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2025年02月07日07:44

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週プロ流智美あの日あの時予想2024年総括(32)

第353戦、8月21日発売号●【予想】猪木、左膝ウィルス性関節炎で長期欠場を発表(75年8月22日新日本プロレス高崎市体育館)【正解】フランケンシュタイン”が暴露した名門マーケットの断末魔、ザ・モンスターがロスを席巻(81年8月9日ロサンゼルス)

※参考 8月14日週の発売号は休刊、2019年は8月17日(土)に発売、●【予想】大阪夏の陣、興行戦争。(67年8月14日日本プロレス大阪球場、国際プロレス大阪府立体育会館)【正解】「十番勝負」の限界を露呈した即席の“黒い悪魔”ザ・デストロイヤーvsブラック・デビル(75年8月16日全日本プロレス世田谷区立総合体育館)この時点での対戦成績は98戦19勝79敗、勝率194。2013年は8月16日(金)に発売、新日本プロレスパキスタン遠征。(84年8月6日ペシャワール・スタジアム〜15日イスラマバード・ラウンビンディ・アルミン・スポーツ・コントロール・コメンティ・スタジアム)

2019年8月21日発売号は○【予想】黒い呪術師アブドーラ・ザ・ブッチャー、初来日第1戦、馬場&猪木組vsブッチャー&カール・ハイジンガー。(70年日本プロレス後楽園ホール)【正解】ブッチャーが初来日で大きなインパクト!(同)この時点での対戦成績は99戦20勝79敗、勝率206。2013年8月21日発売号は馬場がNWA第一副会長に就任したNWA総会。(84年ネバダ州ラスベガス・デューンズホテル)

【予想解説】75年8月1日、ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムで坂口征二と組んでのジェリー・ブラウン&バディ・ロバーツ組のハリウッド・ブロンドスとの北米タッグ王座を賭けた死闘を大苦戦の挙げ句、ノーコンテスト、タイトル預りとなった猪木。

8月3日には滞在先のロサンゼルスで3度目の申請となったNWA加盟が認められたとの報を聞きました。

その後アメリカ東部マット界で勃発していた米IWAとWWWFのレスリング・ウォーの現場を視察、8月7日にはIWAのニュージャージー州ジャージーシティ・ルーズベルトスタジアム大会の会場に現れ、IWAのエースであり同世界ヘビー級王者のミル・マスカラスと会談。

また、この大会で鉄人ルー・テーズがエリック・ザ・レッドを相手に59歳で復帰戦を行い、反則勝ち。テーズとも会談を持ち、次期「闘魂シリーズ」最終戦、10月9日、蔵前国技館での猪木のNWF世界ヘビー級王座初防衛戦の相手としてオファーしています。

2日後の8月9日には提携先であるニューヨークMSGのWWWF定期戦を訪問、ビンス・マクマホン・シニアを表敬訪問した他、親馬場派である同ヘビー級王者、ブルーノ・サンマルチノとも会談の場を持ちました

米マットの視察を終えた猪木は8月14日に帰国、8月19日には世田谷区野毛の新日本プロレス道場で8月22日、群馬県高崎市体育館から開幕する次期「闘魂シリーズ」に向けて調整の為の練習に入りましたが、ここで左膝に痛みを感じ始め、翌8月20日には、新日本プロレス入団を祝して新たに結成された「ストロング小林後援会」発足パーティーに出席するも、その夜に40℃という高熱に襲われてしまいました。

とりあえず猪木は応急処置として自宅近所の病院に駆け込んで強い麻酔注射を打ってもらい、翌朝には主治医である菊屋橋病院院長・佐藤三蔵氏の治療を受けると「左膝ウィルス性関節炎」(蜂窩織炎)との診断を受けました。

ウィルス性関節炎は、関節液や関節組織の感染症で、通常は細菌感染が原因というのが一般的で、ウイルスや真菌の感染によって起こることもあると言われており、8月1日ロサンゼルスでのハリウッド・ブロンドス戦で凶器攻撃を受けた際切り傷が出来て、そこから細菌が入り込んで膝関節に広がり、痛みや高熱を起こしていました。

凶器攻撃が直接的な原因ではなく、要因はリングマットに無数に付着しているウィルスによるものでした。

猪木は即入院となり、シリーズは欠場、「無事是名馬」の馬場とは違い、怪我による欠場も多かった猪木ですが、これほどの重傷による欠場はこの時が初めて。

ノーコンテストによりカリフォルニア州アスレチック・コミッショナー預かりとなっていた北米タッグ王座ですが、猪木&坂口は日本で、Hブロンドスはロサンゼルスでの王座決定戦を主張していましたが、前王者である猪木&坂口の主張が通り、このシリーズ日本で王座決定戦が行われることになりました。しかし、肝心の猪木は欠場…。

8月25日、南青山の新日本プロレス事務所に猪木、坂口、取締役として入団したストロング小林が加わり緊急座談会が行なわれ、S小林が「猪木さん、北米タッグは僕に任せて無理せず治療に専念して下さい」と促し、9月22日、愛知県体育館で行われるHブロンドスとの北米タッグ王座決定戦は猪木の代わりにS小林が出場すると表明しています。(後日決定)

猪木の欠場は4週間の長期に亘り、9月11日、福岡スポーツセンター大会に来場しリングに上がって観客に挨拶、テレビのゲスト解説を務めました。

9月19日、千葉公園体育館でのジャック・ルージョー戦で力道山ばりの黒のロングタイツを着用して復帰戦を行い、11分13秒、バックドロップからの体固めで勝利を飾りました。

【正解解説】本連載(23)の予想でも衰退していくロサンゼルスマット界の件について触れましたが、実情はさらに深刻だった、ということです。

この年の9月9日に小林邦昭さんが68歳の若さで膵臓癌の為亡くなりました。本稿が週プロに掲載された時点ではまだご存命で、流さんが生前、九州でのイベントで小林と一緒になった際、ロスマットの凋落ぶりについて語っていたことを引用しています。

小林がロサンゼルスに入ったのが翌82年の夏頃で、「虎ハンター」としてタイガーマスクに牙を剥く少し前、既にロサンゼルスでの客入りは酷く10,000人収容のオリンピック・オーデトリアムに観客が500人位しかいなかったこともあったと言います。

小林はロサンゼルスではキッド・コビーのリングネームで82年7月18日(現地時間)カリフォルニア州サンバナディーノでティモシー・フラワーズ�契い鯒砲螢▲瓮螢�ス・ヘビー級王者となりますが、この日時にフランケンシュタインのマスクとコスチュームを着用したザ・モンスターが地方大会前座で試合に出ており、「見ていてバカバカしくて嫌になった」とコメント。

小林と同時期にラッシャー木村(ミスター・トヨ)、剛竜馬(ミスター・ゴー)もロスにおり、剛はモンスターと何回も試合を組まされ「何で俺ばっかり」とこぼしていたそうです。

モンスターの正体はメキシカンのトニー・ロドリゲスで81年8月9日にオリンピック・オーデトリアムに初登場、ザ・シークと対戦しボールペンで刺されまくり失神、9月1日にはアンドレ・ザ・ジャイアントと対戦したものの2分余りで圧殺され、その後は地方回りに格下げされました。

ロサンゼルス地区のプロモーター、マイク・ラベールが主宰していたNWAハリウッド・レスリングは82年12月26日サンバナディーノでの大会を最後にマーケットをクローズ、日本マットと親密関係にあったロサンゼルス地区敢えなく消滅していったのでありました。

※対戦成績は353戦57勝296敗、勝率161。
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