで出来た」という自分の行った「大仕事」に対して深い自信をつけたようで、充実していた感じでした。小林は猪木戦を前に長野県の鹿教湯温泉で一人で山籠り特訓を行い、この日の決戦に備えて来ましたが、30分近い激闘を展開し、一定の効果は出た感じでした。

一方の王者、猪木は止血用に巻いた黄色いタオルからは血が滲み、また、小林の全体重を首で支えたジャーマン・スープレックスホールドのダメージからか痛々しい表情で国技館の東の支度部屋に戻り、中央にドッカと腰をおろしてインタビュー開始、目はうつろです。

―「挑戦者の小林選手…実際に試合をしてみてどんな感じでしたか?」

猪木「俺が考えていたタイプのレスラーとはまったく違っていたね…まぁ、一口で言って手強い男だったよ。」

―「すると小林の強さは認める訳ですね?」

猪木「ああ、あいつは大した野郎だよ、最初は軽く料理してやろうと思っていたけど、なかなかどうして。大いに苦戦したよ。」

―「試合中に"これなら勝てそうだ"と思ったところは?」

猪木「負けるとは思わなかったね。俺の作戦としては、小林は気が弱いと聞いていたんで、強引にラフに持ち込んで一気にケリをつけてやろうと思ったんだが…とうとう乗って来なかったよ。(笑)」

―「ブレーンバスターからカナディアン・バックブリーカーに決められた時"もうダメだ"とは思わなかったですか?」

猪木「危ないとは思ったけど…でもバックブリーカーにいった時の小林は絞めが甘かったな。あの程度の絞めなら十分に逆転出来ると思ったね。」

―「ズバリ!総合的な小林評を聞かせて下さい」

猪木「俺が考えていた以上に強敵で…単に力だけの男かと思ったらグラウンドでもかなりやるのにはビックリした。よく考えてみれば、奴は(ヒロ・)マツダさんのコーチを受けたことがあったんだよな。まあ、確かにパワーは俺以上のモノを持っているし、テクニックも大変なモノだと思う。」

―「小林が再度、挑戦したいと言って来たら?」

猪木「OKだ。だが、今すぐにではなく…アメリカあたりに行って鍛え直してからにして欲しいね。『小林よ、強くなってもう一度かかってこい!』そんな気持ちだね。」

―「勝ったら日本選手権者を名乗ると言っていましたが?」

猪木「まあ、その件はもう少し考えてみますよ…俺一人が言っても始まらないし、時期が来れば必ず日本一を名乗って見せますよ。」

日本中のプロレスファンを熱狂させた猪木と小林の死闘はこうして幕を閉じました。翌3月20日には、プロレス報道を普段からしなくなっていた報知新聞、日刊スポーツ、スポーツニッポン、東京中日スポーツの朝刊スポーツ紙がこの一戦を一面で報道、猪木、馬場が相次いで日本プロレスを離脱、分裂して団体が増え、相対的に人気が下がっていた日本プロレス界が復興の狼煙を上げたターニングポイントとなった試合として歴史的意義の大きい試合となりました。

猪木は激闘の疲れが抜けないまま、NWFの主要テリトリーであるオハイオ州クリーブランドヘ出発、NWFの指名挑戦者であるアーニー・ラッドの挑戦を受けるべく3月20日に渡米しました。

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