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2024年02月16日08:26

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週プロ流智美あの日あの時予想2023年総括(39)

第308戦、9月27日発売号●【予想】小林時代の「終わりの始まり」ガニアに完敗、AWA世界ヘビー級選手権試合、バーン・ガニアvsストロング小林(73年国際プロレス愛知県体育館)【正解】FA化したレスラーが次のリングを選択する基準、アレックス・スミルノフの二重契約問題が健在化(81年)

【参考】2017年9月27日発売号は猪木、藤波ら新日本主力の台湾初遠征は大成功!新日本プロレス台湾遠征「インターナショナル・ワールドレスリングマッチ」最終戦、猪木vsマスクド・スーパースター他(85年台北市中華体育活動中心)

2017年9月27日発売号、第4戦の予想●キラー・カーン、ジャパンプロレス移籍記者会見(84年永田町キャピトル東急ホテル)※対戦成績は4戦4敗。

【予想解説】73年国際プロレス「第5回IWAワールド・シリーズ」にAWA世界ヘビー級王者ガニアが特別参加で再来日、ガニアは初来日時の70年2月には小林(2回)、グレート草津の挑戦を退けていますが、今回の挑戦者はエースでありIWA世界ヘビー級王者である小林1人のみ。

9月24日、札幌中島スポーツセンターと27日、愛知県体育館で連続挑戦することになりました。

小林はガニアが初来日した70年2月5日、大阪府立体育会館、翌2月6日、東京体育館でガニアの王座に連続挑戦し、大阪では1−1から両者リングアウトの引き分け、東京では2−1で敗戦。その後同年11月〜71年6月にかけてのアメリカAWA地区での海外武者修行時代にはわかっているだけで5回挑戦し、1度は反則勝ちしています。

ガニアはメアリー夫人を連れての来日で夫人はリングサイド最前列で試合を観戦、セコンドには来日中のグレッグ・ガニアがついており、ガニアには他に嫁に出ていた長女キャシーさん、次女エリザベスさん、三女ドナーさんという一男三女の家庭でしたが、ガニア一家のうち3人が日本で揃った訳です。

試合は今回は札幌、名古屋いずれも61分1本勝負、1本取ればベルト移動とあって小林はスタートから積極果敢に攻め立てていきます。ベアハッグで絞め上げてガニアのスタミナを奪いにかかり、アトミックドロップ、ガニアは防戦一方。しかし、老獪なガニアは30分過ぎに小林の一瞬の隙をついてバックに回り、スリーパー・ホールドを決めました。

小林は脱出不可能となりギブアップか、失神か?という状況に追い込まれましたが、レフェリーの阿部脩はガニアの腕が小林の喉に入っているとしてチョークを取り、反則カウントを数え始めました。これにガニアが激怒、一旦スリーパーを外して阿部レフェリーに掴みかかり、もう一度スリーパー。すると阿部レフェリーはまた反則カウントを数えにいきました。

ガニアは阿部レフェリーを突き飛ばし、ダウンした阿部はゴングを要請、34分50秒、ガニアの反則負けが宣せられました。怒りのガニアはレフェリーに抗議、セコンドのグレッグがリングに入ってきて必死になだめました。ルールによりベルトの移動はなし、小林もこの裁定には納得がいかず、ガニアをブレーンバスターで投げ捨てたものの後の祭り。プライドの高いガニアは自分の必殺技であるスリーパーをチョークに取られたことに怒り心頭で、控室に戻ってからも大荒れでした。

レフェリーは札幌と同じ阿部脩。世界を制した切り札スリーパー・ホールドをレフェリーにチョークに取られ、怒りのガニアはスタートから、故意に小林の喉元にチョーク気味のスリーパーを入れ、反則カウント4で手を離すという作戦に出て若い小林を翻弄していきます。

ロープブレイクの時、離れ際に張り手を見舞い、小林を小馬鹿にしたような試合ぶり。怒った小林もベアハッグ、アトミック・ドロップで反撃していきましたが、ガニアはノラリクラリとかわしながら反則のチョークスリーパー攻撃を繰り返していきます。ガニアは小林のバックに回り、またもチョークスリーパー狙いに来るかと小林の注意が頭部にいった瞬間、小林の脇に頭を入れたガニアは足を持って担ぎ上げてのバックドロップからフォールの体制へ。

不意を突かれた小林は返すことが出来ず、21分11秒、体固めでフォール負け、ガニアがタイトル防衛に成功しています。試合後小林は「ガニアの懐が深かったということです。これからも精進して、もう一回挑戦したい」と敗戦の弁を語りましたが、これが最後のガニアへの挑戦になってしまうとは本人も思っていなかったことでしょう。

