80年新日本プロレス「第3回MSGシリーズ」参加外国人選手プロフィールの続きです。「黒い猛牛」バッドニュース・アレンは「新春黄金シリーズ」、「ビッグ・ファイト・シリーズ」に次いで3シリーズ連続参戦。
先の「ビッグ・ファイト・シリーズ」では3月28日、久留米・福岡県立体育館での坂口征二の地元凱旋興行のメインイベントに抜擢され、テレビ生中継で坂口のWWF北米ヘビー級王座に2シリーズ連続挑戦、11分20秒、アトミック・ドロップからの体固めに敗れましたが、その強さを全国にアピール。
キャリア2年半で、ちょうど前79年2月〜80年2月まで外国人ヒールサイドとして活躍したマサ齋藤のポジションに居座りました。しかし、M齋藤を「関脇」とするならアレンはまだ「前頭上位」クラス、群雄割拠の当時の新日本プロレスで三役を張るには家賃が高いかと。ゲームメイキングを覚えていけば面白い存在にはなると思います。
「ロスの太陽」チャボ・ゲレロは前79年4〜6月の「第2回MSGシリーズ」以来約1年ぶり4度目の新日本プロレス参戦。前回は敗者復活戦枠はなく、予選トーナメントで同じ対戦相手に2勝しないと決勝リーグ戦に上がれないシステムで、予選で体格差のある坂口との対戦が組まれてしまい不運でした。
4月27日、横浜文化体育館の開幕戦では坂口からリングアウト勝ちを奪うもその後2回負けて予選落ち。
決勝リーグ戦には進出ならなかったもののこの年の1〜2月にロサンゼルス地区でタッグを組んだ藤波辰巳とも日本でタッグを結成、5月16日、姫路市厚生会館でカネック&エル・ソリタリオ組とも対戦しました。
日本ではジュニア・ヘビー級にカテゴライズされるチャボですが、アメリカではロサンゼルス地区のアメリカス・ヘビー級王座に何度も就いており、今回こそは決勝リーグ戦に進出したいところです。
新日本プロレス初参戦となるティト・サンタナは本名メルセッド・ソリス、1953年7月10日、テキサス州ミッション出身の当時26歳、ヒスパニック系アメリカ人。
ドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク組のザ・ファンクス、ダスティ・ローデス、ディック・マードック、ボビー・ダンカン、ブルーザー・ブロディ、スタン・ハンセンらを輩出したウエスト・テキサス州立大学の出身で大学時代はアメリカンフットボールで活躍、同期のチームメイトにはテッド・デビアスやタリー・ブランチャードがいました。
卒業後はNFLのカンザスシティ・チーフスのトレーニング・キャンプに参加し、その後CFLのBC(ブリティッシュコロンビア)ライオンズに入団も77年、大学の先輩であるファンクスの誘いでプロレス入り、リッキー・ロメロ(メヒコ・グランデ)のコーチを受けてデビュー。テキサス州アマリロ地区でキャリアを積み、翌78年10月、全日本プロレスの「ジャイアント・シリーズ」にディック・ブラッドのリングネームで初来日。経緯は不明ですがDブラッドは後の80年11月に全日本プロレスに初来日するリッキー・スティムボートの本名でした。
79年2月8日にはアマリロでデビアスと組んで、ミスター・ポーゴ&ミスター・サトー(佐藤昭雄)組を破りNWAウエスタン・ステーツタッグ王座を獲得も翌週の2月15日には同所でポーゴ&サトー組のリターンマッチを受けて敗れ、1週間天下に終わりました。
同年下期、ティト・サンタナのリングネームでWWFに登場。10月22日にニューヨークMSGにて、イワン・プトスキーと組んでジョニー&ジェリー(ガイ・ミッチェル)のバリアント・ブラザーズを破りWWFタッグ王座を獲得。同王座は来日直前の80年4月12日、ペンシルバニア州フィラデルフィアでアファ&シカのアノアイ兄弟、ワイルド・サモアンズに奪われて王座転落も、80年代期待の新星として新日本プロレスへの参加が決まりました。
猪木、坂口、藤波、長州力、ストロング小林の新日本プロレストップどころとは初対戦。
初来日のスティーブ・トラビスは本名スティーブ・モリソン1950年12月13日バージニア州シャーロッテヒル出身の当時29歳、77年にジム・クロケットのNWAミッドアトランティック地区でデビュー、78年にWWWF地区に転戦し4月24日、ニューヨークMSGでNWA世界ヘビー級王者、ハーリー・レイスの「NWA世界王者16年ぶりのMSG登場」の相手に大抜擢され、8分57秒、体固めで敗れましたが、この年のWWWFルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得しました。
当初はハルク・ホーガンが予選トーナメントから出場の予定でしたが売り出し中でスケジュールの都合がつかず、代わりにトラビスが予選に出ることで急遽来日が決まったものでした。
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