87年全日本プロレス「創立15周年記念サマー・アクション・シリーズ2」9月12日岡山県倉敷市営体育館(テレビ生中継、観衆2,550人発表)大会。
この日はダブルメインイベントとして2大タイトルマッチが組まれました。ダブルメインイベント第2試合、天龍源一郎&阿修羅・原組の龍原砲にスタン・ハンセン&ジョー・ディートン組が挑戦したPWF世界タッグ選手権試合。初来日のディートンはハンセンのパートナーに大抜擢を受けています。
前日の広島大会での因縁からか天龍とハンセンが試合開始から激しくやり合って場外乱闘にもつれ込んでいる間に、原はディートンの後方回転エビをかわしてラグビータックル気味のヒットマン・ラリアットを10分23秒、原がディートンを片エビ固めに決めてフォール勝ち。天龍&原組の龍原砲がタイトル初防衛に成功しました。
挑戦者チー厶はハンセンが天龍に気を取られている隙にディートンを見殺しにしてしまったのが敗因でした。この結果を受けてハンセンは日本でも実績豊富なディック・スレーターをパートナーに指名、シリーズ最終戦の9月17日、新潟県小出郷体育館で龍原砲のPWF世界タッグ王座に再挑戦することとなりました。
ダブルメインイベント第1試合はジャンボ鶴田にニック・ボックウィンクルが挑戦したインターナショナル・ヘビー級選手権試合。両者のシングル初対決は78年12月13日、秋田県立体育館で30分時間切れ引き分け。
翌79年2月14日、ハワイ・ホノルル・ニール・ブレイズデル・センターで鶴田がニックのAWA世界ヘビー級王座に初挑戦(2−1で鶴田の反則勝ち、ベルト移動なし)以来、AWA世界ヘビー級王座を巡って何度も激闘を展開してきました。
ニックのラリアットをかわした鶴田はロープの反動を利してのフライング・ボディアタック、これでカウント3が入り、9分47秒、片エビ固め決めでフォール勝ち。テレビ生中継で後ろの試合が控えていたにしても10分足らずの呆気ない勝負となりました。鶴田が4度目のタイトル防衛に成功。
1934年12月6日ミズーリ州生まれのニックは既に52歳になっており、体力の限界を感じ、このシリーズ終了後、引退試合やセレモニーを行うことなくひっそりと引退しています。(単発的には復帰して試合をしている)
ジャイアント馬場は、NWA総会に出席する為に渡米、この日から試合には出ておりません。いつも私の日記を読んで下さっている方には釈迦に説法かと思いますが、「馬場ルール」では予め試合が組まれていないので欠場には該当しません。
セミ前に組まれたのは輪島大士&タイガーマスク組とジャパンプロレスの谷津嘉章&寺西勇組の一戦。タイガーマスクのドロップキックで寺西が場外に転落、タイガーマスクもこれを追って場外に。寺西がタイガーマスクのドリルアホール・パイルドライバーをショルダスルーで切り返したところへ輪島がラリアット。ダウンする寺西を残しタイガーマスクがカウント10ギリギリでリングへ滑り込み10分21秒、試合権利のあるタイガーマスクが寺西にリングアウト勝ち。
全日本対国際血盟軍、ザ・グレート・カブキ&ハル薗田組とラッシャー木村&鶴見五郎組は7分52秒、R木村がブルドッキング・ヘッドロックからの体固めで薗田を倒し、国際血盟軍の勝利。
全日本対ジャパン、若手精鋭対決、川田利明と仲野信市のシングルマッチ。龍原砲と行動を共にした川田と長州力派の離脱によりジャパンの実質ナンバー2となった仲野の注目の一騎討ち。
仲野は川田のスピンキックを受け止めてバックドロップを決め、キックで場外に落とし追いかけて場外戦に。そのまま乱闘を続け7分52秒両者リングアウトのドロー裁定に終わりました。
試合後、川田は談話で「まだ天龍さん達に同盟入りは認めてもらっていないんです。メインイベンターの人達の闘いになるとみんな100%の力を出しているでしょ。だから、僕は120%以上の力を出さないと(試合の)中に入っていけないんです」とコメントしており、「天龍同盟」という言葉はすでに存在していましたが、川田はまだメンバーではなかった、ということでした。
石川敬士&サムソン冬木&渕正信組vsディック・スレーター&ネルソン・ロイヤル&ジーン・リージョン組の6人タッグマッチは8分9秒、現世界ジュニア・ヘビー級王者の渕が元NWA世界ジュニア・ヘビー級王者のロイヤルを回転エビ固めで降しています。
マイティ井上&佐藤昭雄組と大熊元司&高木功組は、10分10秒、M井上が逆さ押さえ込みで大熊を丸め込んでのフォール勝ち。
第1、2試合はいずれも全日本対ジャパン、百田光雄と永源遙のシングルマッチは4分44秒、エビ固めで永源が勝ち、小川良成と栗栖正伸の対戦は6分33秒、バックドロップからの体固めで栗栖の勝利でジャパン軍が連勝しています。
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