76年全日本プロレス「第4回チャンピオン・カーニバル」第7週、シリーズ最終戦5月13日、川崎市体育館(観衆4,000人満員発表、5月15日関東地区は午後11時45分より放送)公式戦も終わり、この日のメインイベントはハーリー・レイスvsアブドーラ・ザ・ブッチャーのシングルマッチ時間無制限1本勝負。
ブッチャーが凶器でレイスの額を割って流血させるも喧嘩マッチの強さには定評のあるレイスは8日の札幌で馬場とブッチャーに巻き込まれて場外に転落し、足を負傷して以後の大会を欠場し、リング下でサブレフェリーをしていたジョー樋口の松葉杖を奪ってブッチャーを攻撃。
ブッチャーのセコンドであるキング・イヤウケアが黒の私服のまま乱入してレイスの身体をうつぶせにしたまま押さえつけてブッチャーがレイスの後頭部にエルボードロップ。
さらに試合は果てしない場外乱闘となり5分33秒、ノーコンテストとなりました。
ブッチャーは74年4月の「第2回チャンピオン・カーニバル」でのザ・デストロイヤーとの血の抗争を起点としてジャイアント馬場以外にも75年12月の「オープン選手権」ではドリー・ファンク・ジュニア、レイス、力道山13回忌追善興行での大木金太郎ら様々なレスラーと遺恨試合を展開。馬場に高く評価されチャンピオン・カーニバル優勝という実績を経て来日回数がこの後どんどん増加していきました。
地方のプロモーターも全日本の興行を買う時はブッチャーの出場を条件にしていた人も複数おり、ブッチャーは馬場にとっては不可欠なトップヒール外国人選手となっていました。
セミファイナルは馬場&ジャンボ鶴田組vs大木&南海山組の日韓師弟コンビによるタッグマッチ60分3本勝負。
この中に入ってしまうと南海山1人の力量不足が目立ちました。1本目は12分27秒、両チームリングアウトとなりましたが2本目は鶴田が僅か1分26秒、ダブルアーム・スープレックス1発からの体固めで南海山を破り、力の差を見せつけました。
南海山はインターナショナル・タッグ王座に挑戦出来るだけの実力はなかったですが、この日韓師弟コンビ対決がヒントとなり、馬場は秋にアメリカで活躍していた元日本プロレスの戸口正徳(キム・ドク)を呼び寄せ、大木との韓国師弟コンビを結成させることになります。
公式戦の台風の目となったザ・バラクーダは最終戦のこの日、グレート小鹿を逆さ押さえ込みで破り、好調ぶりを最後まで見せつけました。
バラクーダはシリーズが終了すると、大木に連れられて韓国遠征を行い、5月19日ソウル市文化体育館では大木の保持しているインターナショナル選手権に挑戦し2-1で敗れました。
「第4回チャンピオン・カーニバル」はバラクーダことマリオ・ミラノの大活躍でこの連載の(4)の冒頭で書いたリーグ戦を面白くする要素全てを兼ね備えた史上稀に見る大会だったと思います。
問題点は両者リングアウトの無得点試合が多過ぎたこと、また総当たりリーグ戦ならではのカードであるグレート小鹿vs大熊元司の極道コンビ対決が「戦いたくない」とばかり両者不戦敗となったことなどがあげられます。(翌年からは対戦)
同時期開催の新日本プロレスの「第3回ワールド・リーグ戦」は5月7日高松市民文化センターでのアントニオ猪木&星野勘太郎組vsビクター・リベラ&ラウル・マタ組の試合でキラー・カール・クラップが乱入、角材で猪木の左肩を殴打。
シード選手でリーグ戦最多得点者と対戦予定だった猪木は負傷の為優勝決定戦を棄権。
リーグ戦1位は13戦全勝のペドロ・モラレスが決勝進出、2位には10勝3敗で坂口征二、クラップ、リベラの3人が並びました。
5月10日仙台・宮城県スポーツセンターで3選手による巴戦が行われ、リベラ、クラップを連破した坂口が決勝へ。
5月11日東京体育館(観衆5,200人発表)で行われた優勝決定戦は坂口がコーナーポストに登っていたモラレスをエプロンからデッドリー・ドライブで場外に投げ捨てる荒技で25分38秒、リングアウト勝ちで初優勝を飾っています。
東京での興行合戦は馬場vs鶴田、大木vsブッチャーの2大公式戦を持ってきた全日本の5月1日日大講堂が7,500人で勝利。
新日本は「猪木抜き」のリーグ戦で前年程の人気には及びませんでした。
猪木の負傷棄権はモハメド・アリ戦に備えてという面が大きく、確かにプロボクシングWBA&WBC統一世界ヘビー級王者のアリと戦うには今の感覚でいけば3か月程度の準備期間は必要で、仕方ない面はあったものの、ここは決勝に出てきてモラレスと勝負して欲しかったと当時は思いましたが、年月を経てやはりアリと闘う前にモラレスと対戦するのは難しかったと考える次第であります。
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