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2026年02月17日07:19

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週プロ流智美あの日あの時予想2025年総括(42)

第413戦、10月29日発売号●【予想】猪木、3年ぶりに対戦したパターソンに大苦戦、アントニオ猪木vsパット・パターソン(76年新日本プロレス福生市民体育館)【正解】日本マット最古王座の15回連続防衛記録がスタート、アジア・タッグ王座決定戦、猪木&吉村道明組vsバディ・オースチン&ミスター・アトミック組(69年10月30日日本プロレス岐阜市民センター)

【参考】 2014年10月29日発売号は「三冠の噛ませ犬」となった国内最後のアジアヘビー級戦、PWFヘビー級&アジア・ヘビー級ダブルタイトルマッチ、ジャイアント馬場vs大木金太郎(77年全日本プロレス黒磯市公会堂)

【予想解説】2020年12月2日に79歳で亡くなった「サンフランシスコの帝王」パット・パターソン。1941年1月19日、カナダ・ケベック州モントリオール出身。

少年時代よりプロレスラーに憧れ、地元モントリオールでプロレス興行の裏方のアルバイトを始め、同地区で活躍していたキラー・コワルスキーに師事し58年に17歳でデビュー。キャリア初期は 「プリティ・ボーイ」パット・パターソンのリングネームを名乗り、口紅を塗ってピンクのトランクスを穿き、ペットのプードルを連れてリングに登場するなどのギミックで活動しました。

パターソンは後にゲイをカミングアウトしておりゲイギミックでデビューしたのは自然の成り行きと言えます。

60年代からはアメリカ本土のNWA加盟団体を中心に活躍。64〜66年頃は、オレゴン州ポートランドを中心としたパシフィック・ノースウエスト地区で活躍、同地区のパシフィック・ノースウエスト・ヘビー級王座を3回に亘り獲得。

そこで、日本から修行に来ていた猪木(リングネームはカジモト)と出逢い、年齢も2つ違いで近かったところから仲良くなりました。

オレゴンのプロモーターはドン・オーエンとハリー・エリオットでしたが、当時猪木より稼ぎが上だったパターソンはエリオットの経営するレストランに日本食のメニューがあり、猪木に日本食をご馳走したところ、日本食に飢えていたらしく喜んで沢山食べてくれたと、エピソードを語っています。

猪木はその時の事を恩義に感じ、新日本プロレスを旗揚げしてからもパターソンを「破格の待遇」で招聘し、76、77年の「闘魂シリーズ第2弾」ではエースとしての扱いで呼んでいます。

76年「闘魂シリーズ第2弾」開幕戦、10月29日福生市民体育館大会はテレビ生中継。

メインイベントは猪木とパターソンのシングルマッチ60分1本勝負。開幕戦から猪木は外国人側エースといきなり一騎討ち。

パターソンはねちっこいグラウンドレスリングを見せ、猪木と互角以上に渡り合いました。キーロックで猪木を痛めつけて主導権を奪いましたが猪木もダブルアーム・スープレックスで反撃。両者場外にもつれ、12分22秒、両者リングアウトの引き分けとなり決着はつかず。

翌77年の12月1日には大阪府立体育会館で両者はNWFヘビー級王者を賭けて対戦、24分1秒の激闘の末、卍固めで猪木がギブアップ勝ちし11度目の防衛に成功。

【正解解説】69年7月2日に放送開始したNETワールドプロレスリングは先発の日本テレビと日本プロレスの交わした約束で馬場、坂口の試合、ワールド・リーグ戦の公式戦は放送出来ないという制約の中でスタート。

猪木、大木金太郎、吉村道明が中心メンバーとなり、後は山本小鉄、ミツ・ヒライと言った中堅どころ。(星野勘太郎は放送開始直後はメキシコ遠征中)馬場の試合が放送出来ないということはインターナショナル、同タッグ選手権試合も無理ということで、シリーズ参加外国人選手のエース格も馬場との対戦が多かったところからワールドプロレスリングへの登場も限られていました。

民放と言っても昭和40年代は三強(日本テレビ、TBS、フジテレビ)一弱(NET)、一圏外(東京12チャンネル)と言われていた時代で、ネット局数、高視聴率番組の保有数、広告料収入で日本テレビとNETでは雲泥の差がありました。

NETのメインタイトルというと71年にUN王座が出来るまでは自局のエース、猪木が保持していたアジア・タッグ王座でこの69年10月30日には、岐阜市民センターで猪木&吉村組vsバディ・オースチン&ミスター・アトミック組のアジア・タッグ王座決定戦が行われています。Bオースチン、アトミック共一流には違いないですが力道山時代から日本に来ており既にピークを過ぎたロートル。

両チームは10月10日、山形県体育館で王者猪木&吉村組にBオースチン&アトミック組が挑戦。1本目は21分50秒に両チームリングアウト。2本目は3分38秒、吉村がアトミックを体固めに決めて猪木&吉村組が防衛に成功しましたが外国人チームが判定を不服としてクレームをつけコミッショナー裁定によりタイトル預り。

10月30日、岐阜市民センターでの王座決定戦は1本目は14分52秒、Bオースチンが猪木を体固め、2本目は9分19秒、吉村がアトミックを片エビ固め。決勝の3本目は10分41秒、猪木がBオースチンをコブラツイストでギブアップさせて2−1で猪木&吉村組が王座返り咲きを果たしています。ここから、猪木&吉村組は71年12月に猪木が日プロを除名・追放処分となるまで、連続15回のタイトル防衛記録を樹立することになります。

※対戦成績は413戦63勝350敗、勝率153。
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