マリオ・ミラノは79年3月3日横浜文化体育館で開幕した「第7回チャンピオン・カーニバル」に素顔で参戦しています。
リーグ戦参加メンバーは前年度優勝者のジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、ザ・デストロイヤー、フリー参戦を経て全日本に入団した石川孝志(隆士)、グレート小鹿、大熊元司、ロッキー羽田、大木金太郎、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ディック・スレーター、キラー・トーア・カマタ、ドスカラス、マリオ・ミラノ、ビリー・フランシス、ドン・ミラノ、ビッグ・レッドの16選手がエントリー。
外国人側にベビーフェイスとしてスレーター、ドスカラスを呼んで鶴田とタッグを組ませたり、大木はヒールサイドとしてブッチャー、カマタと共闘路線を敷く等軍団抗争的カラーが強くなりマッチメークにも幅が出て来ました。
ミラノは第4回大会にザ・バラクーダとして参加した時のような活躍は出来ず、小鹿、羽田、ドン・ミラノ、フランシス、レッドに勝っただけの5勝、大熊とは両者リングアウトで10点に終わりました。
4月3日青森市民体育館でのザ・デストロイヤー戦ではゴングと同時にデストロイヤーのフライング・ボディシザースドロップが決まり、ミラノは5秒でフォール負け。
これは75年1月4日後楽園ホールでの覆面世界一決定戦十番勝負第4戦のデストロイヤーとバラクーダの試合の1本目のオマージュで、結果を見たマニアを喜ばせています。
ちなみに同時に来日したドン・ミラノはマリオの従兄弟(甥説もあり)という触れ込みでしたが血縁関係は全くなく、弟子だったそうです。マリオの推薦でミラノを名乗って日本に呼んでもらったかと思います。
この年は共に24点同士で首位となった鶴田とブッチャーによる優勝決定戦が4月6日秋田県立体育館(観衆8,000人超満員発表)で行われました。馬場は23点で初の決勝進出成らず。
試合は13分14秒、両者リングアウトとなりましたが、決勝の為延長戦となり、鶴田のトップロープからのエルボー・スタッブ攻撃を下から地獄突きで迎撃したブッチャーが2分11秒、ジャンピング・エルボードロップからの体固めでフォール勝ち。
3年ぶり2度目の優勝を果たしています。結果論になりますがミラノが参戦したチャンピオン・カーニバルはいずれもブッチャー優勝となりました。
優勝決定戦が放送されたのが翌4月7日で、この日から日本テレビの「全日本プロレス中継」の放送時間帯が毎週土曜日午後8時から午後5時30分に変更され、ゴールデンタイムからの撤退を余儀なくされました。
ミラノは81年2月、エキサイト・シリーズに通算10回目の来日。序盤にNWA世界ヘビー級王者ハーリー・レイスが特別参加した他、ディック・マードック、キラー・カール・コックス、ドスカラスらが来日。
2月15日、後楽園ホールで馬場3,000試合連続出場突破記念試合第2弾として馬場がレイスのNWA世界王座に挑戦、1-1から馬場が反則勝ちで王座奪取成らず。馬場はこれが最後のNWA挑戦となりました。
ミラノはセミでマードックと組んで鶴田&タイガー戸口組と対戦。戸口がミラノを体固め。
レイスの帰国後はヘビー級外国人レスラーが少なかったこともあり、度々テレビマッチに出場していますが、タイトル戦線には絡めず。
66年5月の日本プロレスへの初来日以来、馬場のインターナショナル王座をめぐってライバル関係にあり、全日本になってからは黒覆面のザ・スピリットとしても活躍した殺人鬼コックスがシリーズ最終戦3月3日、千葉公園体育館で馬場のPWFヘビー級王座に挑戦。
51歳となっていたコックスはこれが最後の来日となりましたが、馬場がライバルに餞としてベルト挑戦の機会を与えました。
試合は2-1で馬場が勝って7度目の王座防衛に成功していますが、2本目に見せた元祖ブレーンバスターは流石の破壊力でまさに時代を築いた超一流プロレスラーの必殺技でした。
最終戦はミラノはマードックと組んで後楽園と同一カード、鶴田&戸口組との対戦が組まれ、鶴田がミラノを片エビ固めに破っています
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