第402戦、8月6日発売号●【予想】「明け方ゴッチの夢を見た」猪木が3年ぶりのジャーマンで勝利、賞金3万ドル&覆面剥ぎマッチ、アントニオ猪木vsマスクド・スーパースター(81年新日本プロレス蔵前国技館)【正解】マクマホン王国最後の砦に到達できず、IWAが無念の撤退、IWA世界ヘビー級選手権試合、ミル・マスカラスvsアーニー・ラッド(75年8月7日【現地時間】ニュージャージー州ジャージーシティ・ルーズベルトスタジアム)
【参考】 2014年8月6日発売号は木村が金網デスマッチでファイナルIWA世界戦!IWA世界ヘビー級選手権試合金網デスマッチ、ラッシャー木村vsジ・エンフォーサー(81年国際プロレス室蘭市体育館)
【予想解説】81年新日本プロレス「サマー・ファイト・シリーズ」最終戦、8月6日蔵前国技館は9,800人(満員発表)の観客で埋まりました。
前回6月24日から1か月半足らずのスパンでの蔵前でのビッグマッチ開催にも関わらず観客の入りは上々。メインの猪木vsMスーパースターの賞金3万ドル&覆面剥ぎマッチの試合前、新間寿営業本部長がリングに上がり「新間節」を展開。
「IWGPですが、NWA代表がダスティ・ローデス(この時点でのNWA世界ヘビー級王者)、AWA代表がディノ・ブラボー、WWF代表がボブ・バックランド(WWFヘビー級王者)、ヨーロッパ代表がここにいるローラン・ボックに決定しております(この後リング上にいたボックが猪木にシングルでの対戦を要求)とブチ上げた後、「今、蔵前国技館を満員に出来るのは新日本プロレスだけであります!」と得意気にアピールしました。
この日の3日後の9日北海道・羅臼大会を最後に団体が崩壊してしまう国際プロレスはもとより、馬場の全日本プロレスもタイガー・ジェット・シンを引き抜き返したとは言え興行、テレビ視聴率では新日本に引き離され苦戦していました。
77年5月14日日本武道館大会を最後に東京の1万人収容規模の大会場では年末の「世界最強タッグ決定リーグ戦」(世界オープン・タッグ選手権含む)以外は単独で興行が打てない状況にありました。(78年2月18日、蔵前での日韓三軍対抗戦は国際、韓国の金一道場との共同開催なので除外)
79年4月からは日本テレビの中継も毎週土曜日17時30分からとゴールデンから外され、それに伴い放映権料収入も毎週1,000万円から550万円(推定)に大幅減収となりました。
新日本プロレスに比べ外国人レスラーにかかる経費が過大な全日本プロレスの経営は悪化していた訳です。
外国人レスラーの源泉所得税が滞納しているという噂が上がったのもこの時期で、新日本プロレスのブッチャー、タイガー戸口引き抜きは彼等の力が必要だったというより全日本の経営危機を聞きつけての「馬場潰し」だった事は明らかでした。
しかし、日本テレビ社長から読売新聞社の社長に就任していた小林与三次氏の「プロレスはプロ野球と同じで正力(松太郎)さんの遺産、撤退はしない」
という方針から、この年元運動部長だった総務部次長の松根光雄氏が役員として日本テレビから出向しテコ入れがなされています。(松根氏は翌82年1月1日付で全日本の社長に就任、馬場は会長になった)
さて、新日本の蔵前大会のメイン、猪木vsスーパースターの一戦は12分18秒、猪木が78年5月20日秋田での藤波戦以来となった久々のジャーマン・スープレックスホールドでスーパースターに完勝しました。
「首を痛めてジャーマンができなくなった」と言われていた猪木のジャーマンでのフィニッシュはファンを熱狂させました。
敗れたMスーパースターは約束通り猪木にマスクを剥がされましたがセコンドにいたスタンリー・レーン、フランク・サベージが素早くスーパースターの顔にタオルを被せて退場させ、リング上で素顔を曝す事なく会場を後にし、観客の怒りを買ってしまいました。
