第404戦、8月27日発売号●【予想】力道山、テーズを破りインターナショナル王座獲得、日本に初の国際タイトルをもたらす、インターナショナル選手権試合、ルー・テーズvs力道山(58年【現地時間】ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアム)【正解】猪木の負傷欠場に燃えた副将・坂口が本領発揮の大暴れ、坂口征二vsジョニー・パワーズ(75年新日本プロレス田園コロシアム)
【参考】 2014年8月27日発売号は女房役の荒鷲・坂口が果たした究極の「代打役」!(今回正解に同じ)
【予選解説】力道山は大相撲からプロレスに転向し52年2月、ハワイにプロレス武者修行に出発し、ボビー・ブランズ、沖識名のコーチを受けてプロレスラーとして活躍、またNWAからプロモーター・ライセンスも取得しますが、約2年間の修行で敗れたのはルー・テーズ、フレッド・アトキンス、タム・ライスの3人と言われています。
日本プロレス界に最初の国際タイトル「インターナショナル選手権」がもたらされたのが58年8月27日(現地時間)ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムでのルー・テーズvs力道山の一戦でした。
力道山は海外修行の総決算として53年12月6日、ホノルル・シビックオーデトリアムでテーズのNWA世界ヘビー級王座に初挑戦、43分、テーズのパイルドライバー(ドリルアホール式ではなく固めない投げっぱなしパワーボムのような感じの技、別名「リバーススラム」と呼ばれる)に敗れ王座奪取はなりませんでしたが、これで自信をつけた力道山は既に前年には一旦帰国し日本橋浪花町(現在の日本橋富沢町)にプロレスセンターをオープンさせ、日本プロレスリング協会を発足させるなど準備万端。
翌54年2月19〜21日には蔵前国技館でベン&マイクのシャープ兄弟を招いてのプロレス国際試合を開催、日本にプロレスを根付かせました。それから3年8か月後の57年10月、力道山はプロモーターとして世界王者テーズを日本に呼ぶことに成功。10月6日後楽園球場と13日の大阪・扇町プール特設リングの2回、テーズに挑戦することになりました。
6日の後楽園球場は雨天の為、翌7日に順延となりました。特別レフェリーは両日ともにダニー・プレッチェス。後楽園では両者60分ノーフォールの時間切れ引き分け、13日の大阪は1本目はテーズがバックドロップから体固め、2本目は力道山がカウンターの空手チョップから体固めに決めて念願のテーズから3カウントを奪ってみせました。
決勝の3本目はテーズが力道山をエアプレーン・スピン(飛行機投げ)に捉えましたが回転しているうちにバランスが崩れ、両者同体で場外に転落、そのまま両者リングアウトとなり1−1の引き分けに終わりましたが、日本のプロレスが世界レベルにあることを証明した2連戦でした。
この当時は「NWA世界ヘビー級選手権」ではなく、単純に「世界選手権」とだけ銘打っていましたので本稿のインターナショナル選手権試合も日本では世界選手権として報道されていました。
57年11月14日カナダ・トロントでテーズはディック・ハットンに敗れNWA世界ヘビー級王座から転落。NWAではテーズの936連勝の偉業を讃え、テーズに「インターナショナル王者」の称号を贈りました。
これはテーズが他地区への遠征などで試合を行う際、インターナショナル王者と名乗ってタイトルマッチを行なってもいいよ、というお墨付き見たいなもので所謂「認定タイトル」とはいささかニュアンスが異なります。
58年8月27日ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムで力道山がテーズを2−1で破り(試合の詳細は不詳だが1−1から力道山の反則勝ち)インターナショナル王座を獲得した試合ですが「世界選手権」、あるいはノンタイトル戦だったとも報道されており、ファンを困惑させました。
