第389戦、5月8日(木)発売号●【予想】突如新日本を襲撃したタイガー・ジェット・シンが来日第1戦(73年新日本プロレス熊本市体育館)【正解】50年前に全米マットに大戦争を巻き起こしたIWA、IWA世界ヘビー級選手権試合、ミル・マスカラスvsエリック・ザ・レッド(75年5月7日【現地時間】フロリダ州マイアミビーチ・マリンスタジアム)
【参考】2014年5月7日発売号は、マット界の眠狂四郎」がメヒコ仕込みの奇襲で鬼軍曹を圧倒、第2回ワールド・リーグ戦公式戦、山本小鉄vs柴田勝久(75年新日本プロレス島根県浜田市民体育館)
【予想解説】GW編成に付き、この週も1日遅れて5月8日発売となりました。
タイガー・ジェット・シンは本名ジャジット・シン・ハンス、1944年4月3日インドのパンジャブ州ルディヤーナー生まれ。軍隊を退役後、インド・レスリングの英雄グレート・ガマ流のレスリング・テクニックを身につけて1965年にシンガポールでレスラーとしてデビュー、その後カナダへ渡ったとされています。
カナダではジャイアント馬場のアメリカ修行時代の師匠でもあるフレッド・アトキンスに正統派レスリングを叩き込まれ、オンタリオ州トロントを拠点とするNWAメープル・リーフ・レスリングにおいて1965年9月にデビュー。翌66年7月31日には師匠のアトキンスとタッグを組み、同地区のインターナショナル・タッグ王座をホイッパー・ビリー・ワトソン&ブルドッグ・ブラワー組から獲得。
67年6月11日ジョニー・バレンタインを破ってUSヘビー級王座を獲得、日本では無名の存在であったが、以降は当時のトロント地区で完全にメインイベンターの地位を確立。同年は7月23日にジン・キニスキーのNWA世界ヘビー級王座、9月24日と10月15日にはブルーノ・サンマルチノのWWWF世界ヘビー級王座に其々挑戦しています。
バレンタインから奪取したUSヘビー級王座は、エドワード・カーペンティアやドン・レオ・ジョナサンなどのビッグネームを相手に防衛を続け、68年5月まで保持していた。
ベビーフェイスに転向すると、インド移民の多いカナダでの人気はさらに上昇、71年2月に行われたザ・シークとのシングルマッチでは18,000人を超える観衆を集め、当時の年収は約8万ドルにも達していたと言います。
同年はオーストラリアへ遠征しジム・バーネット主宰のワールド・チャンピオンシップ・レスリングに参戦してスパイロス・アリオンとも対戦、5月30日にミスター・フジと組んでマーク・ルーイン&キング・イヤウケア組から豪州版のIWA世界タッグ王座を奪取しました。
73年初来日直前もオーストラリアを主戦場とし、スティーブ・リッカードらとツアーを同行する。このリッカードとの邂逅がきっかけで、後にシンは日本で大成功を収めことになります。
72年、アントニオ猪木を代表に新日本プロレスが旗揚げされましたが、当時ネームバリューの高い外国人選手のほとんどは、新日本プロレスへの参戦が事
実上不可能でした。
また、創立間もない新日本プロレスは高額のギャラを外国人レスラーに払える状況では無く、無名の選手を育て上げるしかなく、そういった背景があって、シンを新日本プロレスに売り込んだのは、当時インドと独自のネットワークを築いていた吉田なる貿易商とされています。
この吉田氏が香港でシンの試合を観戦し、新日本プロレスに紹介したといわれています。猪木が口にナイフを咥えているシンの宣材写真を見て「ナイフなんかじゃ面白くねぇよ、どうせならサーベルでも咥えさせてみろ」と語ったというエピソードはよく知られています。
このような状況で73年の5月「ゴールデン・ファイト・シリーズ」にシンは初来日。ただし、本来は同年7月からの「サマー・ビッグ・ファイト・シリーズ」に参戦する予定だったのが、新日本プロレス渉外担当者の手続きに間違いがあり、シンは2か月早く来日してしまいました。
そこで5月4日、会場の川崎市体育館の客席にシンを招いた。リングサイド最前列に座っていたところこの日のセミファイナル、山本小鉄vsスティーブ・リッカードの試合中、シンは突如乱入し小鉄をメッタ打ちにした後、コブラクローで小鉄を絞め落とし、メインイベント出場予定の猪木とリング上で対峙しています。
この時猪木は観客の反応に手応えを感じ、シンは興行の目玉レスラーになると考え、急遽渉外担当に命じシンを一旦香港へ向かわせ業務用ビザに書き替えし後に日本へ戻るよう指示した。その間新日本プロレスは前述の猪木案を実現すべく、日本国内でサーベルを手配し、日本に戻ってきたシンに与えました。
シンは5月8日の熊本市体育館から試合に出場、来日第1戦では柴田勝久とシングルマッチ30分1本勝負で対戦、3分42秒、コブラクローで完勝しています。
【正解解説】75年1月にアメリカ東部地区に設立された新団体IWAは前年業績不振から興行活動をクローズしたNWFのオーナーであったジョニー・パワーズとペドロ・マルチネスが、全米プロバスケットボールリーグ、WFLの放映権を持ち、全米3大ネットワークABCで放送し巨万の富を得ていた富豪エディ・アイホーンにスポンサード依頼をして旗揚げした団体でした。
アイホーンもまた、バスケットボールリーグ、フットボールがオフシーズンの間のコンテンツとしてプロレスに魅力を感じており、利害が一致しました。
初代IWA世界ヘビー級王者は1月19日に王座決定戦でユーゴ・バビッチを破ったとされるミル・マスカラスが認定されました。
この日、IWAはフロリダマイアミビーチ・マリンスタジアムで興行を開催、6,950人の観衆を集め、マスカラスがEレッドを破り王座防衛に成功。
ABCネットワークを通して徐々に全米に浸透していったIWAは7月10日、WWWFの本拠地であるニューヨークからハドソン川を挟んでほど近いところにあるニュージャージー州ジャージーシティのルーズベルト・スタジアムでビッグマッチを開催。
IWAはWWWFのトップヒールであり、「ブルーノ・サンマルチノを倒した男」、元WWWF世界ヘビー級王者、イワン・コロフの引き抜きに成功。ビンス・マクマホン・シニアにとってコロフを抜かれたことは大ダメージでした。
当日は22,000人の大観衆を集め、メインイベントはマスカラスのIWA世界ヘビー級王座にコロフが挑戦。1ー1から両者リングアウトで引き分けとなっています。
IWAはこの他、世界タッグ王者チームにジート&ボロのザ・モンゴルズ、ノースアメリカン王者にブルドッグ・ブラワーを認定、パワーズ、アーニー・ラッド、クルト・フォン・ヘス、ハートフォード&レジナルドのラブ・ブラザーズ、テキサス・マッケンジーら元NWFの残党が参戦していました。
東部進出第1戦を成功させたIWAは翌月の8月7日にも同所でマスカラスvsラッドのタイトル戦を組みましたが15,000人と前回程は集まらず。9月1日、同所でマスカラスvsラッドの再戦をメインに第3弾興行を開催しましたが、こちらが8,000人と惨敗。パワーズとマルチネスはアイホーンに追加資金の援助を申出しましたが謝絶され、IWAは1年足らずで崩壊しました。
※対戦成績は389戦61勝328敗、勝率157。
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