Mスーパースターの正体は77年3月の初参戦の時からボロ・モンゴルと判明しており、今更な感が強く、その後10月には素顔でビリー・クラッシャーとして来日しているところからこの時の素顔隠しに何の意味があったのかはわかりません。
「今日の明け方、ゴッチ(カール)の夢を見た」と試合後にコメントした猪木のジャーマンが見られた事で観客は満足してしまい、この時のスーパースターの件は暴動とかあまり騒ぎにはなりませんでした。
【正解解説】75年1月にアメリカ東部地区に設立された新団体IWAは前年業績不振から興行活動をクローズしたNWFのオーナーであったジョニー・パワーズとペドロ・マルチネスが、全米プロバスケットボールリーグ、WFLの放映権を持ち、全米3大ネットワークABCで放送し巨万の富を得ていた富豪エディ・アイホーンにスポンサード依頼をして旗揚げした団体でした。
アイホーンもまた、バスケットボールリーグ、フットボールがオフシーズンの間のコンテンツとしてプロレスに魅力を感じており、利害が一致しました。
初代IWA世界ヘビー級王者にはミル・マスカラスが認定されました。ABCネットワークを通して徐々に全米に浸透していったIWAは7月10日、WWWFの本拠地であるニューヨークからハドソン川を挟んでほど近いところにあるニュージャージー州ジャージーシティのルーズベルト・スタジアムでビッグマッチを開催。
IWAはWWWFのトップヒールであり、「ブルーノ・サンマルチノを倒した男」、元WWWF世界ヘビー級王者、イワン・コロフの引き抜きに成功。ビンス・マクマホン・シニアにとってコロフを抜かれたことは大ダメージでした。
当日は22,000人の大観衆を集め、メインイベントはマスカラスのIWA世界ヘビー級王座にコロフが挑戦。1ー1から両者リングアウトで引き分けとなっています。
IWAはこの他、世界タッグ王者チームにジート&ボロのザ・モンゴルズ、ノースアメリカン王者にブルドッグ・ブラワーを認定、パワーズ、アーニー・ラッド、クルト・フォン・ヘス、ハートフォード&レジナルドのラブ・ブラザーズ、テキサス・マッケンジーら元NWFの残党が参戦していました。
東部進出第1戦を成功させたIWAは翌月の8月7日にも同所でマスカラスvsラッドのタイトル戦を組みましたが15,000人と前回程は集まらず。1−1からマスカラスが反則勝ちを拾いタイトル防衛に成功。
この大会で鉄人テーズが59歳でカムバックを果たしました。今でこそ還暦過ぎの現役プロレスラーは珍しくないですが、半世紀前は40歳過ぎればロートルの部類に入り、「さすがテーズ」とファンを唸らせました。
テーズはエリック・ザ・アニマルとして74年2月に新日本プロレスに来日したE・ザ・レッドとシングルマッチ30分1本勝負で対戦、正面飛びのドロップキックの奇襲を見せましたが5分35秒、反則勝ちに終っています。
この大会にはロサンゼルスでハリウッド・ブロンドスとの激闘を終えた猪木が来場しテーズに来日をオファー。10月9日蔵前国技館での猪木vsテーズのNWF世界ヘビー級選手権試合が決定しています。
9月1日同所でマスカラスvsラッドの再戦をメインに第3弾興行を開催しましたが、こちらが8,000人と惨敗。パワーズとマルチネスはアイホーンに追加資金の援助を申出しましたが謝絶され、IWAは1年足らずで崩壊しました。
ビンス・シニアはコロフを引き抜き返して興行戦争に勝利しましたが、このIWAの手法を後の84年に息子のビンスがビジネスモデルとして全米制圧に乗り出した訳です。
※対戦成績は402戦63勝339敗、勝率157。
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