第409戦、10月1日発売号●【予想】戦列復帰の猪木が坂口との黄金コンビ復活で北米タッグ王座奪回、北米タッグ選手権試合、ジェリー・ブラウン&バディ・ロバーツ組vsアントニオ猪木&坂口征二組(75年10月2日新日本プロレス大阪府立体育会館)【正解】全日本解雇の上田馬之助が新団体で高見山と合体の怪(73年)
【参考】 2014年10月1日発売号はテーマ曲誕生40周年。第1号のスーパースターが大暴れ!IWA世界ヘビー級選手権試合、スーパースター・ビリー・グラハムvsマイティ井上(74年国際プロレス大分県営体育館)
【予想解説】新日本プロレスの猪木&坂口組の黄金コンビは75年「サマー・ファイト・シリーズ」終了後、ロサンゼルスに遠征。ちょうど1年前の74年8月16日、カール・フォン・ショッツ&クルト・フォン・ヘス組の「ナチの戦犯コンビ」を破り北米タッグ王座を獲得して以来のロサンゼルス遠征となりました。この1年で6度の防衛を果たし、王者チームとして堂々と敵陣に乗り込みました。
挑戦者チームはジェリー・ブラウン&バディ・ロバーツ組のハリウッド・ブロンドス。ブロンド・ボンバーズとして71年10月、74年1月の2度に渡り国際プロレスに来日、体格も小さく、国際プロレスの74年「新春パイオニア・シリーズ」に参戦した時のプロレス熱戦譜を読んでいました。ブロンドスはS小林、ラッシャー木村、グレート草津、マイティ井上はいいとして寺西勇、アニマル浜口に何度もフォール負け喫していました。
私は猪木&坂口組の敵ではなく、2−0のストレート勝ちで防衛するだろうとタカをくくっていました。
1本目は18分9秒、猪木がBロバーツをジャパニーズ・レッグロール・クラッチホールド(回転足折り固め)でフォールし先制しましたが、2本目以降、猪木が捕まり、ブロンドスの連係プレーの餌食となり、13分12秒、Bロバーツがニードロップから猪木を体固め。(東京スポーツを初めとした各紙、誌)ではフォールしたのはブラウンという公式記録になっていますが、映像で確認したところ、実際にフォールしたのはBロバーツでした。
「こんなはずでは…」とテレビの前でビックリしていましたが、2本目と3本目のインターバルの間にもブロンドスは2人がかりで猪木を集中攻撃。グロッキーの猪木は立てず。ブロンドスの反則連携に怒ったレフェリーのレッドシューズ・ドゥーガンはノーコンテスト(試合時間なし)の裁定を下しました。
カリフォルニア州ルールにより、王座は同州アスレチック・コミッショナー預かり、猪木&坂口組は負けはしませんでしたがベルトを失うことになり、防衛記録は6でストップ。
Hブロンドスとの北米タッグ王座を賭けた死闘、アメリカ東部マット界の視察を終えた猪木は75年8月14日に帰国、8月19日には世田谷区野毛の新日本プロレス道場で8月22日、群馬県高崎市体育館から開幕する次期「闘魂シリーズ」に向けて調整の為の練習に入りましたが、ここで左膝に痛みを感じ始め、翌8月20日には、新日本プロレス入団を祝して新たに結成された「ストロング小林後援会」発足パーティーに出席するも、その夜に40℃という高熱に襲われてしまいました。
とりあえず猪木は応急処置として自宅近所の病院に駆け込んで強い麻酔注射を打ってもらい、翌朝には主治医である菊屋橋病院院長・佐藤三蔵氏の治療を受けると「左膝ウィルス性関節炎」(蜂窩織炎)との診断を受けました。
ウィルス性関節炎は、関節液や関節組織の感染症で、通常は細菌感染が原因というのが一般的で、ウイルスや真菌の感染によって起こることもあると言われており、8月1日ロサンゼルスでのハリウッド・ブロンドス戦で凶器攻撃を受けた際切り傷が出来て、そこから細菌が入り込んで膝関節に広がり、痛みや高熱を起こしていました。
凶器攻撃が直接的な原因ではなく、要因はリングマットに無数に付着しているウィルスによるものでした。
猪木は即入院となり、シリーズは欠場、「無事是名馬」の馬場とは違い、怪我による欠場も多かった猪木ですが、これほどの重傷による欠場はこの時が初めて。
9月19日千葉公園体育館大会で猪木が待望の復帰戦。猪木は8月1日、ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムで坂口と組んでHブロンドスと北米タッグ王座防衛戦を行って以来49日ぶり、日本での試合は7月30日、大阪府立体育会館で同じく坂口と組んでハンス・シュミット&ブルート・バーナード組との北米タッグ王座防衛戦以来51日ぶりの試合となりました。
猪木の試合は「ワールドプロレスリング」の番組の冒頭に放送され、Jルージョーとのセミファイナル45分1本勝負。猪木は白地に紫の衿、背中に「闘魂」と大書されたガウンで入場。ガウンを脱ぐと力道山ばりの黒のロングタイツを着用し観客席からは大きなどよめきが上がりました。
