第373戦、1月15日発売号●【予想】ハンセン、全日本登場第1戦で原を撃破、スタン・ハンセンvs阿修羅・原(82年全日本プロレス木更津市倉形スポーツ会館)【正解】団体離脱を決意したあとの消化試合&無気力防衛戦、IWA世界ヘビー級選手権試合 ストロング小林vsビル・ワット(74年1月14日国際プロレス寝屋川市市民体育館)
【参考】2020年1月15日発売号は●【予想】力道山、インターナショナル王座生涯唯一の反則負け防衛、vsジム・ライト(60年日本プロレス大阪府立体育会館)【正解】22歳の猪木に“やすらぎ”を与えた雄大なるオレゴン、アントニオvsマッド・ラシアン(65年オレゴン州ポートランド)※2014年1月15日発売号はハンセンが全日本登場初戦で阿修羅を爆殺!(今回予想に同じ)
【予想解説】スタン・ハンセン全日本プロレス参戦第1戦となったのは82年1月15日、木更津市倉形スポーツ会館(テレビ収録)。
ハンセンの初来日は若手時代の75年9月、全日本のジャイアント・シリーズでしたので約6年4か月ぶりの全日本復帰となりました。会場の木更津市倉形スポーツ会館は超満員の観客で膨れ上がり、観客は6,700人発表。
私はこの会場93年5月30日に1度だけ全日本プロレスを見に行ったことがありますが、どう見てもそんなに入るハコではなく(定員は2,100人)3倍以上の水増し発表でした。
日本テレビに取ってもハンセンは大枚使って獲得した大物であり、気合いの入り方が違いました。成田空港に降り立ったハンセンをテレビカメラが追いかけ、空港から東京のホテルに向かう移動のシーンを撮影しました。
翌日1月16日に録画放送された全日本プロレス中継ではハンセンの成田到着を密着レポ。
初来日の時の映像である75年10月30日、蔵前国技館でのザ・デストロイヤーとの試合(足4の字固めで負け)も放送されています。
ハンセンはセミファイナルで阿修羅・原とのシングル対決。ジャンピング・ニー、エルボードロップと畳み掛け、2分25秒、強烈なウェスタン・ラリアット一発から体固めで豪快に快勝しています。
【正解解説】74年1月14日大阪寝屋川市市民体育館(観衆1,500人発表)大会で小林は「新春パイオニア・シリーズ」参加エース外国人であるビル・ワットとIWA世界ヘビー級王座初防衛戦を行っています。同シリーズは1月5日に北九州市小倉区三萩野体育館で開幕。
これまでの九州、中国、近畿巡業では観客を3〜4,000人動員していますが、国際プロレスが大阪では客が入らないのは府立体育会館に限らず、タイトルマッチを組んでも不入りに変わりなかったです。
1本目は12分20秒、ワットがオクラホマ・スタンピートから体固め、2本目は4分20秒、小林がブレーンバスターから体固め、決勝の3本目は2分4秒、ワットが阿部脩レフェリーに暴行を加えて反則負けとなり2−1で小林が辛くも初防衛に成功しました。
1月19日神奈川県川崎市体育館(テレビ収録、観衆3,000人発表)大会では1月14日、寝屋川大会での再戦、小林のIWA世界ヘビー級王座にワットが再挑戦。1本目は13分1秒、ワットがオクラホマ・スタンピートから片エビ固め、2本目はストレート勝ちを狙って一気にオクラホマ・スタンピートに来たワットでしたが、小林は足をロープに伸してエスケープ、さらにコーナーで攻撃しようとするワットを阿部レフェリーが制しました。怒ったワットは小林の身体をレフェリーにぶつけて1分54秒、小林の反則勝ち。決勝の3本目は1分18秒、小林がアトミック・ドロップからの片エビ固めでワットを破り2−1で小林が2度目の王座防衛を果たしました。
この試合が小林の最後のIWA世界ヘビー級王座防衛戦となった訳です。
※対戦成績は373戦60勝313敗、勝率161。
ログインしてコメントを確認・投稿する