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2026年08月12日13:38

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【配信連動企画】昭和プロレス年史外伝�ゾ赦卒猯�島の決闘、アントニオ猪木vsストロング小林(1)

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昭和プロレス復興の起爆剤となりました74年3月19日蔵前国技館で行われたNWF世界ヘビー級選手権試合、アントニオ猪木vsストロング小林の一戦を振り返りたいと思います。

初回は大きく再編成された前73年の激動の日本マット界を振り返りを織り交ぜながら74年の年頭の状況について「おさらい」をしておきたいと思います。

前73年は4団体が新春シリーズを開幕させていますが、4月に日本プロレスが活動停止、崩壊した為、国際プロレス、新日本プロレス、全日本プロレスの3団体時代に入っており、新春シリーズでしのぎを削ることになります。

新日本プロレスは前73年は坂口征二の加入、NET(テレビ朝日)の放映が付き猪木、坂口のゴールデンコンビ結成による飛躍の1年でした。アメリカでは無名だったタイガー・ジェット・シンが、最前列に座っていた観客を装い、試合に乱入するというセンセーショナルな初来日を果たし、ヒールレスラーのトップとして猪木と血の抗争を展開。

11月5日には新宿・伊勢丹前にてシリーズオフで買物中の猪木、倍賞美津子夫妻を襲撃、猪木をガードレールに叩きつけて負傷させ、四谷警察署が出動するなど事件に発しました。

結果、猪木とシンの抗争は大きく盛り上がり、シングル2連戦の11月16日札幌中島スポーツセンターが9,000人、11月30日広島県福山市体育館(ランバージャックデスマッチ)は4,800人発表といずれも超満員札止めの観客を動員しました。

外国人ルートも拡大し、日本プロレス取締役だった遠藤幸吉が、NET「ワールドプロレスリング」の解説者として放送席に座る見返りとして日本プロレスと親密関係にあったロサンゼルスのプロモーター、マイク・ラーベルを仲介しています。

また、坂口が日本プロレス時代に修行していた五大湖地区のジョージ(クライベビー、マンマウンテン)・カノンのルートから北米のインディペンデント団体NWFと繋がり、12月10日には東京体育館で猪木がジョニー・パワーズを破りNWF世界ヘビー級王座を獲得。新日本プロレスに団体の看板タイトルをもたらしました。他にも旗揚げ当初からのカール・ゴッチのヨーロッパルートとカナダのモントリオールのジョニー・ルージョーからも外国人レスラーをブッキングすることに成功。

74年、新日本プロレスは1月4日千葉県船橋市体育館から「新春黄金シリーズ」が開幕、「2人併せて600kg」ベニー&ビリーのマクガイヤー・ブラザーズが初来日し、プロレスの枠に留まらず一般メディアにも取り上げられ、話題を振りまき社会現象にまでなりました。

日本側も日本プロレス崩壊時海外におり全日本プロレスに合流しなかった永源遙が坂口を慕い73年10月に新日本プロレスに入団、この「新春黄金シリーズ」では猪木シンパだった星野勘太郎が入団し山本小鉄とのヤマハ・ブラザーズが新日本プロレスで復活することに。日本陣営も充実し一気にメジャー団体へと躍進。

ジャイアント馬場の全日本プロレスも73年はザ・デストロイヤーが加入、崩壊した日本プロレスの残党を受け入れて大所帯となりました。が、日本プロレスの選手会長だった大木金太郎は「対等合併と聞かされていた」と処遇への不満を訴え、馬場も「潰れた団体と対等合併になる訳ないだろう」と不快感を顕にし、最初から不協和音が流れました。

10月には全日本プロレスの将来を担う鶴田友美(ジャンボ鶴田)が4種類のスープレックスを引っ提げて凱旋帰国、日本テレビ主導でキョードー東京の嵐田三郎代表が窓口となりスカウトしたオランダの柔道王アントン・ヘーシンクはアメリカでエキシビションでデビューした後、11月24日蔵前国技館で馬場と組んでブルーノ・サンマルチノ&カリプス・ハリケーン組と国内デビュー戦を行い反則含みながら2−0のストレート勝ち。

一方で10月9日蔵前国技館での沖識名レフェリー引退興行で、力道山の師匠であり日本プロレス界の功労者である沖への餞別があまりに少額だとまた、大会のメインイベントだったドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク組のザ・ファンクスの持つインターナショナル・タッグ王座への挑戦を馬場と旧日本プロレス勢が組むという口約束を反故にしたなど今大会、チケットを売り捌いた上田馬之助と盟友の松岡巌鉄が馬場のやり方に腹を立てて全日本プロレスを離脱、大木も73年の「ジャイアント・シリーズ第2弾」を最期に全日本プロレスを離れ、韓国に帰ってしまいました。

10月9日蔵前大会は当初、沖識名レフェリー引退興行として元日本プロレスコミッション事務局の門茂男が代表を務める全国プロモーターの任意団体「ジャパン・レスリング・ユニオン」が10月7日に蔵前国技館を押さえ、全日本プロレスがそれに協力する形で開催が決まりましたが、東京スポーツ新聞社が10月14日、新日本プロレスの蔵前国技館での猪木&坂口組vsルー・テーズ&ゴッチ組の「世界最強タッグ戦」の主催者に名を連ねていたところから馬場が東スポの協力をどうしても取り付けようと躍起になっていました。

ユニオン代表の門氏は元東スポ記者であり、東スポを懲戒免職に近い形で辞めさせられているという説もあり、いずれにしても東スポとは相性が悪い。ユニオン主催の興行では東スポの井上博社長が協力しないのは明らかであり7日の蔵前を一旦キャンセルさせ、新たに2日後に全日本プロレスとして蔵前を押さえた。馬場は日本テレビの「全日本プロレス中継」の解説者をしていた東スポの山田隆氏に依頼して東スポの協力を得ることに成功しました。

馬場は興行からユニオンの看板を外す条件としてインターナショナル・タッグ王座への挑戦者チームを「全日本プロレスから1人、日本プロレス(ユニオン)から1人組ませて挑戦させる」と門氏に口約束していましたが愛弟子鶴田が帰って来ることが決まると、鶴田を売り出したい一心であっさり約束を破ってしまうのでありました。上田、松岡はこれに激怒していたというものです。

全日本プロレスはNWAとのパイプを強化させ、1月4日、後楽園ホールから「新春NWAシリーズ」が開幕、終盤は「NWAチャンピオン・シリーズ」としてジャック・ブリスコ、ハーリー・レイス、ドリーの現・前・元のNWA世界ヘビー級王者を一度に集結、さらに立会人としてNWAのサム・マソニック会長も招聘、日本プロレスでも実現していない超豪華メンバーを呼んで、馬場の政治力、外交力の高さと潤沢な日本テレビマネーの力を見せつけました。

1年前までは馬場、猪木の2大巨頭はいないものの、日本人、招聘外国人で豊富な陣容を誇り、日本マット界の天下盗りが可能と思えた国際プロレスですが、気がつくと新日本プロレス、全日本プロレスの後塵を拝していたことがハッキリわかります。

このへんの状況を踏まえて、74年の日本プロレス界の動きを追っていくと様々な人間模様が見えて来ます。猪木、馬場、大木、小林、東スポ、井上博社長、このあたりがキーワードになって目まぐるしい展開を見せて行くことになる訳です。

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