負傷箇所の左膝を見せないように、あるいは下にサポーターを着用していたか?猪木は久し振りの試合で勘が戻らなかったか、Jルージョーに攻め込まれる場面も見られましたが、カニ挟みからのダブル・レッグロックから得意のリバース・インディアン・デスロック、さらに膝に負担がかかるだろうと思われるブリッジしての鎌固めを披露。
最後は11分13秒、最終戦の10月9日、蔵前国技館でNWF世界ヘビー級王座初防衛戦の相手となる鉄人ルー・テーズを意識したバックドロップからの体固めでJルージョーをフォール。復帰戦を白星で飾りました。
9月22日愛知県体育館大会は2,200人発表という不入り。1回前の3月18日の同会場(猪木&坂口征二組vsシン&マイティ・ズール組)が13,000人(超満員)で発表しているだけに、1/5以下の発表数字は何かの間違いかと長年疑問に思っていましたが、実際には猪木長期欠場の余波を受けて前売チケットが伸びず、本当に不入りだったことがその後調べて判明しました。
メインイベントは空位となった北米タッグ王座決定戦、坂口&S小林組vsJブラウン&Bロバーツ組のHブロンドスの一戦、新日本プロレス所属となってから初のベルト獲得のチャンスとばかりS小林は燃え、1本目は13分49秒、カナディアン・バックブリーカーでBロバーツからギブアップを奪って先制。新日本プロレス入りしてからの異名である「怒涛の怪力」ぶりをいかんなく見せつけました。
しかし、1本目を取られたHブロンドスは本来の悪戯非道ぶりを発揮、2本目以降、S小林が捕まり、場外で鉄柱にぶつけられて額から流血、4分40秒、BロバーツがS小林を体固めで破り、決勝の3本目は3分12秒、Hブロンドスの悪の連携が冴え、2人がかりのクローズラインの前にS小林がマットに沈み、JブラウンがS小林を体固め。
S小林がHブロンドスから2本取られて惨敗、2−1で北米タッグ王座はHブロンドスが獲得。「やはり猪木でないとダメなのか…」という空気になりました。
10月2日大阪府立体育会館大会、Jブラウン&Bロバーツ組のHブロンドスに奪われた北米タッグ王座に猪木&坂口組が挑戦、この試合はテレ朝チャンネル「ワールドプロレスリング・クラシックス」で繰り返し再放送されており、現在も視聴可能です。
1本目は17分38秒、坂口がBロバーツを体固め、2本目は13分56秒、Bロバーツが坂口を体固め、決勝の3本目は4分18秒、観客席で翌週の最終戦、10月9日、蔵前国技館で猪木のNWF世界ヘビー級王座に挑戦するルー・テーズが見つめる中、猪木はJブラウンをバックドロップで投げ、最後は坂口とのダブル・ブレーンバスターから体固めで破り、2−1で猪木&坂口組の黄金コンビが63日ぶりに王座返り咲きを果たしました。
【正解解説】72年7月の大相撲名古屋場所で外国人力士として初めて幕内最高優勝を果たした高見山(ジェシー・クアウルア)はプロレス入りの噂が絶えませんでした。
73年10月3日付(2日発行)の「東京スポーツ」1面で「婚約・高見山プロレス転向?」という記事が掲載され「猪木が誘いの手、今春から接触」という小見出しがあり、センセーショナルな話題を巻き起こしています。
流さんは元日本プロレスコミッショナー事務局長でジャパン・レスリングユニオン主宰の門茂男から郵送されてきたユニオンの会報に「高見山プロレス転向、新団体『大日本プロレス』(現存する同名団体とは別)のエースとして活躍」と書かれていたのを目にし、あまりに内容が具体的だった為、「やはり高見山のプロレス転向の話は本当だったのか!?」と驚いたそうです。
大日本プロレスのオーナーは高見山後援会長で日本船舶振興会の笹川良一会長で渋谷区桜ケ丘に事務所を置き、高見山以外には上田馬之助、松岡巌鉄、関川哲夫(ミスター・ポーゴ、新日本プロレスを退団)の3選手が合流と書かれておりました。
上田と松岡は10月9日全日本プロレスの蔵前国技館大会を最後に全日本プロレスからフェードアウトしていますが、両者は10月半ばから山口県の後援者に言われて新団体設立の準備に取りかかっていたそうです。
しかし、高見山のプロレス転向は日本相撲協会の猛反対に遭って実現せず、全日本プロレスを離れた上田と松岡は同年12月にアラバマ州モビールのプロモーターを頼って渡米、松岡はプロレスラーとしては日本に戻ることなく、上田はアラバマからフロリダ州ペンサコーラに拠点を移し、日本テレビとの契約が満了になった76年5月、国際プロレスに「まだら狼」としてヒールターンに参戦することになります。
※対戦成績は409戦63勝346敗、勝率154。
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