81年新日本プロレス「闘魂シリーズ」参加外国人レスラープロフィールの続きです。バッドニュース・アレンは先の「ブラディ・ファイト・シリーズ」から3シリーズ連続参戦。
前回はアンドレ・ザ・ジャイアントとスタン・ハンセンの双方のタッグパートナーを務めメイン戦線で活躍、9月4日豊田市体育館での猪木&タイガー戸口&長州力組vsアンドレ&ハンセン&アレン組がの6人タッグマッチではアンドレとハンセンが壮絶な仲間割れをした時に試合を成立させてみせています。
今回はアブドーラ・ザ・ブッチャーの正パートナーを務めますがブッチャーと新日本プロレスの試合のテンポ、リズムはやはりギャップがあり、その潤滑油としての役割は大です。
スティーブ・トラビスは前80年4月の「第3回MSGシリーズ」以来1年半ぶり2度目の来日。WWF期待の新鋭、4月25日後楽園ホールでの開幕戦ではスタン・ハンセンと組んで猪木&坂口征二組の黄金コンビと対決、1−1から両チームリングアウトの引き分けとなっています。
テレビ登場はこの一度きりで予選トーナメント1回戦は木戸修に勝ちましたが、2回戦で長州力に負け、さらに敗者復活枠でも剛竜馬に敗れ予選落ち、途中帰国しています。
もっとも、予選トーナメントから参加する予定だったハルク・ホーガンがWWFのスケジュールの都合で開幕戦から出られなくなった為の代打参戦でホーガンが来日するまでのつなぎであり、最初から3週間の契約だったと考えられます。
今回は藤波辰巳のWWFジュニア・ヘビー級王座を狙っての来日、ジュニアというにはいささか無理がありますがキャリアを積んで試合運びが上手くなったかも見るべきポイントです。
初来日の「メキシコの地獄の伝道師トリオ」エル・シグノ&エル・テハノ&ネグロ・ナバーロ組の「ロス・ミシオネロス・デ・ラ・ムエルテ」
リーダーのシグノは1953年9月4日、メキシコ・オアハカ州オコトラン出身の当時28歳。71年9月16日にオアハカ州でデビュー。デビュー当時はマスクマンであった。EMLL、UWAのリングで活躍。76年12月28日にメキシコシティにて「数学仮面」エル・マティマティコを破りUWA世界ライト級王座を獲得。79年6月24日ティファナで、今回マスクド・ハリケーンとして来日したボビー・リーからUWA世界ウェルター級王座を獲得しました。
70年代後半にはテハノ&ナバーロと「ロス・ミシオネロス・デ・ラ・ムエルテ」を結成。ブラソ・デ・オロ&ブラソ・デ・プラタ&エル・ブラソのロス・モスケテロス・デル・ディアブロと抗争を繰り広げています。
「エル・テハノ」は英語表記だと「ザ・テキサン」でテキサスのカウボーイ・ギミックのルチャドールです。本名ファン・コンラッド・アギラール・ハウレギー。1958年11月26日メキシコ ・北バハカリフォルニア州メヒカリ出身の当時22歳の若手ながら72年に14歳でデビュー。
EMLLからUWAに移籍し80年9月7日にはメキシコシティでグリンゴを破りUWA世界ウェルター級王座を獲得、来日時は現役王者でした。シグノに誘われてロス・ミシオネロス・デ・ラ・ムエルテ入り、3人の中では一番若くて血の気が多く、トリオの切り込み隊長としての役割を担う存在。
ナバーロは本名ミゲル・カルデロン・ナバーロ1957年6月12日メキシコシティ出身の当時24歳。75年にUWAでデビュー。ミシオネロス結成前はUWAのローカルテリトリーで活躍、70年代後半にシグノ&テハノとトリオを結成しています。
日本に初めて登場した6人タッグマッチの専門屋チームとなります。
日本では力道山時代から6人タッグというと、双方のチームに負け役が存在し、テレビ中継のない地方会場のメインイベントで開催されることが多々あり「手抜き試合」などと「月刊プロレス」の「読者のリング」で叩かれたこともありファンの評価は高くはありませんでした。
新日本プロレスでは80年代に入ってから故障が増えて体力が衰えてきた猪木をカバー、また、藤波辰巳、長州力、タイガーマスク、木村健吾らの台頭で複数スター制に移行、正味45分ちょっとの「ワールドプロレスリング」試合放送時間内に3試合詰め込むパターンが増えてテレビマッチでも豪華な6人タッグマッチを組むようになり、6人タッグイコール消化試合ではなくなって来ていました。
メキシコのルチャリブレの興行はタイトルマッチやマスカラ戦、カベジェラ戦以外通常の試合は6人タッグマッチが主軸でノータッチでの飛び技の競演、4人が股裂きを掛け合い、その中で残りの2人がウラカンラナを決めるという「エストレージャ」はルチャリブレの醍醐味でもあります。
ただし、勝負論が強く根付いていた当時の日本のファンにその楽しさが理解されるのはこの後の時代で90年に旗揚げしたユニバーサルプロレスと後継団体のみちのくプロレスがファンの支持を得てからになります。
6人タッグマッチ自体は翌82年10月にメキシコから凱旋帰国した長州が藤波に反逆を起こし、革命軍→維新軍団、ラッシャー木村&アニマル浜口&寺西勇組の国際軍団など日本人の軍団抗争が勃発してから新日本プロレスの主軸の試合形式に昇華されています。そういった意味で「地獄の伝道師トリオ」の功績は大きかったと言えます。(この項続く)
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