第302戦、8月17日発売号●【予想】猪木の隠れ名勝負vsシン・リーガン(73年8月16日新日本プロレス足立区体育館)【正解】そもそも本物なんて存在しなかった急造覆面の悲劇、ザ・デストロイヤーvsブラック・デビル(75年8月16日全日本プロレス世田谷区立総合体育館)
【参考】2017年8月17日発売号はキッド人気が日本に定着した衝撃の一戦!WWFジュニア・ヘビー級&英連邦ジュニア・ヘビー級ダブル・タイトルマッチ、藤波辰巳vsダイナマイト・キッド(79年カナダ・アルバータ州カルガリー・スタンビート・ビクトリア・パビリオン)
この週は盆休み編成で8月17日(木)に発売。
【予想解説】73年新日本プロレス「サマー・ビッグ・ファイト・シリーズ」最終戦、8月16日、足立区体育館大会メインイベントは猪木と新日本プロレス再登場となる「欧州闇の帝王」シン・リーガンのシングルマッチ60分1本勝負。当時の新日本プロレスはNET(テレビ朝日)の放送はついたものの、まだ興行の看板となるタイトルはありません。
リーガンは1936年(生月日不詳)北アイルランド出身、学生時代はレスリング、ラグビー、ボクシングに熱中し兵役を終えた後、教員免許を持っていたところから一度は教職に就くもイギリスに渡りロンドンでプロレス入り。
60年代はダニー・リンチ、ケンドー・ナガサキ(ミスター・ギロチン、桜田一男とは别人)、アルバート・ウォールら地元のイギリス勢をはじめ、ドイツのホースト・ホフマン、スイスのジャック・デ・ラサルテス、ベルギーのイワン・ストロゴフ、南アフリカ共和国のジャン・ウィルキンスなど欧州各国のトップと対戦しキャリアを積みました。
71年3月「第3回IWAワールド・シリーズ」にモンスター・ロシモフ(アンドレ・ザ・ジャイアント)、ビル・ロビンソン、カール・ゴッチらと共に初来日するも公式戦は予選落ち。
72年9月、ゴッチのブッキングでノーテレビ時代の新日本プロレス「ニュー・ゴールデン・シリーズ」に来日し猪木と初対戦、この時が新日本プロレス2度目の参戦となりました。
猪木とリーガンはノーテレビの7月16日、福島県体育館でシングルマッチで対戦、19分32秒、アバラ折り(コブラツイスト)で猪木のギブアップ勝ちで決着はついていますが、このシリーズの参加外国人はロサンゼルスルートから来たロニー・メイン、ターザン・ジャコブス、ジョン・Lサリバン(ジョニー・バリアント)などパワー、ラフファイターが多く、ヨーロッパの正統派キャッチ・アズ・キャッチ・キャンの流れを組むテクニシャンのリーガンが最終戦のテレビマッチのメインイベントで猪木の相手を務めることになりました。
試合はジックリとしたグラウンドの攻防から23分25秒、鮮やかなジャーマン・スープレックスホールドで猪木がフォール勝ち。この試合は映像が残っていない為、リアルタイムで観た人しか目に触れる機会はありませんが、猪木の「隠れ名勝負」として高く評価されています。
この試合の特別レフェリーを務めたのは柔道家であり元プロレスラーで、日本プロレス、新日本プロレスと親密関係にあったロサンゼルスのプロモーター、マイク・ラベールの実兄、ジン・ラベール(2022年8月9日、89歳で死去)
Gラベールは76年6月26日、日本武道館で行われたモハメド・アリvs猪木の「格闘技世界一決定戦」のレフェリーを務めたことはよく知られていますがそれより3年前、73年新日本プロレス「サマー・ビッグ・ファイト・シリーズ」に特別レフェリーとして来日し、巡業について回っています。
【正解解説】本稿の正解は2019年8月17日発売号において1度採り上げられている既出ネタでした。
日本のファンに広く愛され、2019年3月7日に88歳で死去した「白覆面の魔王」ザ・デストロイヤー、日本における功績はあまりに大きいですが、73年3月に全日本プロレスの助っ人として日本側から参戦していた時はやはり「覆面世界一決定戦十番勝負」が印象深いです。