結局、力道山はテーズから「インターナショナル王者を名乗って日本でタイトルマッチをやっていいよ、ただしベルトは自分で作ってね」という権利を手に入れた、というのが実際のところのようです。
【予想解説】75年8月1日(現地時間)ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムでハリウッド・ブロンドスとの北米タッグ王座を賭けた死闘(1−1からノーコンテストでタイトル預り)、アメリカ東部マット界の視察を終えた猪木は75年8月14日に帰国、8月19日には世田谷区野毛の新日本プロレス道場で8月22日高崎市体育館から開幕する次期「闘魂シリーズ」に向けて調整の為の練習に入りました
が、ここで左膝に痛みを感じ始め、翌8月20日には、新日本プロレス入団を祝して新たに結成された「ストロング小林後援会」発足パーティーに出席するも、その夜に40℃という高熱に襲われてしまいました。
とりあえず猪木は応急処置として自宅近所の病院に駆け込んで強い麻酔注射を打ってもらい、翌朝には主治医である菊屋橋病院院長・佐藤三蔵氏の治療を受けると「左膝ウィルス性関節炎」(蜂窩織炎)との診断を受けました。
ウィルス性関節炎は、関節液や関節組織の感染症で、通常は細菌感染が原因というのが一般的で、ウイルスや真菌の感染によって起こることもあると言われており、8月1日ロサンゼルスでのハリウッド・ブロンドス戦で凶器攻撃を受けた際切り傷が出来て、そこから細菌が入り込んで膝関節に広がり、痛みや高熱を起こしていました。
凶器攻撃が直接的な原因ではなく、要因はリングマットに無数に付着しているウィルスによるものでした。
猪木は即入院となり、シリーズは欠場、「無事是名馬」の馬場とは違い、怪我による欠場も多かった猪木ですが、これほどの重傷による欠場はこの時が初めて.
「闘魂シリーズ」は、ジョニー・パワーズ(前半戦特別参加)、ジェリー・ブラウン&バディ・ロバーツのハリウッド・ブロンドス、ジャック・ルージョー&レイモンド・ルージョーのルージョー親子、マイク・サンドー、クレイトン・トムソンの外国人選手が参加。シリーズ最終戦、10月9日、蔵前国技館大会のみ猪木のNWF世界ヘビー級王座の初防衛戦の相手としてルー・テーズが特別参加。また、猪木vsテーズ戦の特別レフェリーとして50〜60年代前半、WWWF設立前のニューヨークを初めとしたアメリカ東部地区のトップスターだったアントニオ・ロッカの初来日も決まりました。
シリーズ中盤からは3月の韓国ツアーに参加した姜成英(南海山)、呉大均(呉均銭)、田任秀の3人が参加することになりました。姜と呉は72〜73年に国際プロレスに留学生として来日、田は初来日となります。
8月1日ロサンゼルスでの猪木坂口征二組とハリウッド・ブロンドスによるタイトル戦でノーコンテストとなり、カリフォルニア州アスレチック・コミッショナー預かりとなっていた北米タッグ王座ですが、猪木&坂口は日本で、ブロンドスはロサンゼルスでの王座決定戦を主張していましたが、前王者である猪木&坂口の主張が通り、このシリーズ日本で王座決定戦が行われることになりました。しかし、肝心の猪木は欠場…。
8月22日高崎市体育館での開幕戦の大会前には坂口が副社長としてリング上で猪木欠場を正式に発表しています。ストロング小林との二枚看板で外国人勢を迎え撃つことになりました。
当時はインターネットのない時代であり、ファンは「猪木、重傷により欠場」のニュースを開幕戦の「ワールドプロレスリング」で知ることになります。
