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2026年01月07日07:15

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週プロ流智美あの日あの時予想2025年総括(1)

2025年までの対戦成績は371戦59勝312敗、勝率159。

第372戦、1月8日発売号◯【予想】神様ゴッチ、生涯最後の試合、カール・ゴッチvs木戸修(82年新日本プロレス後楽園ホール)【正解】ゴッチの生涯ラスト試合に花を添えた夢の6人タッグ(同)

【参考】2020年1月8日発売号は●【予想】猪木、雪害の為会場入り出来ずインターナショナル・タッグ選手権試合は王座決定戦に変更、ジャイアント馬場&吉村道明組vsクラッシャー・リソワスキー&ビル・ミラー組(68年日本プロレス広島県立体育館)【正解】「超プロレス人気」が降下を始めた50年前、万博イヤー」(70年)※2014年1月8日発売号は天龍vsキング・ハク(91年SWS名古屋・露橋スポーツセンター)

【解説】2025年は初回から白星発進という縁起のよさでスタートしました。

トップ外国人レスラーだったスタン・ハンセンが全日本プロレスに電撃移籍するという「ハンセン・ショック」に見舞われた新日本プロレスでしたが、82年は団体創設以来初となる元日興行「創立10周年記念興行第5弾新春3大スーパーファイト」を1月1日に後楽園ホールで開催、超満員3300人の観衆を動員しています。

私はこの大会、当日券を買おうと後楽園ホールに行ったところ、売切で買えず、元日からガックリと肩を落として帰宅し、自宅で19時30分からのテレビ生中継(この日は金曜日で特番枠)で我慢しました。

私がプロレス観戦で当日券を買いに行って買えずに帰ったのは実は過去に3回あります。

1回目がこの時、2回目は翌83年1月6日の新日本プロレス後楽園ホール(アントニオ猪木&藤波辰巳組vsラッシャー木村&アニマル浜口組、坂口征二&キラー・カーン組vsマサ齋藤組&長州力組、タイガーマスクvs小林邦昭のNWA世界ジュニア・ヘビー級選手権試合)

3回目は大学を卒業し、社会に入ってからの87年1月14日新日本プロレス後楽園ホール大会、急遽決まった藤波vs木村健吾ワンマッチ興行(これは前売なしの当日券のみの発売)いずれも1月新日本、後楽園ホールでした。

テレビ放送が始まると日本側全選手入場式の後のサインボール投げからスタート。

続いてカール・ゴッチvs藤原喜明のエキシビションマッチ30分1本勝負。ゴッチが新日本プロレスに選手として上がるのは74年8月8日日大講堂での猪木戦以来約7年半ぶりのことでした。

57歳となっていたゴッチは3分27秒、鮮やかなジャーマン・スープレックスホールドで藤原をフォールし、客席から大歓声が沸き上がりました。

長州は浜口とのシングルマッチ。私の記憶ではこの時初めて長州のテーマ曲として「パワーホール」が会場で流されたと思います。

長州が初めてラリアットを披露、後のリキ・ラリアットにはまだまだ及ばない出来で、自らも腕を痛めたようでした。試合は8分46秒、両者リングアウトの引き分けとなっています。

藤波のヘビー級転向により返上されたWWFジュニア・ヘビー級王座決定戦がタイガーマスクとダイナマイト・キッドの間で争われました。

試合は前年12月8日蔵前国技館でのカネック戦で痛めた左足の負傷の回復具合が気になるタイガーがキッドの猛攻に苦戦しました。

キッドのジャンプしてのバックドロップ、ツームストン・パイルドライバーに追い込まれたタイガーはキッドの一瞬の隙を突いての横入り式エビ固め。

8分31秒、カウント3が入りタイガーマスクが新王者となっていますが、不本意な勝利でした。

ヘビー級転向の藤波は、ボブ・バックランドのWWFヘビー級王座に挑戦。この試合はこの日からスタートした「飛龍十番勝負」第1戦として行われています。

試合は藤波がバックランド戦に多用するキーロック(ショート・アームシザース)で攻勢に出ましたがバックランドはこれを持ち上げてコーナーへ。

両者リング中央でのエビ固めの応酬を展開、しかし、バックランドが上になったところでレフェリーの山本小鉄がカウント3を入れてしまい、試合は唐突に終了。

12分36秒、バックランドがエビ固めで勝利。王座防衛を果たしていますが、テレビ生中継の残り放送時間を気にした小鉄が本来3つ入れるところでない場面で強引に終わらせてしまった感は否めませんでした。

