80年全日本プロレス「第8回チャンピオン・カーニバル」優勝決定戦は5月1日、福岡九電記念体育館(テレビ収録、観衆5,300人満員発表)で19点の同点首位、鶴田と伏兵ディック・スレーターの間で争われ(60分1本勝負)、23分45秒、鶴田が高角度のジャーマン・スープレックスホールドでフォール勝ちし7度目の参加にして初優勝を果たしました。
当時29歳でしたがこれを以って「馬場超え」には至らず、鶴田がエースとなるのはこれより3年後の83年8月31日、蔵前国技館でブルーザー・ブロディにリングアウト勝ちしインターナショナル・ヘビー級王座を獲得してからになります。
シリーズ最終戦は追撃戦として後から追加日程が発表された5月2日、後楽園ホール(テレビ収録、観衆3,400人超満員発表)大会。
メインイベントは仲間割れしたアブドーラ・ザ・ブッチャーとザ・シークのシングルマッチ60分1本勝負。会場は極悪最強対決見たさに超満員に膨れ上がりました。
試合はシークが先制攻撃、凶器突きでブッチャーの額を叩き割り流血させていきます。ブッチャーもヘッドバット、噛みつき、凶器攻撃のお返しで両者流血。
場外戦なり観客席に雪崩込んでの乱闘を展開、リングに上がるように促すレフェリーのジョー樋口にブッチャー、シークの双方とも暴行を働き樋口レフェリーはダウン、サブレフェリーの和田京平が入ってきてゴングを要請し僅か3分30秒、両者反則の裁定が降りました。
試合後、シークが放送席の倉持隆夫アナウンサーを襲撃し凶器攻撃で大流血させてしまい、倉持アナは額をザックリ切る大怪我、スーツもワイシャツも血で真っ赤に染まってしまいました。この為、5月10日に放送予定だったこの一戦はお蔵入りとなってしまいました。
倉持アナはシークがガラスの破片を持ち出して「切るぞ」と囁いたと言っていますが、実際はおそらく、仕込んでいた剃刀で少し切って流血させ、そこを五寸釘のような凶器で刺す(フリ、手で覆うなどして直接観客やテレビ視聴者から見えないようにする)をする予定だったかと思いますが、
倉持アナが恐怖のあまり、身体をシークが想定していない方向に動かしてしまったが故、剃刀でスパーン!と切れてしまい、惨事を招いたと思われます。
別連載「週プロ流智美あの日あの時予想」11月8日発売号でも書きましたが、アメリカではテレビテーピングの実況アナウンサー、コメンテーターはプロモーション側の人間であり、シークが日本の民放の仕組みをよく理解していなかったから起きた事件でしょう。
5月10日放送の日本テレビ「全日本プロレス中継」はセミファイナルの馬場&鶴田組vsテリー・ファンク&スレーター組とセミ前のロッキー羽田vsテッド・デビアスがそれぞれノーカットで放送されました。
3週間のオフを経て5月23日、後楽園ホールから「スーパー・パワー・シリーズ」が開幕、先シリーズに次いでブッチャー、ザ・デストロイヤー、ブラック・テラー(タンク・パットン)、バック・ズモフ、カール・フォン・スタイガーの外国人がシリーズ全戦参加。
前半戦特別参加がNWA世界ヘビー級王者ハーリー・レイス、後半戦特別参加がビル・ロビンソン。
今回のレイスへの挑戦者はタイガー戸口と鶴田、馬場の挑戦はなし。5月27日、秋田県立体育館(テレビ収録、観衆3,500人発表)大会。まずは戸口がNWA世界ヘビー級王座初挑戦。
1本目はレイスが回転エビ固め、2本目は戸口がショルダーバスターから片エビ固め、決勝の3本目はレイスがブレーンバスター(バーディカル・スープレックス)からの体固めで2−1でレイスが勝ちタイトル防衛。
翌5月28日、札幌中島体育センター(テレビ収録、観衆6,300人発表)大会では鶴田が挑戦、1本目は鶴田が急角度のジャーマン・スープレックスホールドで取りましたが、2本目、レイスがブレーンバスターから片エビ固めで取り返し1−1から時間切れ引き分けとなりました。
このジャーマンはかなり角度が危険で、レイスにたしなめられたか、以後ジャーマンは封印してしまいました。この試合が鶴田生涯最後のジャーマンとなっています。(この項続く)
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