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2024年03月25日20:13

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ストロング小林さん追悼(636)

80年「第3回MSGシリーズ」終了後の6月16日、京王プラザホテル・コンコルドボールルームにてストロング小林(本名・小林省三、当時39歳)とITさんの結婚披露宴が行われています。媒酌人は橋本秀男氏夫妻。

6月18日付(17日発行)の「東京スポーツ」に記事が掲載されていますので抜粋して引用してみたいと思います。

『「純日本式」の結婚式を終えた小林夫妻が同ホテルの披露宴会場に姿を見せると約500人の出席者は万雷の拍手。小林の頬がファイト中のように紅潮、祝福の握手もどことなく硬く、はっきりあがっているのがわかった。

めでたくゴールイン後の第一声が「いやぁ、試合の方がよっぽどいい。胸のへんがしめつけられそうで…」というものの例の人懐こい顔がゆるみっぱなし。この日ばかりは”怪力"小林も少々パワーダウンといったところ。

出席者の中でも出色だったのはやはり新日プロの代表、A猪木の挨拶。「私は誰にも負けない愛のチャンピオンベルトを持っている(倍賞美津子夫人)つもりですが、このストロング夫妻の姿を目の前にしたら、危うく負けそうになる」というもので”家庭人"としても猪木のライバルとなった小林だ。

その新郎の小林は来たる(80年6月)29日に東京・後楽園ホールで古巣・国際プロレスのリングに立つ。永源と組んで、A浜口、M井上組【原文ママ】(国際)とIWA世界タッグ王座決定戦を行うことになっており、新婦・Iさんのためにも絶対負けられないところ。

しかも、国際プロレスのリングに逆殴り込みとあってはブザマな姿は見せられない。19日、高崎市体育館からは新日プロの「サマー・ファイト・シリーズ」が始まる。そうそう新婚ムードには酔っていられない小林の周辺だ(忠)』(忠)は門馬忠雄記者でしょう。

また、前日から連載が始まった東スポプロレス記者&「ゴング」の竹内宏介氏らによるコラム「プロレス散歩道」でも、桜井康雄運動部長によるS小林に関するエピソードが書かれています。

タイトルは「東京スポーツ専属レスラーだったS小林」でなかなか興味深い内容になっているのでご紹介しておきます。

『ストロング小林が結婚式を挙げた。京王プラザホテルで行われた披露宴の来賓挨拶の中で、本社・高橋典義編集担当取締役が、「小林君はかつて、我が東京スポーツの専属レスラーでありました」と語り、列席者を驚かせた。

ストロング小林は本当に「東京スポーツ新聞社専属のレスラー」だったことがあるのだ。小林といえば思い出されるのは、何と言っても今から6年前、昭和49年(74年)3月19日、東京・蔵前国技館で行われたアントニオ猪木との大勝負だった。

当時の小林は国際プロレスのエースでIWA世界チャンピオン。その小林が突如フリー宣言をしてジャイアント馬場とアントニオ猪木に内容証明付きの挑戦状を叩きつけた。そして猪木が受けて立ち、力道山vs木村政彦戦以来20年ぶりに「日本人メインエベンター同士の大勝負」が実現、日本中のファンを熱狂させることになるのだが…。

その小林の立場について国際プロレスから主催者である東京スポーツにクレームがついた。

吉原功代表が直接、本社に見えて「小林は国際プロレスの契約レスラーであり、当社の了解なしに試合は出来ない」という申入れ。

東京スポーツとしては「この猪木vs小林戦はぜひ実現してファンの期待に応えねばならぬ」ということで吉原代表と話し合い、移籍金1,000万円を東京スポーツが支払って小林を国際プロレスから東京スポーツに移籍させ、1年間の専属契約を小林と結んだ。

昭和49年3月から50年3月まで小林は「東京スポーツの専属レスラー」として心置きなく猪木と闘い、日本プロレス史に残る名勝負をやってのけたのである。

あれから6年…もう秘話を公開してもいいだろう。そして小林の奮起を改めて促したい』

とあります。S小林の移籍金1,000万円は東京スポーツが支払ったというのは、今ではよく知られたエピソードですが、この時が初出でしたか?

ただ1年間の契約期間があったとは、今回連載を書くにあたり初めて知りました。

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