78年「ゴング」6月号のストロング小林特集記事の他に、モノクログラビアでは4月4日、ペンシルベニア州フィラデルフィア・スポーツアリーナでのバッファロー・アレンとの柔道ジャケットマッチの他、別ページでS小林が藤波辰巳に敗れ、WWWFジュニア・ヘビー級王座から転落したカルロス・ホセ・エストラーダとシングルマッチで対戦、10分26秒、ブレーンバスターからの体固めでフォール勝ちした試合が掲載されています。
写真では、本文記事同様、フレッド・ブラッシーをマネージャーに付け、74年の同地区での試合同様、田吾作スタイルと言われたニータイツを着用して裸足でファイト、ヒールスタイルでの試合をしています。
前回、前々回に掲載した「ゴング」の記事に関してはツッコミどころも多く、ディテールはかなりの創作部分が入るでしょう。4月4日、フィラデルフィアでの「格闘技世界一決定戦」は5月3日、午後7時30分より90分枠のテレビ朝日「水曜スペシャル」で放送されており、番組のオープニングでは猪木、坂口征二、S小林の3選手が揃ってランニングをしている映像が放送されており、S小林もアレン戦に関してはテレ朝の収録があったせいかニータイツではなく上が柔道着の上着、下は新日本プロレスでいつも履いている赤のショートタイツ、裸足で登場、特段ヒールらしい動きは見せていませんでした。
S小林に一問一答形式で取材している加山浩特派員は顔写真は出てこず、実際には存在しない人物というのが定評になっており、おそらく、竹内宏介編集長が国際電話で行った取材をアレンジして書いている可能性が高いと思います。
しかし、このような記事が誌面を飾ると言うことは全く根拠がない訳ではなく、新日本プロレスではS小林をヒールとして帰国させて、猪木と対決させる、あるいは「嫌い」と回答していた上田馬之助と組ませてマンネリ化していたタイガー・ジェット・シン&上田組の「凶悪コンビ」を仲間割れさせて上田と組ませる、あるいはシンと組ませる。
またこのすぐ後に国際プロレスを離脱する剛竜馬と国際軍団を結成するか、11月に行われる「プレ日本選手権」に狼軍団として参戦させるか、などの「小林再生計画」が新日本プロレスフロントの腹積もりにはあったかと思います。
それではS小林の渡米後の成績を振り返ってみたいと思います。(アレン戦以降)
4月
5日、ペンシルバニア州ハンブルグ(TVテーピング)○フランク・ロドリゲス
5日、(2試合目)ペンシルバニア州ハンブルグ(TVテーピング)○マイク・マデーロ
8日、メリーランド州ボルチモア ●ピーター・メイビア(試合時間9分23秒)
9日、コネチカット州ニューロンドン ●ディノ・ブラボー
10日、ニューヨーク州ユニオンディール・ロングアイランド・ナッソーコロシアム ○エストラーダ(10分26秒)
11日、メーン州オーガスタ ○テッド・アダムス
12日、マサチューセッツ州ローウェル ●ラリー・ズビスコ
13日、バーモント州スプリングフィールド (勝敗不明)John Tzinas(日本語表記不明)
14日、ニューヨーク州ユニオンディール・ロングアイランド・ナッソーコロシアム ○ムース・モンロー
15日、ニューヨーク州ビンガムトン (勝敗不明)フランク・ウィリアムス
16日、コネチカット州ニューヘイブン バトルロイヤル(優勝)アンドレ・ザ・ジャイアント、ブッチャー・バション、ブラボー、ドン・デヌーチ、Fウィリアムス、ヘイスタック・カルホーン、ジョニー・ロッズ、エストラーダ、ズビスコ、ルーク・グラハ厶、メイビア、SDジョーンズ、スパイロス・アリオン、スタン・スタージャック、S小林、ゴールデン・テラー、他不明。
16日、(2試合目)コネチカット州ニューヘイブン ●アンドレ
17日、ニューヨーク州ニューヨークシティ ○Fウィリアムス
19日、ニューハンプシャー州コンコード ●ブラボー
21日、マサチューセッツ州アトルボロ (勝敗不明)ピート・オースチン
22日、ペンシルバニア州フィラデルフィア ●イワン・プトスキー
24日、ニューヨークMSG ○スティーブ・キング(試合時間5分7秒)
25日、ペンシルバニア州フィラデルフィア(TVテーピング)○Pオースチン
25日、(2試合目)ペンシルバニア州フィラデルフィア(TVテーピング)●カルホーン&S小林vs○ミル・マスカラス&ズビスコ
25日、(3試合目)ペンシルバニア州フィラデルフィア(TVテーピング)●S小林&ゴールデン・テラーvs○ブラボー&デヌーチ
26日、ペンシルバニア州ハンブルグ(TVテーピング)●S小林&Bバション&フランク・モレルvs○カルホーン&メイビア&ズビスコ
26日、(2試合目)ペンシルバニア州ハンブルグ(TVテーピング)△メイビア
29日、マサチューセッツ州ローウェル ○スティーブ・キング
何と25日間に23試合に出場、最多で1日3試合出場していますが、ローカルテリトリー時代のアメリカでは基本大規模なビッグマッチはテレビでは放送せずにTVテーピングがありスタジオや小規模会場などで2〜3週位の試合を録り溜めしておき、それをテレビ放送します。
フランク・ロドリゲスはジプシー・ロドリゲスとして78年3月20日、ニューヨークMSGで藤波のWWWFジュニア・ヘビー級王座に挑戦、テッド・アダムスもその1か月前の2月20日に藤波の同王座に挑戦。FロドリゲスもTアダムスも日本で試合が放送されてなければ知る機会もなかったかと。
メイビア、カルホーン、ズビスコは次期「サマー・ファイト・シリーズ」に来日が決定しています。
ブラボー、SDジョーンズはこの時点ではまだ未来日、タッグながらマスカラスとも対戦、ゴールデン・テラーは全身黄色ずくめのマスクマンで全日本プロレスの「エキサイト・シリーズ」にブルーノ・サンマルチノのルートで初来日が発表されましたがWWWFのスケジュール優先でキャンセル。4月24日のMSGでマスカラスとマスカラ・コントラ・マスカラ(敗者覆面剝ぎマッチ)で対戦し敗れ、実力派ジョバーであるピート・ドハティの正体を明かしていますが、その後もGテラーで試合してると言うことはそのままマスクマンとして活躍していたのでしょうか?
日本では馴染みのある名前や未来日の私も知らない無名レスラーも多数います。
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