74年国際プロレス「新春パイオニア・シリーズ」は前々回(2)で書いたように、前半戦の2週間、1月19日川崎市体育館大会迄で予定されていたタイトルマッチは全て行われシリーズ最終戦の2月1日札幌中島スポーツセンター大会までは通常の消化試合的興行が行われました。
1月25日水戸市茨城県スポーツセンター(テレビ収録、観衆3,000人発表)大会。メインイベントは開幕戦の1月5日、北九州市小倉大会と同一カード、ストロング小林とジェリー・ブラウンによる金網デスマッチが行われ20分8秒、カウントアウト勝ちを収めています。
セミファイナルはグレート草津&寺西勇組がブッチャー・バション&バディ・ロバーツ組と対戦。1本目は12分46秒、日本組の反則勝ち、2本目は6分2秒、草津がロバーツを体固めでフォール。2−0で草津&寺西組のストレート勝ちに終わりました。
セミ前がマイティ井上とカウボーイ・ビル・ワットのシングルマッチ45分3本勝負。1本目は10分4秒、ワットが体固め、2本目は5分52秒、井上が体固め、決勝の3本目は12分7秒、ワットが体固めで取り、2−1でワットの勝利。
ラッシャー木村とペドロ・サムソンのシングルマッチは12分7秒、体固めで木村のフォール勝ち、1月19日、川崎大会で木村と「敗者髪切り&覆面剥ぎマッチ」で敗れ、ザ・ジャックナイフのマスクを取ったオビラ・アセリンは翌日から素顔で試合をし、この日はアニマル浜口とシングルマッチで対戦し6分42秒、体固めでフォール負けしています。
1月26日足立区体育館(テレビ収録、観衆1,000人発表)大会、メインイベントでは小林が退団の要因となった「犬猿の仲」草津と最後のタッグチームを結成、Jブラウン&Bロバーツ組のブロンド・ボンバーズと対戦、この試合は05年12月にポニーキャニオンから発売されたDVD−BOX「伝説の国際プロレス」にブロンド・ボンバーズ時代の現存する唯一の映像として収録されており現在も視聴可能です。
1本目は15分40秒、両チームリングアウトの引き分け、決勝の2本目は2分10秒、小林がアトミック・ドロップを決めてから草津にタッチ、草津がブレーンバスターからロバーツを体固めに決めて2−1で小林&草津組が勝っています。
セミファイナルは今シリーズ何度も組まれている井上とサムソンの45分3本勝負。1本目は7分15秒、井上が回転エビ固め、2本目は3分43秒、サムソンが体固め、決勝の3本目は5分38秒、体固めで井上が取り、2−1で井上が勝利を収めました。
ワットは浜口とシングルマッチで対戦し11分17秒、体固めで勝利、Bバションは田中忠治を11分8秒、体固めでフォール勝ち、木村は大位山勝三を8分25秒、逆エビ固めでギブアップさせました。
開幕戦から欠場していた東京プロレスからの国際プロレス旗揚げメンバーである大磯武がこの日「家業を継ぐ」という理由で引退を発表、引退試合は行わずセレモニーのみ行われています。大磯はその後フィリピン人女性と結婚し渡比、現地でプロレス活動を行い、これより10年後の84年2月には猪木ら新日本プロレス勢を招聘し、ケソンシティで興行を開催しています。
1月28日盛岡・岩手県営体育館(テレビ収録、観衆4,000人満員発表)大会、結果的にTBS最後の収録大会となりました。
メインイベントは木村&浜口組がJブラウン&Bロバーツ組のブロンド・ボンバーズと対戦。1本目は20分18秒、ロバーツが浜口を体固め、2本目は8分12秒、木村がロバーツを体固め、決勝の3本目は7分27秒、浜口がロバーツを逆エビ固めでギブアップさせて2−1で木村&浜口組の勝利。
セミファイナルは草津vsワットのシングルマッチ45分3本勝負。1本目は9分31秒、草津が足4の字固め、2本目は7分52秒、ワットがオクラホマ・スタンピートから体固め、決勝の3本目は1分6秒、両者リングアウトとなり、1−1の引き分けとなりました。
小林はサムソンとシングルマッチで対戦、18分26秒、体固めで小林のフォール勝ち、井上は稲妻二郎を17分15秒、体固めで撃破。寺西とアセリンのシングルマッチは僅か51秒、首固めで寺西が老雄アセリンから速攻勝利を挙げました。
シリーズ最終戦、2月1日、札幌中島スポーツセンター(観衆5,000人満員発表)大会。メインイベントは金編タッグ・デスマッチ、草津&浜口組とJブラウン&Bロバーツ組のブロンド・ボンバーズと対戦、28分17秒、日本組のカウントアウト勝ち。
ブロンド・ボンバーズは翌75年8月、ハリウッド・ブロンドスに改名して新日本プロレスに登場、来日前の8月1日にはロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムでアントニオ猪木&坂口征二組の北米タッグ王座に挑戦。
私はブロンド・ボンバーズで国際プロレスに来た時は試合はリアルタイムで見てはいませんが「別冊ゴング」、「月刊プロレス」のプロレス熱戦譜は繰り返し見ており、同一チームだということはわかっていました。なので試合前は「猪木&坂口組が2−0で楽勝防衛だろう」と思っていましたが現実は全く違う結果になりました。このあたりは新日本プロレス編で詳しく書いていきたいと考えております。小林は新日本プロレスに移籍してからもブロンドスとは北米タッグ王座を巡っての因縁が生じることとなります。
セミファイナルは結果的に小林の国際プロレスラストファイトとなったBバションとのシングルマッチ45分3本勝負。1本目は18分11秒、小林が逆エビ固め、2本目は4分7秒、バションが体固め、決勝の3本目は7分12秒、小林が体固めでフォールを奪い、2−1で小林が勝利を飾っています。Bバションも76年4月の新日本プロレス「第3回ワールド・リーグ戦」で小林と再び相まみえることに…。
木村はサムソンとシングルマッチで対戦、8分38秒、体固めで完勝。ワットは大位山とシングルマッチで対戦しましたが、日本の冬の北海道の寒さが堪えたか、Tシャツを着用したままで試合をし、僅か29秒、オクラホマ・スタンピートからの体固めで勝ちましたが観客の怒りを買い、「日本をナメているのか!」、「金返せ!」と痛烈な批判が浴びせられています。
寺西とアセリンのシングルマッチは10分11秒、寺西が体固めでフォール勝ち、井上vs稲妻のシングルマッチは13分4秒、体固めで井上が完勝していますが、稲妻も留学生生活3年目に入り、実力がメキメキと上がって来ました。
シリーズが終わると前73年、国際プロレスがプロレス興行事業の不振を補填する意味でプロレス観戦の帰りに寄れるようにと札幌にオープンさせた焼肉屋「国際亭」で打ち上げが行われ、小林も参加していますが、心中に去来した感情はいかがなものだったでしょうか?
北海道はTBSが強く、最終戦の札幌もこれといったビッグカードもなかったですが、5,000人満員発表とまずまずの客入りでした。が2日後の2月3日には新日本プロレスが同所で興行を開催、一般メディアにも登場して話題となった600Kgの双子兄弟、ベニー&ビリーのマクガイヤー・ブラザーズの人気爆発で9,000人超満員発表の観客を動員。
メインイベントでは71年に猪木にUN王座を奪われた「ギリシャの黒鷲」ジョン・トロスが猪木とノンタイトル時間無制限1本勝負で対戦し猪木が勝ちトロスを返り討ちにしており、興行成績で国際プロレスは完敗を喫してしまいました。
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