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2026年05月20日07:12

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【特別編】マイティ井上さん追悼(285)

87年度東京スポーツ新聞社制定「プロレス大賞」の選考委員会が開かれ、最優秀選手賞(MVP)は天龍源一郎が2年連続受賞。年間最高試合賞(ベストバウト)は8月31日、日本武道館でのジャンボ鶴田vs天龍の「鶴龍対決第一章」。さらに最優秀タッグチーム賞は天龍&阿修羅・原組の龍原砲と天龍が「トリプル受賞」。

他は殊勲賞が新日本プロレス、藤波辰巳&木村健吾組、後述しますが全日本プロレスの「世界最強タッグ決定リーグ戦」と同時期に開催した「ジャパンカップ争奪タッグ・リーグ戦」に優勝。敢闘賞は藤原喜明(UWF)、技能賞は該当者なし。新人賞は5月1日、後楽園ホールでデビューした全日本プロレスのジョン・テンタ。特別大賞には10月4日に山口県下関市の巌流島で死闘を展開したアントニオ猪木とマサ斎藤がダブル受賞。

功労賞にはこの年に引退したアニマル浜口(最終所属はジャパンプロレス)、グレート小鹿、ロッキー羽田、故・ハル薗田(いずれも全日本プロレス)が選ばれました。

功労賞は別として最優秀選手賞(MVP)、年間ベストバウンド、最優秀タッグチームの上位3つを天龍が独占、この年は天龍の年であったと言えます。

3月にジャパンプロレスが分裂、長州力以下長州軍団は古巣の新日本プロレスにUターン、全日本プロレスは従来の「日本人対外国人」の図式に逆戻りしましたが観客動員に苦戦、当たり前のように満員、超満員にしていた後楽園ホールが埋まらなくなり、天龍は「全日本プロレス活性化の為」馬場の了承を取って天龍革命を起こし、国際血盟軍でくすぶっていた阿修羅・原に声をかけて「龍原砲」を結成。鶴田とは反対側のコーナーに立ちました。

長州達のハイスパートレスリングとはスタイルが異なり、相手の技も受け切る「痛みの伝わるプロレス」。地方会場でも手を抜かず20分前後の試合を行い、「観にきた観客を満足させて帰す」「鶴田、輪島大士を怒らせて、本気にさせる」を旗印にハードヒットなプロレスを展開しました。

80年発売された村松友視氏の著書「私、プロレスの味方です」(情報センター出版局刊)では猪木の新日本プロレスのプロレスを「超過激なプロレス」、ジャイアント馬場の全日本プロレスを「プロレス内プロレス」と定義し多くの支持を得ましたが、この年に関して言及すれば天龍のプロレスの方がよっぽど過激だったと言えます。

また最初は原との龍原砲の天龍曰く「コップの中の嵐」でしたが、8月には川田利明、9月にはサムソン冬木が合流、天龍の付き人を務めていた小川良成も入っての5人による「天龍同盟」となり、全日本プロレスのリングに活を入れることに成功しました。

昭和時代の東スポプロレス大賞と言えば、全日本プロレスと新日本プロレスのパワーバランスを考慮するのが常でしたが、新日本プロレスは長州軍団が戻り、前86年1月にUターン参戦したUWF勢と併せてメンバーの豪華さでは初代タイガーマスクの佐山聡が抜けた以外は83年中盤までのブーム期と比べて遜色ないメンバーが集結したものの猪木の持病である糖尿病の悪化からくる体力の衰えもあり、イリミネーションマッチ乱発など杜撰なマッチメークで観客動員はそこそこを保っていましたが試合内容は大したことはなく、この結果は当然だったと言えます。

新日本プロレスとの興行戦争ですが、新日本は全日本プロレスに先んじること12日前の11月9日、後楽園ホールから「ジャパンカップ争奪タッグリーグ戦」を開幕させました。

後楽園ホールは新日本プロレスが開幕戦の11月9日月曜日が1,880人(満員発表)、リキプロ主催興行となった11月19日木曜日が2,080人(超満員発表)、後攻の全日本プロレスは開幕戦11月21日土曜日が2,250人(超満員発表)、超獣対決のあった11月22日日曜日が2,550人(超満員発表)で後楽園ホールの場合は実際には発表だけでは微妙ですが22日の全日本は掛け値なしの超満員であり全日本プロレスに軍配が上がリます。おそらく19日新日本と21日全日本が互角でしょう。

新潟市体育館はどちらもノーテレビでしたが先攻の新日本プロレス11月22日が3,130人(満員発表)、後攻の全日本プロレス11月30日が3,100人(満員発表)。馬場のお膝元、新潟だけに全日本が圧勝するかと思いきやほぼ互角でした。

東京の大会場は先攻が新日本プロレスの12月4日、両国国技館は9,400人(満員発表)メインイベントは猪木&ディック・マードック組とマサ齋藤&藤原組で30分時間切れ引き分け。セミが公式戦外のタッグマッチ、藤波辰巳&木村健吾組とケンドー・ナガサキ&ミスター・ポーゴ組。

後攻の全日本プロレスは最終戦、12月11日、日本武道館で13,200人(満員発表)、鶴田&谷津嘉章組vsブルーザー・ブロディ&ジミー・スヌーカ組、天龍&原組vsスタン・ハンセン&テリー・ゴディ組、馬場&輪島組vsアブドーラ・ザ・ブッチャー&TNT組の3大公式戦で大盛況。やはり「世界最強タッグ決定リーグ戦」の最終戦というブランド力は強く、今回は全日本の圧勝だったと言えます。

新日本プロレスはタッグリーグ戦の決勝を大阪府立体育会館に持ってきただけあって大阪のみ全日本プロレスが先攻、12月2日、全日本の府立は天龍&原組vsブッチャー&TNT組、ザ・ファンクスvsブロディ&スヌーカ組、馬場&輪島組vsハンセン&ゴディ組の公式戦で5,700人(満員発表)、12月7日、新日本の府立は優勝決定戦、藤波&木村健組が猪木&マードック組を破って優勝しましたが、こちらは6,120人(超満員発表)で新日本が僅差で勝ちました。

また、今後の日本プロレス界の流れを変える大きな出来事となった11月19日、新日本後楽園ホールでの前田日明による「長州力顔面蹴撃事件」についても触れておきます。この日のメインイベント、M齋藤&長州&ヒロ斉藤組と前田&木戸修&高田延彦組の6人タッグマッチで木戸にサソリ固めをかけている長州に対し、背後から前田が無防備な長州の顔面に右足でハイキックを一撃。

右顔面を蹴られた長州は内出血を起こして膨れ上がってしまいました。試合は10分51秒、長州がリキラリアットから高田を体固めで破りましたが、試合後前田が長州を挑発、険悪なムードに包まれました。右眼眼窩底骨折となった長州はM齋藤とのタッグでエントリーしていたリーグ戦を欠場。

背後から長州の顔面を蹴った前田に対して猪木は「プロレス道に悖る」と厳しく非難し新日本プロレスは前田に無期限出場停止処分を課し、スーパー・ストロング・マシンと組んで出場していたリーグ戦は棄権扱いになりました。「会社に迷惑をかけた」とUWFでは副将の藤原がM齋藤のパートナーを申し出て、M齋藤&長州組は不戦敗とはせず、残りの公式戦はM齋藤&藤原組が引き継いで出場しています。

馬場は前田の行為に対して「要するにリングにあがってしまえば何をやったっていいんだよ」と平素からの発言とは異なる肯定的なコメントをして周囲を驚かせましたが、結局他所のリングでの不穏試合に過ぎず、他人事のようなコメントでした。

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