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2025年01月07日07:14

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週プロ流智美あの日あの時予想2024年総括(1)

※2023年までの対戦成績は321戦55勝266敗、勝率171。

第322戦 1月10日発売号●【予想】日本マットに逆上陸した日系レスラー、ミツ荒川、猪木&大木金太郎&星野勘太郎組vsモンゴリアン・ストンパー&ザ・ケンタッキアン&ミツ荒川組(71年1月9日日本プロレス板橋区体育館)【正解】年始興行大戦争! 国際が老舗を視聴率で猛追!TWWA世界ヘビー級選手権試合、ルー・テーズvsサンダー杉山(68年国際プロレス大分県営体育館)

※参考 2018年1月10日発売号は●【予想】元号が「平成」に代わって初のビッグマッチ、前田日明vs高田延彦(90年新生UWF日本武道館)【正解】馬場がエース・鶴田を認めた年初のインター選手権、インターナショナル・ヘビー級選手権試合、鶴田vsスティーブ・オルソノスキー(84年全日本プロレス室蘭市体育館)この時点での対戦成績は18戦5勝13敗、勝率278。

【予想解説】プロレス界に多数存在した「日系レスラー」はグレート東郷、ハロルド坂田、ミスター・モト(チャーリー岩本)、キンジ渋谷、デューク・ケオムカ、ディーン樋口(ホー)、トージョー・ヤマモトなどの本物、プロフェッサー・タナカ、キラー・トーア・カマタなどのポリネシアン系偽日系人など多数存在しましたが、この中で情報量が少ないと思われるのがミツ荒川。

荒川は本名荒川三一(みつかず)、1927年5月23日ハワイ生まれの日系二世。少年時代からスポーツ万能で53年に沖識名にスカウトされプロレス入り。第二次世界大戦当時、広島で家族が原爆で被爆し、その復讐のためにアメリカでプロレスラーになったというギミックで活躍しています。

50年代後半から60年代前半にかけて、長らく同じ日系二世の先渋谷とのコンビで全米を渡り歩き、中西部のミネソタ州ミネアポリスや西海岸のカリフォルニア州サンフランシスコ、カナダのバンクーバーからカルガリーまで遠征しローカルタッグ王座を多数獲得。

シングルプレーヤーとしても、65年1月にオーストラリアにてドン・デヌーチから豪州版IWA世界ヘビー級王座を奪取。66年10月8日にはインディアナ州インディアナポリスにてディック・ザ・ブルーザーを破りインディアナポリス版WWA世界ヘビー級王座を獲得し67年9月30日に同所でウィルバー・スナイダーに敗れるまで1年近い長期政権を築きました。友好関係にあったミネアポリスのAWAのリングにも同時期に上がり、バーン・ガニアのAWA世界ヘビー級王座に複数回挑戦の実績があります。

60年代後半からは、ドクター・モトことカマタと日系コンビを結成。インディアナポリスのWWAではブルーザー&クラッシャー・リソワスキー組の「ブル・クラ」と抗争を展開、67年10月13日にブル・クラを破ってWWA世界タッグ王座を奪取。同年12月2日にはイリノイ州シカゴにてスナイダー&パット・オコーナー組を破りAWA世界タッグ王座にも就きました。タッグ2冠王として、どちらの王座にも1年以上保持しています。

69年、ニューヨークのWWWFに転戦。タナカを新パートナーに、ザ・ライジング・サンズのチーム名でトップヒールタッグチームに。同年6月に新設されたWWWFインターナショナル・タッグ王座の初代王者チームに認定されました。こちらは王座決定戦などは行なわれていないようです。

ヘイスタック・カルホーン&ビクター・リベラ組、キラー・コワルスキー&ジョージ・スチール組、ゴリラ・モンスーン&バロン・シクルナ組などのチームを相手に防衛戦を行い、12月9日ニューヨークMSGでリベラ&トニー・マリノ組にベルトを明け渡すまで半年間ベルトを保持。シングルではブルーノ・サンマルチノのWWWF世界ヘビー級王座に挑戦しています。

アメリカでの実績は十分な荒川は、71年1月の日本プロレス「新春チャンピオン・シリーズ」で初めて日本のマットを踏みましたがこれまでの日系レスラーとは違い、外国人側から参戦しています。

1月9日の板橋大会はNET(テレビ朝日)「ワールドプロレスリング」の収録(11日放送)。荒川はエース格として初来日したMストンパー(アーチ・ゴルディ)&ケンタッキアン(ルーク・ブラウン)とトリオを結成し、猪木&大木&星野組と対戦。1本目は18分21秒、星野か゚荒川を体固め、2本目は8分58秒、荒川が星野を体固め、決勝の3本目は2分36秒、大木がエビ固めでケンタッキアンを破り、2−1で猪木&大木&星野組の勝利。

アメリカでは評価の高かった荒川も日本では中堅どころの扱いで来日は1回だけに終わっています。

帰国後は72年1月19日にニューヨーク州バファローで行われたNWF世界タッグ王座決定トーナメントに日本プロレスから修行に来ていたヨシノサト(高千穂明久)と組んで優勝し王座に就き、またホームのインディアナポリスでは国際プロレスから修行に来ていたヒゴ・ハマグチ(アニマル浜口)の面倒も見たといい、ギャラをピンハネしたとかなどの悪い話も聞きませんでした。

【正解解説】予定では翌1月17日発売号分に仙台・宮城県スポーツセンターでのテーズvs豊登のTWWA世界ヘビー級選手権試合、大木金太郎の引き抜き失敗、翌日ユセフ・トルコが国際プロレスのブッカーとして来日していた東郷に暴行を加えるまでを予想しようと思っていましたが見事に失敗しました。

TBS主導になって初の「オープニング・ワールド・シリーズ」で4週連続テレビ生中継で行われたテーズのTWWA世界戦の中で一番話題性に乏しかったのがこの日の杉山戦だと言えます。

1本目は10分19秒、テーズがフライング・ボディシザースドロップ(空中胴絞め落とし)から体固め、2本目は3分20秒、杉山が雷電ドロップ(ヒップドロップ)の連発から体固め、決勝の3本目は3分21秒、テーズがバックドロップから体固めを決めて2−1で勝ちタイトルを防衛。

前週の1月3日日大講堂で1本目バックドロップで失神、2本目そのまま試合放棄で2−0のストレートで惨敗を喫したエース候補のグレート草津とキャリアは変わらない杉山でしたが、64年東京五輪アマレスグレコローマンスタイル日本代表の杉山だけにテーズが花を持たせて一本取らせた的な評価の試合でした。

視聴率は30.0%を記録。新団体らしい勢いはありましたが、次の「ワールド・タッグ・シリーズ」の途中でブッカーの東郷が「約束通りのギャラか゚支払われなかった」として外国人レスラーを全員帰国させる強硬手段に出て東郷路線は早々に頓挫。

当時は表舞台には出ていなかった吉原功(この時は岩田浩氏が代表)が日本レスリング協会会長である八田一朗からイギリスのジョイント・プロモーション代表であるジョージ・レリスコウを紹介されて欧州路線がスタートすることになり、流さん自身の68年3月6日、水戸市茨城県スポーツセンターでのプロレス初観戦でトニー・チャールスのドロップキックに衝撃を受けることになる、ところまで本文でフォローしているのはさすが?でした。

※対戦成績は322戦55勝267敗、勝率171。
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