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2025年03月01日08:34

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【特別編】マイティ井上さん追悼(37)

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84年11月12日新日本プロレスの「第5回MSGタッグ・リーグ戦」に参加が発表されていたダイナマイト・キッド&デイビーボーイ・スミス組が来日。成田新東京国際空港に姿現した2人に近寄ってガッチリと握手をかわしたのは全日本プロレスの米沢良蔵渉外部長でした。

キッドは「オレたちはニュージャパンではない、オールジャパンへ来た」と、何と11月22日千葉県松戸市運動公園体育館で開幕する「世界最強タッグ決定リーグ戦」への参加を表明するという前代未聞のハプニングが勃発しました。81年12月のスタン・ハンセンの全日本プロレス移籍事件に匹敵する衝撃的な出来事でした。

9月に馬場が記者会見を行い、リーグ戦の組み合わせを発表した際、「もうひとつ8番目のチームの参加を予定しています。近日中に記者発表できると思うが、NWA系のかなりの大物チーム」コメントしていました。その8番目のチームがキッド&スミス組でした。

11月14日キッドとスミス、それに引き抜きに関与したマネージャーのミスター・ヒト(安達勝治)が永田町・キャピトル東急ホテルで移籍の事情を説明して、心境を語った。

キッド、スミスの主戦場だったカナダ・カルガリーのプロモーター、スチュ・ハートが興行権をWWFに売却。キッド、スミスら数人を除いて20人近くいたレスラーはお払い箱となってしまいました。2人はWWFのカナダ周辺のサーキットを廻りましたが、すぐ反旗を翻し「WWFと太いパイプでつながっている新日本に出場するわけにはいかない。」と語りました。

キッドは「俺達はアメリカで勝負したいんだ。その為には馬場の『顔』が必要、アメリカでは猪木より馬場だ。ましてやWWFのサーキットは我々にとって屈辱でしかなかった。」と続けます。

馬場は「同時期に新日本が呼んでいた選手だけに使いたくはなかった。しかし、NWA側の意向とキッド、スミスの強い要望があったので、登場させることにした。米国レスリングウォーの副産物。NWA副会長(この年8月のNWA総会で第一副会長に就任していた)の立場としてキッド、スミスを使うんだ」と釈明しましたが、これは馬場一流のオトボケであり、全くのデタラメ。

会見の席では今回は仕掛人と言われていたヒトがまくし立てます。「2人から全日本に行きたいと相談されたんで、2週間前に馬場さんに話した。新日本の若手を一人前にしてやったのに俺の報酬は5,000ドル(当時邦貨で約1,250万円)だけだ。2年も3年もかかった。オレは売り出すアイデアを考え、飯を食わせ、7人乗りのマイクロバスを買い、選手を会場に送り迎えしてやったんだ、ザ・コブラ、ヒロ斉藤、高野俊二は俺が育てた選手、いつでも彼らをキープ出来る。アントニオ猪木や坂口征二は俺の顔がマトモに見られるかい?!」と新日本プロレスに対する恨みつらみをぶちまけました。

「キッド、スミスが全日本プロレスへ」という情報を聞きつけた新日本プロレスの坂口副社長が会見の場に姿を見せ、馬場会長に契約書のコピーを手渡して1時間16分にも及ぶ「トップ会談」を行うというハプニングもありました。坂口は何かあったらと腕時計を外して車に乗り会見の場に乗り込んだと言います。

11月16日午後3時、新日本プロレスの「第5回MSGタッグ・リーグ戦」に立会人として招かれていたWWF代表でタイタン・スポーツ代表のビンス・マクマホンと坂口、通訳のケン田島が車に同乗し、キャピトル東急ホテルの馬場を訪問。坂口は両者の会議途中で引き揚げ、後は通訳の田島を挟んで馬場とビンスによる直接対談が行われていますが、内容は藪の中…。

いずれにしてもビンスにキッド、スミスの全日本プロレス参戦に対する抑止力は何もなかったということだけははっきりしました。

キッド、スミスが成田空港に到着した時、空港で張り込みをしていた「東京スポーツ」の全日本プロレス番記者川野辺修記者は移籍するという情報をつかんでいました。この時の話が面白いので一部抜粋して引用してみたいと思います。

「移籍した年(84年)の夏、恵那さん(ロサンゼルスで全日本プロレスの外国人レスラーが乗る航空機のチケットの手配をしていたエージェントでニュージャパン・トラベルセンター代表)が来日したので銀座の焼き鳥屋で会食した。恵那さんが『面白いことが起きますよ』というので根掘り葉掘り探りを入れた結果、判明した。」

「10月にはキッド、スミスのビザが下りて、恵那さんに2人を飛行機に乗せたという確認を取って1面用に「キッド移籍」原稿を書いた。ところが、新日本プロレス派だった桜井(康雄編集局長)さんと永島(勝司)さんが新日本プロレスのエージェントである鯨岡チカさんに連絡を取って『そんなことは絶対ない』と言われたと原稿をボツにされてしまった。裏を取って書いたのに…あれには腹が立ったね」

「安達は単なるメッセンジャー。声をかけたのはドリー(ファンク・ジュニア)」だよ。81年に新日本が(アブドーラ・ザ・)ブッチャーを引き抜いたでしょ?あれで馬場さんが怒ったよね。その年の5月くらいだったか、馬場さんに『(タイガー・ジェット・)シンもハンセンもウチに来る。キッドも。まだ書くなよ、書いたらお前のところ(東スポ)とは絶縁だ』そう言われた。上田とスミスは付録でしょ」と明かしています。

ただシン、ハンセン引き抜きからキッドまで3年経っており、若干の記憶違いはあるかと思いますが…。

ヒトの新日本プロレスの扱いの酷さに対する怨みによる引き抜きではなくヒトは「役者」であり馬場自身がドリーを使って直接引き抜きをかけていたというのは定説が覆りました。

キッド&スミスはヘビー級戦士として全日本プロレスに上がることになりましたが、大型揃いの全日本プロレスの外国人の中では小さい部類に属し、NWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王者であるマイティ井上とも対戦の機会が増えそうです。

馬場、ビンス会談が行われた11月16日は全日本プロレスは後楽園ホールでジャパンプロレス提携記念チャリティー興行(観衆2,800人発表)を開催。

井上は第2試合に出場、石川敬士とのタッグで渕正伸(正信)&マジック・ドラゴン組と対戦し20分時間切れ引き分けとなりました。

キッド&スミス組はグレート小鹿&大熊元司組の極道コンビと全日本プロレス登場第1戦を行い、スミスが大熊をオクラホマ・スタンピートで叩きつけ、コーナーポスト最上段で待ち構えていたキッドにタッチ、キッドがダイビング・ヘッドバットを決めて僅か2分4秒、大熊を体固めで破り、キッド&スミス組が完勝しました。

メインイベントは馬場&天龍源一郎組と鶴田&タイガーマスク組の同門対決のエキシビションマッチ10分1本勝負で試合を終えたキッド&スミスが乱入し7分2秒、ノーコンテストになりました。
  
メインに乱入したキッドはタイガーマスクを指差して対戦をアピール、急拠3分間のシングルマッチが組まれ時間切れとなっています。チャリティー興行でのキッド&スミスはあくまで「チラ見せ」で続きは本編の最強タッグでどうぞ、という感じでした。
  
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