79年の新日本プロレス年度最終戦は12月13日、プロレス興行では71年11月30日、日本プロレス以来実に8年ぶりの開催となる京都府立体育館(テレビ収録、観衆9,000人超満員発表)大会。
この日は特別興行、「格闘技世界一決定戦」。メインイベントは猪木にカナダの現職警官で空手家のキム・クロケードが挑戦したWWF格闘技世界ヘビー級選手権試合3分10ラウンド。
初来日のクロケードですが、実はカナダ・カルガリーで「カラテ・キッド」のリングネームで活躍していたプロレスラーで、これより約5年前となる76年1月の国際プロレス「新春パイオニア・シリーズ」にクレイジー・セーラー・ホワイト、ウインター・ホークらと共に来日が発表されていましたが交通事故による負傷を理由に来日がキャンセルされ、以後、国際プロレスから声が掛かることはありませんでした。
クロケードをブッキングしてきたのは元日本プロレスのミスター・ヒト(安達勝治)。ヒトはカルガリーのスチュ・ハート主宰の「スタンビート・レスリング」で試合をする傍ら、スチュに気に入られてコーチとしての仕事をしていました。
後に定説となる「ヒトが連れてくる外国人はしょっぱくて使い物にならない」のハシリがこのクロケードと言っていいでしょう。レフェリーは京都日本正武館館長、鈴木正文が務めました。
黒の空手着上下を着用したクロケード。試合はクロケードのパンチ、キックどれも中途半端で甘く、1ラウンドで猪木は早くもクロケードの力量を見切った感じ。
3ラウンド58秒、猪木が延髄斬りからのギロチンドロップでKO勝ちしています。延髄斬りを喰らってダウンした時の受け身はやはりプロレスラーでした。
相手が弱く、この年最後の異種格闘技戦は面白い試合にはなりませんでしたが、猪木は翌80年2月、映画「地上最強のカラテ」で知られた「熊殺し」極真空手のウィリー・ウイリアムスとの対戦が決まっています。
セミファイナルは藤波辰巳のWWFジュニア・ヘビー級王座に木村健吾が挑戦した同門同士のタイトル戦61分1本勝負。
約1年間に及ぶアメリカ、メキシコでの海外武者修行で、アメリカではアメリカス・タッグ王座、メキシコではNWA世界ライト・ヘビー級王座を獲得、実績を残して6月7日、蔵前国技館での「第2回MMSGシリーズ」最終戦に凱旋帰国した木村健。
7月6日、四日市市体育館でストロング小林と組んで、坂口征二&長州力組の持つ北米タッグ王座に挑み2−1で敗退、以後、地方大会でも先輩である星野勘太郎、木戸修にシングルでフォール負けするなどスランプに陥った状態が続きました。
木村健にはようやく巡って来たチャンス、藤波の黒いタイツに対し木村健はヤングライオン時代を謂わせる白タイツを着用。試合開始のゴングと同時に勢いよくダッシュ、藤波にバックドロップ3連発の奇襲攻撃。
これをクリアした藤波はグラウンドの攻防でペースを戻すとロープに押し込み離れ際に張り手を浴びせると、木村健は猪木ばりのリバース・インディアン・デスロックからの足殺し、藤波も弓矢固め(ボーアンドアロー・バックブリーカー)と共に師匠・猪木ので反撃していきます。
助走なしのドロップキックは相討ち。コーナーポスト最上段へ昇った藤波を木村健はデッドリードライブで叩きつけ、腰を強打したダメージ回復の為、場外へ逃れた藤波にトペにいくと見せかけて資金距離からのプランチャ。
両者リング中央、藤波はバックドロップ、サイドスープレックス、場外にエスケープする木村健にドラゴンロケット一閃、リング下で両者ダウン。
木村健も譲らず場外でのバックドロップ、リングに戻るとダブルアーム・スープレックス、ペンデュラム・バックブリーカー。トドメとばかり木村健は卍固めにいきましたが首のフックが甘くコブラツイストへ移行しました。
藤波は必死にロープエスケープ、藤波はバックに回ってのジャーマンスープレックス、最後は15分55秒、ドリルアホール・パイルドライバーからの体固めでカウント3を奪い、3度目のタイトル防衛。
防衛に成功した藤波は12月17日、ニューヨークMSGでビクター・リベラの実弟であるジョニー・リベラ(77年2月に全日本プロレスに1度だけ来日)と防衛戦を行うことが正式発表されました。
坂口とウィリエム・ルスカによる柔道ジャケットマッチ、4分5ラウンドは両者決め手に欠けて時間切れ引き分けとなりました。
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