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2024年02月20日07:22

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週プロ流智美あの日あの時予想2023年総括(43)

第312戦、10月25日発売号●【予想】猪木が見せた超高速ウラカンラナ、猪木vsジョン・トロス(74年新日本プロレス後楽園ホール)【正解】初代スープレックス・マシンが猪木を翻弄した衝撃、猪木&坂口征二組vsレイ・グレーン&ビル・ホワイト組(73年10月26日新日本プロレス後楽園ホール)

【参考】「団体内若手ナンバーワン決定リーグ」の裏表、第1回カール・ゴッチ杯争奪リーグ戦開幕(74年新日本プロレス後楽園ホール)

2017年10月25日発売号、第8戦の予想●格闘技世界一決定戦、猪木vsチャック・ウェップナー(77年新日本プロレス日本武道館)※対戦成績は8戦2勝6敗、勝率250。

【予想解説】NET時代の新日本プロレス「ワールドプロレスリング」のオープニング映像(当時はフィルム素材)を見ていた方なら脳裏に焼き付いているであろう、この日の猪木とトロスの名場面。

猪木が正面からトロスの肩口に飛びつき、足を真正面からのフライング・ヘッドシザースの要領でクロスさせながら、後方に倒れ込んでトロスを倒して上になってフォールする、というシーンです。

猪木がフランケンシュタイナーを出していたという文献が存在しますが、確かにウラカンラナ(ウラカンラナ・インベルティダ)であればフォールの時に相手の片足または両足を押さえるので形としてはフランケンシュタイナーの方が正しいです。

フランケンシュタイナーは平成に入った91年、新日本プロレスの東京ドーム大会での馳浩&佐々木健介組vsリック&スコットのスタイナー・ブラザーズのIWGPタッグ選手権試合でスコットが初披露しており、技のネーミングはスコットでした。

しかし、スコットのフランケンシュタイナーは華麗さよりもゴツゴツした力技の印象を受けます。回転して相手の頭を強打してフォールする技で、猪木の技はどちらかと言うと華麗に回転してフォールする感じで「柔と剛」で全然違うように見えます。

フランケンシュタイナーとウラカンラナの線引は明確なようで明確ではなく難しいですね。

フランケンシュタイナーの名場面と言えばもう一つ、2008年10月13日、新日本プロレス両国国技館大会で、王者の武藤敬司(当時は全日本プロレス)に中邑真輔が挑戦したIWGPヘビー級選手権試合で、21分39秒、武藤が咄嗟の返し技でフランケンシュタイナーを決めて3カウント奪った試合でした。

武藤の引き出しの多さが改めて認識された試合で優れたプロレス頭が称賛されました。武藤は90年代におけるスコットとの数多くの対戦で見様見真似で自分のものとしていたのでしょう。

さらにサイト「ミック博士の昭和プロレス研究室」の「ミル・マスカラスのメキシコ式回転押さえ込み」として、マスカラスの2度目の来日である71年8月の「サマー・ミステリー・シリーズ」でグレート小鹿を相手にこの技を披露しているという文中で猪木がこの技を初公開したのは71年の「第13回ワールドリーグ戦」5月10日四日市市体育館でのザ・デストロイヤー戦であったことが判明、この時はデストロイヤーを見事にフォールしています。記録だけを見ると12分2秒、体固めとなっています。

私は猪木の猫のような柔軟さと軽い身のこなしからウラカンラナを自分流にアレンジしたかと思います。猪木の師匠であるゴッチはメキシコにも度々遠征、レスラーとしては大成せずもトレーナーとしては評価が高いハン・リーとはウマが合い、一緒に練習をした仲でした。

ゴッチは歴史と伝統のあるのメキシコのルチャ・リブレの関節技である「ジャベ」の奥義を極めようとしていた節もあり、猪木とトレーニングしている中でルチャ・リブレの技の練習を取り入れ、その中からジャベに移行する前の空中技の説明をしていたことも考えられますが真相は藪の中です。

この超高速ウラカンラナでは惜しくもカウント3は奪えず、16分48秒、猪木がバナナ・スプレッド(グラウンド・コブラツイスト)で勝利を奪いました。

【正解解説】「スープレックス・マシン」と言えば90年代に流れさんが日本におけるマネージャーを死ておりUWFインターナショナルのレギュラーだったゲーリー・オブライト(1963〜2000、享年36歳)にもっとも相応しい異名と云えます。

オブライトは90年6月に新日本プロレス「バトルライン九州」にジェリー・オルブライト表記で初来日、この時は九州本土と諸島に特化して開催されたシリーズで首都圏の興行がなく、またビッグバン・ベイダーと全日本プロレスからレンタル参戦したスタン・ハンセンがシリーズの忠信であり日本のプロレスファンには印象を残せず帰国。

翌91年8月24日、ツインメッセ静岡からUインターに転じると才能を開花させ、両腕さえ廻れば自由自在に相手を強烈無比なジャーマン、フルネルソンスープレックスで投げ捨てる脅威の背筋力を披露、「ぶっこ抜き式」の元祖と言えます。

オブライトは弱体だったUインター外国人のエースとなり92年9月21日、大阪府立体育会館で全盛期の高田延彦と「テーズベルト」プロレスリング世界ヘビー級王座を賭けて対戦し敗れました。

オブライトがUインターの外国人エースとなる18年前の73年10月の新日本プロレス「闘魂シリーズ第2弾」に1度だけ来日したグレーンは「初代スープレックス・マシン」の呼称にピッタリなプロレスラーだったようです。

開幕戦の10月26日、後楽園ホールでビル・ホワイトと組んで、猪木&坂口組の黄金コンビと対戦したグレーンは、試合開始早々、猪木をフロント・スープレックス(ベリー・トゥー・ベリー)で投げ、さらにフロント・ネックチャンスリードロップ、サイド、ダブルアームの各スープレックスを4発出して猪木を追い込みました。首を押さえてダウンした猪木でしたが坂口にタッチ。

1本目は12分7秒、坂口がグレーンを体固め、2本目は13分20秒、猪木がホワイトを体固めで破り、スコアだけ見ると猪木&坂口組が2−0のストレート勝ちとなっていますが、実際にはグレーンのスープレックスの前に猪木がタジタジになった試合でした。

このシリーズは開幕戦に間に合わなったタイガー・ジェット・シンの伊勢丹前猪木襲撃事件があり、猪木とシンの遺恨対決が主軸になり、終盤はジョニー・パワーズ、パット・パターソンを呼んでの「ワールドタイトル・チャレンジシリーズ」になっていましたのでグレーンを活かすことが出来なかったのが実際のところかと思われます。

※対戦成績は312戦55勝257敗、勝率176。
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