開幕戦のメインイベントは坂口&星野勘太郎組とJブラウン&Bロバーツ組のハリウッド・ブロンドスが対戦。1本目は18分22秒、Jブラウンが星野を体固め、2本目は4分3秒、ブロンドスの反則勝ち、2−0のストレートでブロンドスが勝利。ブロンドスは前74年5月に北米タッグ王者チームとして来日したカール・フォン・ショッツ&クルト・フォン・ヘス組を思わせる無類の強さを発揮、国際プロレス時代とは別人のようなチームとなりました。
セミファイナルはS小林とパワーズが45分1本勝負で初対決、パワーズは前74年7月の「サマー・ファイト・シリーズ」以来1年1か月ぶり4度目の新日本プロレス参戦。パワーズは66年10月の東京プロレスに初来日していますが、S小林は東京プロレスの時はまだデビュー前であり、初対決。
パワーズが得意の足8の字固め(パワーズ・ロック)にS小林を捕らえましたがS小林はロープへ逃げてブレイク。レフェリーのブレイクの指示を無視して絞め上げた為に13分7秒、パワーズの反則負けとなりました。
セミ前の山本小鉄&永源遙組とジャック&レイモンドのルージョー親子の一戦。父ジャックは73年10月、「闘魂シリーズ第2弾」以来1年10か月ぶりの来日、元NWF世界ヘビー級王者でもある実力者。モントリオールでは兄ジョニーはプロモーターで活動、長男レイモンドと後にプロレス入りする次男ジャック・ジュニアことジミーもプロレスラーというレスラー一家。
レイモンドは55年生まれの当時20歳の新鋭で初来日。試合は14分40秒、小鉄がレイモンドをダイビング・ボディプレスから体固め。テレビ生中継はこの3試合。
この時点でまだ15歳の学生だったレイモンドの弟ジミーがジャック・ルージョー・ジュニア→ジャック・ルージョー、ザ・マウンティーなどのリングネームで兄のレイモンドとWWFスーパースターに出世することになります。
大黒柱でありワンマンエースだった猪木の欠場によりピンチを迎えた新日本プロレスですが、坂口、S小林を二枚看板として地方巡業に出ることになります。
第2戦、8月24日、東京・府中警察署裏広場特設リング大会、メインイベントでは坂口&S小林組のパワー・ファイターズを結成、Bロバーツ&マイク・サンドー組と対戦。1本目は19分4秒、坂口がBロバーツに反則勝ち、2本目は4分45秒、坂口がサンドーを片エビ固めに決めて2−0のストレートで坂口&S小林組が勝利を飾りました。
8月25日は月曜日。港区南青山の新日本プロレス事務所に入院中の猪木社長が外出許可をもらって出社。坂口副社長、5月の新日本プロレス正式入団の際、取締役として迎えられているS小林と緊急会議を行い、空位となっている北米タッグ王座について、この時点で復帰の目処が立っていない猪木は王座決定戦出場を辞退。代わってS小林が坂口と組んでハリウッド・ブロンドスと対戦することが発表されました。
8月27日は3年連続同時期開催となる真夏の田園コロシアム大会、ノーテレビ興行でしたが、当初、この日は猪木vsジョニー・パワーズのノンタイトル戦のシングルマッチが組まれる予定でしたが、猪木欠場に伴い、坂口がパワーズとメインイベント60分1本勝負で対戦。
試合はパワーズが得意の足8の字固め(パワーズ・ロック)で坂口を追い込んでいきましたが、ロープに逃れた坂口は場外にパワーズを投げ捨てました。パワーズは坂口をヘッドロックに捕らえ、鉄柱に叩きつけようとしたところ、坂口がこれを読んで自爆させてリングに上がり、19分48秒、リングアウト勝ちながら坂口がパワーズを破っています。
セミファイナルは星野&小鉄組のヤマハとJブラウン&Bロバーツ組のハリウッド・ブロンドスが45分3本勝負で対戦、1本目は13分46秒、Jブラウンが小鉄を体固め、2本目は4分2秒、Bロバーツが星野を体固めに決めてブロンドスが開幕戦に続いて2−0のストレート勝ち。うるさいタッグチームであるヤマハを一蹴しました。
※対戦成績は404戦63勝341敗、勝率156。
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