スーパー・デストロイヤーことドン・ジャーデンはザ・スポイラーとして72年下期、キャプテン・ルー・アルバーノをマネージャーに迎えてWWWFに登場。7月29日にニューヨークMSGでペドロ・モラレスのWWWFヘビー級王座に挑戦しましたが、当時のMSGはニューヨーク州アスレチック・コミッションの条例で覆面レスラーの出場が禁止されており、素顔で試合を行いました。
なお、同年12月18日にミル・マスカラスが覆面レスラーとして史上初のMSG登場を果たした際、スポイラーはその対戦相手を務めていますがスポイラー本人はこの時も素顔でした。1973年1月、末期の日本プロレスにスポイラーとして通算5度目の参戦。シリーズ最終戦の1月30日、大阪府立体育会館にて、レッド・デビル(ガイ・ミッチェル)との大型覆面コンビで坂口征二&大木金太郎組のインターナショナル・タッグ王座に挑戦し、2−1で敗れています。
73年下期より、SデストロイヤーのリングネームでノースカロライナのNWAミッドアトランティック地区に登場。以降もSデストロイヤーとスポイラーのリングネームを使い分け、トップクラスのヒールとして南部のNWA傘下団体を中心に全米の主要テリトリーを転戦。
アンドレ・ザ・ジャイアント、ワフー・マクダニエルなどベビーフェイスのトップスターと各地で対戦し、ジャック・ブリスコ、テリー・ファンク、ハーリー・レイスら歴代王者のNWA世界ヘビー級王座にも再三にわたり挑戦しています。ジム・バーネット主宰(オーストラリアのマーケットを売却してジョージアの興行権を買取)のジョージア・チャンピオンシップ・レスリングでは、ベビーフェイスとして人気の高かったミスター・レスリング2号(ラバーメン・ジョニー・ウォーカー)とマスクマン同士の抗争を展開しています。
76年8月、Sデストロイヤーとして全日本プロレスに初参戦。8月28日、日大講堂で、ザ・デストロイヤーの「覆面世界一決定戦十番勝負」最終戦(PWF認定USヘビー級選手権試合)の相手を務めました。1−1からの3本目、ザ・デストロイヤーの足4の字固めにギブアップ負け。この試合は日本で初めて行われた敗者覆面剥ぎマッチでもあり、敗れたSデストロイヤーはマスクを脱いでジャーデンの素顔を晒しましたが、何度も素顔で来日しているので今更な感はありました。
翌77年4月の第5回チャンピオン・カーニバルに再び全日本プロレスに来日、前76年第4回大会のザ・バラクーダ(マリオ・ミラノ)のようなダークホース的活躍が期待されましたが、上位陣には全敗、波乱を起こせず6位に終わりました。
同年後半はAWAにもSデストロイヤー名義で参戦、クラッシャー・リソワスキーやビル・ロビンソンと抗争を展開、アンジェロ・モスカと組んでグレッグ・ガニア&ジム・ブランゼル組のザ・ハイフライヤーズが保持していたAWA世界タッグ王座にも挑戦。
AWA離脱後の78年はスポイラーとしてエディ・グラハム主宰のNWAフロリダ地区のCWF(チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ)に転戦、ボビー・ダンカンをスポイラー2号に変身させてマスクマンタッグチームのザ・スポイラーズを再編しました。同年6月27日にジャック&ジェリーのブリスコ兄弟を破り、NWAフロリダ・タッグ王座を奪取しました。フロリダではキラー・カール・コックスやイワン・コロフらヒール勢と共闘、ダスティ・ローデスと抗争を展開しています。
今回はフロリダルートで初の新日本プロレス参戦、アイアン・シーク同様、藤波、長州、S小林とは初対決となります。
バッドニュース・アレンは2シリーズ連続参戦。前回の来日では、坂口征二のWWF北米ヘビー級王座、マサ齋藤と組んで坂口&長州組の北米タッグ王座に連続挑戦、不調だったロッキー・ジョンソンに代わり、スタン・ハンセンに次ぐヘビー級の2番手外国人のポジションとして活躍しました。
アレンは現在では常識となっている「同じレスラーが連続してシリーズにレギュラー参戦する」(全日本プロレスのアブドーラ・ザ・ブッチャーとはまた別の意味で)先鞭をつけたレスラーと言えそうです。
ベビー・フェイスは前79年2〜4月の創立7周年記念「ビッグ・ファイト・シリーズ」以来1年ぶり2度目の来日。前回はメキシコでのライバル、グラン浜田と抗争を展開、4月5日、東京体育館で行われたUWA世界ジュニア・ライト・ヘビー級王座に挑戦、12分12秒、浜田の高速ウラカン・ラナの前にフォール負け。今回はリベンジを期しての再来日となりました。
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