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2023年08月07日21:09

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ストロング小林さん追悼(467)

79年新日本プロレス「第2回MSGシリーズ」の振り返りに入る前に、「ビッグ・ファイト・シリーズ」が4月5日に閉幕した後、上田馬之助とマサ齋藤が特別参加した4月9日、後楽園ホールで開幕した国際プロレスの東京12チャンネル開局15周年記念「ビッグ・チャレンジ・シリーズ」の模様について書いておかなければと思います。

このシリーズは前半戦に上田とM齋藤、中盤戦に前WWWFヘビー級王者、スーパースター・ビリー・グラハム、終盤戦に初来日のWWU世界ジュニア・ヘビー級王者ミレ・ツルノ、ジョニー・ロンドスのリングネームで新日本プロレスに2度来日したことがあるチャールズ・べレッツが特別参加。

SBグラハムに関しては、新日本プロレスからのブッキングではなかったという説が近年になって有力視されて来ましたが、他のレスラーは新日本プロレスからのブッキングです。  

全日本プロレスとの提携では、こういった外国人、外敵などをブッキングしてもらえることはなかったですが、新日本プロレスは外敵のレンタルにも積極的で、国際プロレスを取り込みにかかって来ました。

上田は76年7月の「ビッグ・サマー・シリーズ」以来2年9か月ぶりの国際プロレス参戦。73年の日本プロレス崩壊後、百田家の仲介で全日本プロレスのリングに上がり、処遇面の不満から馬場反りが合わず3か月ちょっとで飛び出てしまい、アメリカに渡った上田でしたがと日本テレビとも3年契約しており、「年季明け」まで日本の他団体のリングには上がれない。

契約が切れる年の76年の1月に新日本プロレスの猪木、全日本プロレスの馬場、国際プロレスの吉原功の各代表宛に「日本選手権をやろう!」と挑戦状を送りつけた時に真っ先に反応したのが吉原社長でした。

契約切れで晴れて自由の身になった上田は同年5月23日、後楽園ホールで開幕した「ビッグ・チャレンジ・シリーズ」に参戦。前頭部を金髪に染めた「まだら狼」スタイルでヒールファイトを展開、6月11日、古河市立体育館でラッシャー木村を破り団体の看板タイトルであるIWA世界ヘビー級王座を奪取。 

上田の活躍を見ていた新日本プロレスの新間寿マネージャーが上田引き抜きにかかり上田は国際プロレスのベルトを持ちながら新日本プロレスへ移籍交渉を行っていました。上田はIWA世界ヘビー級王者として次期「ビッグ・サマー・シリーズ」に連続参戦。

R木村とのリターンマッチは7月28日、銚子市民体育館で初の日本人同士の金網デスマッチで行われましたが、レフェリーの阿部脩が巻き込まれてダウン、リング下にいたサブレフェリーの前溝隆男が代わりに入ろうと金網のドアを明けた瞬間、上田とR木村が金網の外に出てしまい、両者場外で乱闘。没収試合となり上田のタイトルも没収となりました。

シリーズ最終戦の7月31日、越谷市体育館で上田とR木村の金網デスマッチによる王座決定戦が行われることになりましたが、上田は左腕を三角巾で吊って現れ、「銚子のR木村戦で腕を痛めた。その後も我慢して試合に出ていたら悪化した。よって王座決定戦は出場辞退し、代わりにスーパー・アサシン(ロジャー・スミス)を指名する」と王座決定戦への出場を棄権、R木村は代打のSアサシンを破り王座返り咲きを果たしましたが、上田は5日後の8月5日、新日本プロレスの蔵前国技館に登場。

メインイベントの猪木vsタイガー・ジェット・シンのNWF世界ヘビー級選手権試合(12分43秒、両者リングアウト)終了後、リングに私服で上がり猪木に挑戦状を渡そうとしました。上田の左腕には三角巾はありません。

この8月5日の新日本プロレスの蔵前大会では、上田を元IWA世界ヘビー級王者であるストロング小林が迎撃するというカードが一度発表されましたが上田が「俺は猪木以外とはやらない」とボイコットして直前に中止となりました。さすがに5日前に「タイトル戦に出場出来ない程の怪我」を負った上田が他団体で試合したら怪我の信憑性が薄れてしまいます。

その後度重なる新日本プロレスへの乱入を続け、翌77年1月に新日本プロレスのマットに登場した上田はシンとの凶悪コンビで大活躍、坂口征二&S小林組を破って北米タッグ王座を奪取。「アリ・ショック」と言われ客足が落ちていた新日本プロレスの興行人気は復活しました。

これに黙ってないのが約3年前に上田に勝ち逃げされたR木村。4月20日、富山市体育館で両者のIWA世界ヘビー級選手権試合が実現します。

M齋藤は67年1月の東京プロレス、国際プロレス合同興行の国際旗揚げシリーズ「新春パイオニア・シリーズ」以来12年3か月ぶりの国際プロレス登場。

65年に日本プロレスに入門後、66年に豊登、猪木の東京プロレスに移籍、年内2シリーズ行っただけで東京プロレスは単独興行を出来る資金がなくなり、吉原社長、ヒロ・マツダが設立した国際プロレスの旗揚げシリーズは合同興行で開催、しかし、合同興行は1シリーズのみで頓挫しました。

猪木、柴田勝久らは日本プロレスに復帰、M齋藤は面倒な日本プロレス界のしがらみから逃れる意味もあり、フリーとしてアメリカに新天地をを求めました。その後、72年に明大同期の桜、坂口ルートで猪木の抜けた日本プロレスに助っ人参戦、74年からは新日本プロレスにおよそ年1シリーズベースで参戦していましたが、前78年11月の「プレ日本選手権」でヒールターン、以後は狼軍団の一員として猪木、坂口の敵側に回りました。

今回は4月21日、高岡市民体育館でマイティ井上&アニマル浜口組のIWA世界タッグ王座に上田と組んで挑戦が決定。4月5日、新日本プロレスの東京体育館でマツダと組んで坂口&S小林組を破り新日本プロレスの至宝北米タッグ王座に就いており、フリーレスラーとして国内別団体のタッグタイトルを持つことが出来るか注目されます。(この項続く)
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