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2024年02月11日10:19

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週プロ流智美あの日あの時予想2023年総括(34)

第303戦、8月23日発売号●【予想】猪木、左膝ウィルス性関節炎で初のシリーズ長期欠場(75年8月22日新日本プロレス高崎市体育館)【正解】プロレス史上、もっとも国民的レベルのセレブだった英雄、「黄金のギリシャ人」ジム・ロンドス死去(75年8月19日カリフォルニア州エスコンデノ)

【参考】2017年8月23日発売号は、ビックリ!大巨人アンドレが覆面レスラーに大変身!ジャイアント・マシンvs坂口征二(85年新日本プロレス東村山市民スポーツセンター)

【予想解説】75年8月1日、ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムで坂口征二と組んでのジェリー・ブラウン&バディ・ロバーツ組のハリウッド・ブロンドスとの北米タッグ王座を賭けた死闘を大苦戦の挙げ句、ノーコンテスト、タイトル預りとなった猪木。

8月3日には滞在先のロサンゼルスで3度目の申請となったNWA加盟が認められたとの報を聞きました。

その後アメリカ東部マット界で勃発していた米IWAとWWWFのレスリング・ウォーの現場を視察、8月7日にはIWAのニュージャージー州ジャージーシティ・ルーズベルトスタジアム大会の会場に現れ、IWAのエースであり同世界ヘビー級王者のミル・マスカラスと会談。

また、この大会で鉄人ルー・テーズがエリック・ザ・レッドを相手に59歳で復帰戦を行い、反則勝ち。テーズとも会談を持ち、次期「闘魂シリーズ」最終戦、10月9日、蔵前国技館での猪木のNWF世界ヘビー級王座初防衛戦の相手としてオファーしています。

2日後の8月9日には提携先であるニューヨークMSGのWWWF定期戦を訪問、ビンス・マクマホン・シニアを表敬訪問した他、親馬場派である同ヘビー級王者、ブルーノ・サンマルチノとも会談の場を持ちました

米マットの視察を終えた猪木は8月14日に帰国、8月19日には世田谷区野毛の新日本プロレス道場で8月22日、群馬県高崎市体育館から開幕する次期「闘魂シリーズ」に向けて調整の為の練習に入りましたが、ここで左膝に痛みを感じ始め、翌8月20日には、新日本プロレス入団を祝して新たに結成された「ストロング小林後援会」発足パーティーに出席するも、その夜に40℃という高熱に襲われてしまいました。

とりあえず猪木は応急処置として自宅近所の病院に駆け込んで強い麻酔注射を打ってもらい、翌朝には主治医である菊屋橋病院院長・佐藤三蔵氏の治療を受けると「左膝ウィルス性関節炎」(蜂窩織炎)との診断を受けました。

ウィルス性関節炎は、関節液や関節組織の感染症で、通常は細菌感染が原因というのが一般的で、ウイルスや真菌の感染によって起こることもあると言われており、8月1日ロサンゼルスでのハリウッド・ブロンドス戦で凶器攻撃を受けた際切り傷が出来て、そこから細菌が入り込んで膝関節に広がり、痛みや高熱を起こしていました。

凶器攻撃が直接的な原因ではなく、要因はリングマットに無数に付着しているウィルスによるものでした。

猪木は即入院となり、シリーズは欠場、「無事是名馬」の馬場とは違い、怪我による欠場も多かった猪木ですが、これほどの重傷による欠場はこの時が初めて。

ノーコンテストによりカリフォルニア州アスレチック・コミッショナー預かりとなっていた北米タッグ王座ですが、猪木&坂口は日本で、Hブロンドスはロサンゼルスでの王座決定戦を主張していましたが、前王者である猪木&坂口の主張が通り、このシリーズ日本で王座決定戦が行われることになりました。しかし、肝心の猪木は欠場…。

8月25日、南青山の新日本プロレス事務所に猪木、坂口、取締役として入団したストロング小林が加わり緊急座談会が行なわれ、S小林が「猪木さん、北米タッグは僕に任せて無理せず治療に専念して下さい」と促し、9月22日、愛知県体育館で行われるHブロンドスとの北米タッグ王座決定戦は猪木の代わりにS小林が出場すると表明しています。(後日決定)

猪木の欠場は4週間の長期に亘り、9月11日、福岡スポーツセンター大会に来場しリングに上がって観客に挨拶、テレビのゲスト解説を務めました。

9月19日、千葉公園体育館でのジャック・ルージョー戦で力道山ばりの黒のロングタイツを着用して復帰戦を行い、11分13秒、バックドロップからの体固めで勝利を飾りました。

【正解解説】最初、週プロ早版でこのタイトルだけを見た時は「?」でしたが、小学生の時にこの時期にロンドスの訃報を掲載した「東京スポーツ」を見た記憶がありましたので、もしかしたらそうかな?と思っていました。

何故ロンドスを覚えていたかと言うと、当時の東スポのプロレス面に、力道山のプロレスの師匠である沖識名(1983年12月15日死去)が「激動の日本プロレス20年の目撃者」という連載をしており、その連載の中にロンドスが出てくる箇所があったからです。
 
「黄金のギリシャ人」ロンドスは第二次世界大戦前に活躍していた伝説のプロレスラーで1894年1月2日、ギリシャ出身。少年時代に一家をあげてアメリカに移民。1912年にプロレス入りし、1920〜1930年代にかけてアメリカで最も国民的ヒーローとなったプロレスラーでした。

活躍していた時期は違えど日本の力道山、メキシコのエル・サントと同等位の大衆人気を誇っていたベビーフェイスのスーパースターで、「飛行機投げ」(エアプレーン・スピン)の元祖として知られた歴史上の人物で第一次、第二次世界大戦を跨いでニューヨークのMSGを中心に活躍。

ロンドスのライバルは沖識名以外にはディック・シカット、ハンス・シュタインケ、「動くアルプス」として1955年7月に来日したプリモ・カルネラなど。「ロンドスが負けたら観客が暴動を起こす」とまで言われていた人気者だったそうです。

引用されている東スポは75年9月16日付で、同紙によると8月26日に81歳で亡くなっていると記載がありましたが、実際は数年後に「8月19日に亡くなっているが、家族がマスコミに公表しなかった」ことが判明し、8月19日死亡に統一された、というものです。

※対戦成績は303戦53勝250敗、勝率175。
 
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