小林は開催中の「第5回IWAワールド・シリーズ」はラーズ・アンダーソンに反則負け、寺西勇にフォール負けを許して決勝進出出来ず、10月10日、長崎国際体育館で行われた優勝決定戦ではラッシャー木村がブラックジャック・マリガンを破り初優勝。

次の「ビッグ・ウィンター・シリーズ」では11月9日、和歌山県那智勝浦町観光会館で初来日のワフー・マクダニエルに2−1で敗れIWA世界ヘビー級王座から転落、当時の日本シングル王座防衛最高記録は25回でストップ。

11月14日、長野市民体育館でのリターンマッチでは1−1から両者リングアウトの引き分けで王座奪回出来ず。シリーズ最終戦の11月30日、後楽園ホールで2−1でワフーに雪辱し王座奪回を果たしますが、うち2本目は反則勝ちが入っており、スッキリ完勝とはいきませんでした。

マッチメーカーの草津との確執が潜在的に窺い知れ、小林は嫌気が差して国際プロレスを退団することを決意、翌74年2月、フリー宣言し馬場、猪木に挑戦状を叩きつけることになります。

一連の流れを見ていくと、このガニア戦での完敗が国際プロレスにおける小林時代の「終わりの始まり」であったと言っていいでしょう。

【正解解説】プロ野球メジャーリーガーであり、当時はロサンゼルス・エンゼルスに在籍していた大谷翔平選手が今(昨)シーズン終わったらFA権を行使することが本稿を書いている段階で報じられ(結果的にはロサンゼルス・ドジャースに移籍)ました。

本稿では81年に団体が崩壊した国際プロレスに来日しており、国際プロレスにレギュラー参戦していた外国人レスラーをFAになぞらえ、この年に勃発した新日本プロレスと全日本プロレスの引き抜き抗争による移籍問題について書かれており、本稿の主役は国際プロレスのスミルノフ。

国際プロレスが崩壊する前の最後のシリーズ「ビッグ・サマー・シリーズ」に参加したジプシー・ジョーはシリーズ閉幕後も日本に残り、雑誌「ゴング」の竹内宏介編集長、山口雄介(ウォーリー)に馬場を繋いでもらい、全日本プロレスへの参加を決めて、8月20日、後楽園ホールで開幕の「スーパー・アイドル・シリーズ」から全日本に出場しています。

スミルノフは10月開幕の新日本プロレス「闘魂シリーズ」と全日本プロレスの「創立10周年記念ジャイアント・シリーズ」の両方に名前がラインナップされまた。おりしもこの年の5月、アブドーラ・ザ・ブッチャーの新日本プロレス移籍に端を発した両団体の仁義なきレスリング・ウォーの真っ只中。スミルノフは一体どちらに来るのか注目されました。

新日本プロレス側は国際プロレスの吉原功社長と国際の゙ブッカー、大剛鉄之助のルートからスミルノフに「インターナショナル(国際)とのビジネスは終わるが、引続きニュージャパンで使うから」と言われており、全日本プロレス側は馬場の密命を受けたザ・デストロイヤーがスミルノフを獲得に動いていました。

9月7日、新日本プロレスでは「闘魂シリーズ」開幕戦の前日に行われる10月8日、蔵前国技館での「創立10周年記念スーパー・ファイト第3弾、新日本プロレス対国際プロレス対抗戦」のカード発表の際、スペシャルマッチとしてスタン・ハンセン&ハルク・ホーガン組vsバッドニュース・アレン&スミルノフ組のタッグマッチを先行して発表、スミルノフは新日本プロレス行きで確定かと思われました。

しかし、翌9月8日、全日本プロレスの米沢良蔵営業部長が「スミルノフはウチに来ることになっている。正式に契約をしていてパスポートもウチのロサンゼルスのエージェントのところにある」と反撃。

慌てた新日本プロレス側は吉原社長に「どうなっているのか?」と問い正したところ、ブッカーの大剛に確認した結果、「最終合意には至ってない」と言うことが判明。スミルノフは新日本プロレスと全日本プロレスとを二重契約していたと言います。

怒った新日本プロレスはスミルノフの来日発表を取消し、ハンセン&ホーガン組の対戦相手をディノ・ブラボー&長州力組に変更しました。

流さんのコラムでは全日本プロレス側で交渉にあたったデストロイヤーはスミルノフのホームであるモントリオールの興行に出場しており、2人は親友とありますが、実際は、外国人レスラーのギャラの金額で他者に負けることを許さない馬場のプライドにより、新日本プロレスよりも高額ギャラを積んだのが全日本プロレス移籍の決め手ではなかったかと思うのです。

※対戦成績は308戦54勝254敗、勝率175。
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