79年新日本プロレス秋の陣「ブラディ・ファイト・シリーズ」は8月28日、三重県松阪市総合体育館で開幕。73年から続いて使用されていた「ゴールデン・ファイト・シリーズ」(73〜77年までは4月後半〜6月頃開催、前78年は8〜9月に開催)の名称が使われなくなり、ブラディ(血まみれの意)がタイトルにつけられました。
ブラディ・ファイトの名に相応しく、タイガー・ジェット・シンがエース格。マスクド・スーパースター、ジェリー・ブラウン&バディ・ロバーツ組のハリウッド・ブロンドス、ガマ・シン、ジョー・ロッシーの外国人メンバーが参加。
他に外国人ヒールサイドとしてマサ齋藤が4シリーズ連続参加する他、終盤戦には剛竜馬が特別参加します。
通常ですと、この年の曜日構成でいくと先の「サマー・ファイト・シリーズ」終了が8月2日、猪木、坂口征二、藤波辰巳のロサンゼルス、カルガリー遠征があり、「プロレス夢のオールスター戦」が8月26日に行われた都合上、8月31日の金曜日、宮崎市宮崎短期大学体育館のテレビ生中継から開幕するのが通例ですが、シンがオールスター戦に合わせて来日しており、遊ばせておくのも勿体ないからと、3大会詰め込んだ感じです。
そのあたりはイケイケの新日本プロレスの営業体制が現れています。
「インドの狂虎」シンはオールスター戦より残留、オールスター戦では全日本プロレスのトップヒール外国人アブドーラ・ザ・ブッチャーとタッグを組み、馬場&猪木のBI砲と対戦、猪木の逆さ押さえ込みにクイックでフォールを奪われましたが、超満員の日本武道館の晴れ舞台で恥を掻かされた怨みを猪木にぶつけるべく復讐の炎を燃やしているところです。
「流星仮面」Mスーパースターは前78年3月「ビッグ・ファイト・シリーズ」以来1年5か月ぶりの来日、前回はエース扱いでグレート・マレンコをマネージャーとしヒールファイトを展開、シリーズ最終戦の3月30日、蔵前国技館では猪木のNWFヘビー級王座に挑戦。24分58秒、卍固めで惜敗しましたが、ファン、関係者の評価は確実に上がりました。
今回は坂口のNWF北米ヘビー級王座に照準を合わせての来日となります。海外での2度の防衛(アレン・コージ、シン)がいずれも敗戦による防衛でルールに救われた感のある坂口だけに今度は王座戴冠以来の危機と言えます。
「金髪の爆撃機」Jブラウン&Bロバーツ組のHブロンドスは前78年1〜2月の「新春黄金シリーズ」以来1年半ぶりの来日。
75年8月1日、ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムで猪木&坂口組の北米タッグ王座に挑戦。国際プロレスにも前名の「ブロンド・ボンバーズ」として71年10月、74年1月の2回来日し、時のIWA世界タッグ王者チームだったサンダー杉山&ラッシャー木村組、R木村&グレート草津組にそれぞれ挑戦してベルト獲得は成らなかったことから猪木&坂口組の楽勝防衛と思われました。
ところが内容はブロンドスのワンサイドゲームとなり、ノーコンテストに。タイトルはカリフォルニア州コミッショナー預かりとなり、日本で王座決定戦が行われることに。
しかし、8月20日夜、左膝の強い痛みと40℃近い高熱が猪木を襲い、左膝ウィルス性関節炎(蜂窩織炎)と診断されました。流血や人の汗、唾液などが無数に染み込んでいるリングは雑菌の宝庫であり、傷口からウィルスが入り込んだということでしょう。8月1日のロサンゼルスでの猪木の動きは非常に悪く、既に疲労が蓄積していてウィルスに対する抵抗力がなくなっていた可能性大と私は見ています。
8月22日、高崎市体育館で開幕した「闘魂シリーズ」はブロンドスも参戦しましたが、猪木は新日本プロレス旗揚げ以来の長期欠場。一時は「左足切断か?」という危機に陥りました。
空位となっていた北米タッグ王座決定戦は猪木の代わりにストロング小林が坂口と組んで出場することが決定。
猪木は4週間もの間の欠場を強いられ、9月19日、千葉公園体育館で復帰、力道山ばりの黒のロングタイツを着用して試合に臨み、ジャック・ルージョーとのシングルマッチ45分1本勝負を行い、11分13秒、バックドロップからの体固めでフォール勝ちをしていますが、ブランクは大きく復帰前とは程遠い動きでした。
9月22日、愛知県体育館で行われた北米タッグ王座決定戦、坂口&S小林組とHブロンドスの一戦は1本目は13分49秒、S小林がBロバーツをカナディアン・バックブリーカーでギブアップさせましたが、2本目は4分40秒にBロバーツが、3本目は3分12秒にJブラウンがそれぞれS小林から体固めでフォール奪い、2−1でHブロンドスが北米タッグ王座を強奪してしまいました。S小林は2フォールを奪われ、惨敗を喫した訳です。(この項続く)
ログインしてコメントを確認・投稿する