ミル・マスカラス、ザ・トルネード(ディック・マードック)、ジ・アベンジャー(ムース・モロウスキー)、ザ・バラクーダ(マリオ・ミラノ)、カリプス・ハリケーン(サイクロン・ニグロ)、ミスター・レスリング(ティム・ウッズ)と6戦闘い、7戦目にPWF本部が送り込んで来たのが謎の黒覆面ブラック・デビル。
187cm、112kgという全日本プロレスからの公式リリースでしたが、実際に75年5月の「ブラック・パワー・シリーズ」に来日したのは小柄な褐色の肌の男。全日本プロレスからの宣材写真とはかけ離れていました。
デストロイヤーvsBデビルの覆面十番勝負第7戦は5月27日、広島県立体育館で行われ、デストロイヤーが2ー1で勝ち、勝ったデストロイヤーは試合後にBデビルのマスクを剥がしました。正体はマヌエル・ソト。73年4月、新日本プロレスにサイクロン・ソトのリングネームで参戦していますが、これまでの選手と比べると小物。
馬場はBデビルを偽物であるとしてPWF本部に十番勝負第7戦を無効にし、本物のBデビルを呼ぶように要請しました。マスクマンに本物も偽物もあるかと言う話ですが…
無効となった第7戦は「サマー・アクション・シリーズ」に来日したザ・スピリットと行いましたが、スピリットは十番勝負最大の難敵でした。7月9日、大阪府立体育会館では1ー1からの3本目、スピリットが凶器入り頭突きからデストロイヤーをフォール。その際レフェリーの死角を突いてサードロープに足を掛けた状態でカウント3が入りましたが、これは反則。
レフェリーのジョー樋口は判定を覆しスピリットのフォールを無効にしました。試合再開を命じられましたが怒ったスピリットが試合放棄。デストロイヤーはスコアの上では勝ちましたが内容的には完敗でした。
7月25日、日大講堂で再戦が行われ、1ー1からの3本目、デストロイヤーのセコンドにいた鶴田がレフェリーの見てない所でリング下からスピリットの足を引っ張り、すかさずデストロイヤーが背後からスクールボーイ(エビ固め)で丸め込む際どい勝利。スピリットには完勝とはいきませんでしたがそれもそのはず、正体は実力者キラー・カール・コックスでした。
第7戦を3試合闘ったデストロイヤーに対し、次の「第二次サマー・アクション・シリーズ」に「本物」のBデビルが来日。開幕戦の8月16日、世田谷区立総合体育館でデストロイヤーとBデビルが前哨戦で対戦。Bデビルは身長は2mはある巨人マスクマンです。
試合はセミ前に組まれ(30分1本勝負)、Bデビルはデストロイヤーを場外に落とし、場外でネックハンギング。デストロイヤーを吊り上げた状態でコーナーの鉄柱に後頭部を何回も叩きつけました。あっという間に場外カウントが数えられ、僅か40秒で両者リングアウトとなっています。
本番の第8戦は3日後の8月19日、札幌中島スポーツセンターで行われ、Bデビルはキャリアの浅さを露呈。2ー1でデストロイヤーが勝っています。
正体は不明のまま帰国したBデビルでしたが、翌76年8月27日、後楽園ホールで開幕した新日本プロレスの「闘魂シリーズ」に素顔でブラックジャック・モースのリングネームで来日、翌77年4月の「ゴールデン・ファイト・シリーズ」にも再来日しています。
流さんが採り上げたのは本番の第8戦ではなく、40秒で終わった前哨戦の方で、やはり連載が始まって12年も経てばネタも限られて来るのも事実で、既出ネタに頼らざるを得なくなるのはわからなくはないですが、やはり2度採り上げるネタはそれなりに歴史的意義がある試合であるべき。
この40秒で終わった前哨戦が2度採り上げる価値がある試合とは私は思えないです。
※対戦成績は302戦53勝249敗、勝率175。
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