タイガー・ジェット・シンにNWA北米ヘビー級王座を奪われた坂口征二でしたが、次期79年「闘魂シリーズ」にもシンが後半戦に特別参加することは決まっていたものの、シンにリターンマッチを挑むことはなく、
何故か前半戦に特別参加したパット・パターソンの持つWWF北米ヘビー級王座に挑戦することになりました。
WWF版の北米ヘビー級王座はこの年にパターソンがNWAのセントルイス地区からWWFに修行にやって来たテッド・デビアスから6月19日ペンシルバニア州アレンタウンで奪取したとされています。
ではデビアスの前は誰が王者だったのか?
当時のデビアスは次期NWA世界ヘビー級王者候補でしたがいかんせん地味な存在の選手でこれと言った特徴がありませんでした。特徴のなかったデビアスはNWAから「北米ヘビー級王者」のギミックを与えられてWWFへの手土産としてベルトを持ってニューヨークにやって来ました。
デビアスの上手さ、強さ、底知れないスタミナは定評があり、NWA世界王者には適した人材でありレスラーとしてもう一段オーバーさせる為にセントルイスのサム・マソニックからニューヨークのビンス・マクマホン・シニアに預けられたのでした。
マソニックとビンス・シニアとの繋がりはあまり知られてはいませんが、ボブ・バックランドをWWFヘビー級王者に推薦したのはマソニックでした。
マソニックとビンス・シニア、これにフロリダのエディ・グラハムを加えた3人のプロモーターは「バック・トゥ・ザ・レスリング」を合言葉にバックランドをルー・テーズのような王者にしようとイメージしました。
バックランドが王者になった当初、首にタオルを巻いて黒のロングガウンで入場していたのを覚えおられる方も多いかと思います。
デビアスはこのプロジェクトの第2弾であり、先ずは全米一のマーケットであるニューヨークで経験を積ませる為にWWF入りした訳です。
パターソンもこの年にAWAからWWFにやって来ました。
扱いはもちろんキャリアと実績のあるパターソンの方が上で、WWF入りして直ぐの7月2日、MSGの定期戦でバックランドのWWFヘビー級王座に挑戦。
パターソンの北米ヘビー級王座奪取はその直前の6月19日ですから、バックランドの王座に挑戦する為の箔付け、と言えるでしょう。
バックランドとパターソンの対戦はMSGのメインイベントで4回連続で行われ毎回ソールドアウトを達成。
その憎々しいヒールファイトでMSGに多数の観客を呼んで見せたパターソンを高く評価したビンス・シニアはデビアスの売り出しは後回しにしてパターソンと長期契約を結びました。
パターソンは、ブラジルのリオデジャネイロで行われた架空のトーナメントで優勝。北米と南米の両大陸を制した、として初代インターコンチネンタル王者に認定されています。
インターコンチネンタル王座は47年を経た現在もWWEに存在しており、世界ヘビー級、WWEヘビー級の両トップ王座に次ぐNo.2のベルトとしてその価値は不変です。
ちなみに「ブラジルのリオデジャネイロで行われたトーナメント」というディテールは63年2月にWWWFが設立された際に初代王者に認定されたバディ・ロジャースが王座を獲得した時に既に用いられています。
さらにはWCWと新日本プロレスが提携していた時代にはWWFのオフィシャルマガジンに「インターコンチネンタル王座はパターソンがブラジルのリオデジャネイロで行われたトーナメントで決勝でアントニオ猪木に勝って獲得した」と書かれています。
あまりにいい加減な話ですが、ブラジルで猪木を持って来たセンスだけは認めたくなります。
つまり、WWF北米ヘビー級王座はWWFが認定したものではなかった訳ですがパターソンはWWF認定の北米ヘビー級王者として79年10月の「闘魂シリーズ」に来日しました。
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