79年新日本プロレス「サマー・ファイト・シリーズ」総括です。シリーズを通してのエース格外国人だったクレイジー・レロイ・ブラウンは猪木以外には一本負け(フォール、ギブアップによる負け)はなく、坂口征二にもフォールは許しませんでした。
怪物タイプというよりスピードもあり身体能力の高いアスリートという感じで、アクの強さには欠けました。結局、新日本プロレスからはレギュラーで声がかかることはなく、約5年後の84年3月、「ビッグ・ファイト・シリーズ第1弾」に迷彩服のコスチュームを身につけたイスラム系アフリカ人ギミックの「ザンビア・エクスプレス」として、エリージャ・アキムのリングネームで再来日、パートナーはレイ・キャンディの変身であるムハマド・カリムでしたが、2人共ウェイトオーバー気味で動きは悪く、本領発揮には至らず。
長州力らジャパンプロレス勢らが大量離脱した後の翌85年3月、「ビッグ・ファイト・シリーズ弾1弾」にLブラウン名義で3度目の来日を果たしましたが、ポジションは中堅以下で、これが最後の来日。88年9月6日、狭心症による心臓発作で37歳の若さで亡くなりました。
ファイトスタイルは違いましたが「第2のアブドーラ・ザ・ブッチャー」として新日本プロレスでトップを取れるレスラーになれる可能性はあっただけに残念な印象を受けました。
ウィリエム・ルスカはこのシリーズ、ヒールファイトを展開、タイガー・ジェット・シンのコブラクローの出来損ないみたいな相手をロープに飛ばして、大外刈りで倒してから首を絞める窒息絞め(頸動脈絞め)を多用、というよりこれ以外のフィニッシュはやらなかった、と言っていい位のワンパターンぶり。
せっかく柔道金メダリストの実績があるのだから、同じ絞め技でもスリーパー・ホールドの方が説得力があったかと思います。ルスカはアントン・ヘーシンクと違い、善人には見えづらいのでヒールターンは間違いではないですがもうちょっと他にやりようがあったのではないのでしょうか?いずれにしても変なチョーク攻撃みたいな技は観客には伝わりづらかったと思います。
新日本プロレス初登場となったジョージ・スチールはWWFではヒールのトップグループにいましたが新日本では連日あっさりと丸め込まれて負けてばかり、この時で42歳とかなりのロートルにはなっていましたが、84年の「ハルカマニア」時代にビンス・マクマホンと再契約してトップヒールに。
ランディ・サベージの妻女でWWFディーバだったエリザベスとの「美女と野獣」ストーリーは大人気を博しました。結局、日本では試合が大味過ぎて単調に見え、いいポジションは与えられませんでしたが、アメリカでは成功したレスラーです。来日はこれが最後となり、95年にWWFフォール・オブ・フェイマー(殿堂入り)を果たしています。2017年2月16日、79歳で死去。
3度目の来日となったトニー・ロコは来日前の6月15日、ロサンゼルス・オリンピック・オーデトリアムで藤波辰巳のWWFジュニア・ヘビー級王座に初挑戦、13分、ジャパニーズ・レッグロール・クラッチホールド(回転足折り固め)にフォール負けしましたが、内容の濃い一戦で敗れても評価は落ちず、今回のシリーズではメインイベントへの登用も増えました。
スピード感溢れるファイトと旺盛な闘争心で新日本プロレスのファン、関係者から高評価を得ています。
初来日のウルトラマンは開幕戦のテレビ生中継で円谷プロのウルトラマンが激励に現れるなどまさに鳴り物入り。藤波とも2回引き分けており、メインイベントにも何回か起用されて猪木とも6人タッグながら対戦。
新日本プロレスもカネックの敵前逃亡事件を教訓にしたか、メキシカンの扱いを少しづつ理解してきたようです。ウルトラマン自体はキャリアからして仕事が出来ないタイプではなく、扱い次第ではもっと活躍出来るルチャドールなのは間違いなく、次回の来日が期待出来ます。
後半戦特別参加のシン・リーガンは私は73年の来日時は間に合っておらず、この時初めて観ました。印象としてはピークは過ぎたレスラーで、強くて上手いのは確実、藤波はかなりやり辛そうにしていました。71年3月の国際プロレスに来日した時が観たかったです。
テレビ登場は8月10日放送の8月2日、品川プリンスホテル・ゴールドホールでの藤波とのWWFジュニア・ヘビー級選手権試合、8月17日放送の7月27日、堺市金岡体育館での木戸修戦の2回だけで、いずれも試合結果がわかってからの録画中継だっただけに余計記憶に残ってないです。
最終戦特別参加のタイガー・ジェット・シンは交通事故で来日不能になったローラン・ボックの代打参戦。猪木とのNWFヘビー級選手権試合はマサ齋藤を介入させてノーコンテストに持ち込み、次回への再戦の因縁を作りました。
77、78年の2年間は猪木とのシングル戦の対戦成績は分が悪く、マンネリに陥っていた部分もありますが、この79年はタッグマッチ、6人タッグマッチながら猪木から2回フォール(3月8日、水戸市民体育館、3月23日、呉市体育館)を奪い、「狂虎復活」を強く印象づけています。
外国人ヒールサイドとして全戦出場したM齋藤。2〜4月の「ビッグ・ファイト・シリーズ」から国際プロレスへのレンタル参戦を経て、3シリーズ連続、フル参戦となりましたが、今回、狼軍団の相方である上田馬之助不在の中初のヒールサイド出場となりました。
アメリカでの長いヒール経験を活かし、外国人勢をリード、ゲームメーカーとしていい仕事をしました。長州とはタッグマッチでフォールを取ったり取られたり、長州とのバックドロップの応酬は見応え十分。2人共アマレスのオリンピアンだけに対戦して心が通い合う何かが生まれたと思います。
また、今シリーズ、ストロング小林にはシングル戦で2回、逆エビ固めでギブアップ勝ちを奪っており、新日本プロレスの中でも助っ人参戦の時よりポジションは上がりました。
一方で、S小林は北米タッグ王座奪回に失敗、北米タッグ選手権試合は長州と1本ずつ取り合っているからこの試合のスコアの上ではイーブンでしたが、決勝フォールを奪われて負けているので、やはり負の印象をファンに与えてしまったのは否めません。
シングルマッチで、Lブラウン、ルスカ、リーガン、M齋藤、長州に一本負けといいところなしのシリーズに終わりました。星野勘太郎、木戸あたりに丸め込まれてフォール負けするかも知れないと当時はヒヤヒヤさせられました。
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