これには負けた藤波はもちろん、勝ったバックランドも納得いかない様子でしたが、バックランドはリング下にいた新間寿営業本部長(WWF会長)に何事かささやかれると納得したか、マイクで「HAPPY NEW YEAR!」と叫んでリングを降りました。

90分枠(84分)で既に4試合放送されテレビの残り放送時間はあと僅か。メインイベントは猪木とローラン・ボックがついに日本でシングル対決。

78年11月26日西ドイツ・シュツットガルト・ギルスベルクホールで行われた欧州世界選手権シリーズ決勝戦以来3年1か月ぶりの両者のシングル対決は特別立会人をゴッチが勤めています。試合は5分10ラウンドで行われ、2ラウンドの途中でテレビ中継は残念ながら終了。

翌週8日のワールドプロレスリングの通常枠の中で試合の続きがダイジェストで放送されています。

ボックの妥協なきフロント・スープレックスが猪木を追い込むも猪木もアリ・キックで反撃。

第3ラウンド、猪木の延髄斬りがボックの後頭部を的確に捉えました。怒ったボックはエプロンからリング内の猪木にスリーパーホールド。

しかし、これは明らかに反則。制止に入ったレフェリーのミスター高橋を突き飛ばすボック、あわてて立会人のゴッチがリングに入る。3分16秒、ボックの反則負けとなり、判定に不満の猪木とボックはゴッチの面前で再戦を要求しました。

ボックは3月に開催が予定されていた「第5回MSGシリーズ」に特別参加が発表されましたが来日はキャンセルされ、この試合が日本でのボックの最後の試合となってしまったのは残念な限りでした。


翌週の1月8日には後楽園ホールで82年「新春黄金シリーズ」が開幕。アブドーラ・ザ・ブッチャー、ワフー・マクダニエル、バッドニュース・アレン、スーパースター・ビリー・グラハム、S・D・ジョーンズ、ダイナマイト・キッド、ブレッド・ハート、ベビー・フェイス、エル・ハルコンの外国人選手が参戦。元日に続いてカール・ゴッチが開幕戦のみ特別参加しています。

ブッチャーは3度目の新日本参戦、アレン、初来日のジョーンズと黒い軍団を結成しての来日となりました。

ワフーは新日本初参戦、80年10月までは全日本プロレスのレギュラー外国人であり、引き抜き抗争の中での来日でしたが、ハンセンが全日本に行った直後であり、あまり話題にはならず、割りを食ってしまった感はありました。

元WWWFヘビー級王者グラハムは79年4月に国際プロレスに来日して以来の参戦となりましたがその間表舞台から姿を消しており、「癌で死んだ」という説がまことしやかに流れていました。

実際はステロイド使用による副作用により体調を崩しており、ビルドアップされていた肉体は萎んでしまい、カンフースタイルのムーブを試合に取り入れたりしていましたが、衰えは明らかでした。

キッド、ハート、フェイスは対タイガーマスク要員としての参戦、軽量級もメンバーが充実。

ハルコンは別の連載でも書きましたが77年に初代ハルコンがマスカラ戦でミル・マスカラスに敗れ素顔になった後の78年にデビューした2代目で、ハルコン78を名乗っていました。

開幕戦のメインイベントは猪木&藤波&タイガーマスクの3人がトリオを結成。ブッチャー&キッド&Bフェイス組と対戦、タイガーマスクとブッチャーが初顔合わせとなりましたが、タイガーのローリング・ソバットはブッチャーの分厚い肉の壁の前には通じず。

1本目は藤波がフェースを体固め。2本目はタイガーのプランチャを場外で受けたブッチャーがフェンス越しにタイガーを投げ付けて反則となり、2-0で日本組がストレート勝ちになっています。

ワフーの新日本第1戦は全日本、ノースカロライナで何度も闘っているタイガー戸口とセミファイナルでシングル対決で両者リングアウト。

グラハムは長州力にリングアウト勝ち、ゴッチは「息子」と呼んでいた日本プロレス時代のゴッチ教室時代からの愛弟子である木戸修と対戦。

元日の藤原戦に続き3分50秒にジャーマン・スープレックスホールドでフォール勝ちをしています。この試合がゴッチのラストマッチとなりました。

この日はテレビ生中継でしたが、放送の最初に前週に生放送で途中で中継が終わってしました猪木vsボック戦の続きが放送されたこともあり、ゴッチの試合はテレビに入りませんでした。

※対戦成績は372戦60勝312敗、勝率161。
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