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2023年03月19日23:51

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週プロ流智美あの日あの時予想2022年総括(19)

第236戦、5月11日発売号●【予想】「ドラゴンブーム」の陰でひっそり行われたジュニアタイトル戦、NWA世界ジュニア・ヘビー級選手権試合、ネルソン・ロイヤルvsアル・マドリル(78年全日本プロレス大阪府立体育会館)【正解】カーニバルに対抗した新しい本場所MSGシリーズ、MSGシリーズ決勝リーグ戦、猪木vsアンドレ・ザ・ジャイアント(78年新日本プロレス福岡九電記念体育館)【参考】2016年5月11日発売号は第3回ワールド・リーグ戦優勝決定戦、坂口征二vsペドロ・モラレス(76年新日本プロレス東京体育館)

78年の同日に行われた興行ですが、新日本プロレスと全日本プロレスに分かれてしまいました。

【予想解説】78年と言えば空前のドラゴンブーム、「炎の飛龍」藤波辰巳が1月23日、ニューヨークMSGでカルロス・ホセ・エストラーダを初公開となるフルネルソンからのスープレックス、ドラゴン・スープレックスで破りWWWFジュニア・ヘビー級王座を獲得。この一戦の模様はテレビ朝日で放送され、一大ブームを巻き起こしました。

藤波は1月27日、ロサンゼルスでマスクド・カナディアン(ロディ・パイパー)、2月20日、MSGでテッド・アダムスを破って2度の防衛に成功した後、2月22日にMSGに藤波の試合を観に行っていた猪木に伴われて凱旋帰国。

3月3日、高崎市体育館で開幕の「ビッグ・ファイト・シリーズ」に凱旋帰国、シリーズ中盤で渡米し3月20日、MSGでジプシー・ロドリゲスを降して3度目の防衛を果たした後とんぼ返りで帰国しシリーズに参戦。「アメリカの団体認定のチャンピオンの責務を果たす」という馬場も猪木も成し得てない快挙を実現しています。

当初日本で初めて行われる予定だった3月30日、蔵前国技館でのWWWFジュニア・ヘビー級選手権試合のカネック戦はカネック敵前逃亡事件で流れましたが、「ビッグ・ファイト・シリーズ」終了後の4月8日、ロサンゼルスでエル・ゴリアスを破り防衛、後述する「MSGシリーズ」4月24日、愛知県体育館でコロソ・コロセッティを2−1で降して国内初、5度目の王座防衛と破竹の勢いで突っ走っていました。

一方の全日本プロレスは「身体の大きなレスラー同士のぶつかり合いこそプロレスの醍醐味」という馬場の信条から、ジュニアというカテゴリーそのものを軽視というか眼中にはありませんでした。

旗揚げ以来、全日本プロレスのリングで行われたジュニアのタイトルマッチはこの時まで2回。

いずれもオクラホマのプロモーター、レロイ・マクガークが管理していたNWA世界ジュニア・ヘビー級選手権試合で、1回目が74年12月5日、日大講堂で王者、ケン・マンテルに鶴田が挑戦した一戦。

「鶴田がジュニア・ヘビー級王座に挑戦」というと驚かれる方もいると思いますが、当時111kgだった鶴田が、NWAのジュニア・ヘビー級のリミットである105Kgまで減量しての挑戦。1−1から両者リングアウトの引き分けでマンテルの防衛。

この時は馬場が鶴田に「ジュニア・ヘビー級のベルトを巻かせたい」というより3日前の12月2日、鹿児島県立体育館でジャック・ブリスコを破り、NWA世界ヘビー級王座を獲得した馬場が、この日のメインで前王者ブリスコを迎え撃っての初防衛戦(PWFヘビー級王座も賭けたダブルタイトル戦)を行う馬場が「NWAの2大タイトルマッチを日本で同時開催した」というプロモーターの実績を誇示したかっただけかと思います。

2度目は正確には全日本プロレスではありませんが75年12月11日、日本武道館での百田家主催、全日本プロレス、国際プロレス、日本プロレス(団体は活動停止しており名前だけ)協力の「力道山13回忌追善興行」だが事実上は全日本プロレスの大会と言っていいでしょう。

マンテルからベルトを奪い11年ぶりに同王座に返り咲いたヒロ・マツダが、創業メンバーの1人であり、入門した頃指導していた国際プロレスのマイティ井上の挑戦を2−1で退け防衛しています。

マツダはアメリカに戻った後、76年3月2日にルイジアナ州シュリーヴポートで宿敵ダニー・ホッジに敗れベルトを失いましたが、ホッジはその13日後の3月15日に交通事故に遭い入院(そのまま引退)、ベルト返上。

同年9月8日、シュリーヴポートで王座決定トーナメントが行われ“アイリッシュ“パット・バレット(未来日)がロイヤルを決勝で破って優勝、新王者となりました。12月2日、ルイジアナ州ニューオリンズでこの年の2月に新日本プロレスに初来日したロン・スターがバレットに勝ち初戴冠、しかしスターは短命王者で4日後の12月6日、オクラホマ州タルサでベテランロイヤルがスターを降して王座獲得しました。

ロイヤルは長期政権となり、1年を超えてベルトを保持。78年4月21日、後楽園ホールで開幕の「エキサイト・シリーズ」に王者として来日、シリーズ最終戦の5月11日、大阪府立体育会館で同じシリーズに来日していたマドリルの挑戦を受けて防衛戦を行っています。マドリルは76年7月に次いで2度目の来日。

試合は派手な空中殺法を駆使するマドリルをロイヤルが上手く受け流しながら30分を超すロングマッチとなり、31分41秒、マドリルのダイビング・ボディアタックをクルッと体(たい)を入れ替えたロイヤルが上になってカウント3が入り、体固めでロイヤルがタイトル防衛に成功しています。

帰国後の6月25日、テキサス州ヒューストンでマドリルはロイヤルを降しNWA世界ジュニア・ヘビー級新王者になっていますが病気の為、返上となり前王者ロイヤルが闘わずして新王者に認定されました。

全日本プロレスで日本人のジュニア・ヘビー級戦士が出現するのはこれより4年後の82年3月7日、ノースカロライナ州シャーロッテ・コロシアムで大仁田厚がチャボ・ゲレロを破り、チャボが新日本プロレスから持ってきたNWAインターナショナル・ジュニア・ヘビー級王座を獲得するまで待たなければなりません。

【正解解説】新日本プロレスとWWWFの提携強化により、74年から4年続けられてきた「ワールド・リーグ戦」に代わり、新しく春の本場所として開催されることになったの「MSGシリーズ」は4月21日、蔵前国技館で開幕。

新日本プロレス版最後のワールド・リーグ戦となった第4回大会(77年3月4日〜31日)は坂口征二がマスクド・スーパースターを破り優勝しましたが、吉田光雄(長州力)の凱旋帰国はありましたが、ジョニー・パワーズが猪木のNWFヘビー級王座挑戦を優先、優勝争いには興味がないと棄権、猪木もこれに応じてシード権を放棄してしまい、11人という小規模リーグ戦になり、盛り上がりに欠けました。

力道山時代から続いた各国の代表が覇を競うプロレス版オリンピックであるワールド・リーグ戦は59年の初回から18年を経て一つの役割を終えたということでしょう。

予選トーナメントからの参加外国人レスラーがバグジー・マグロー(マイティ・ブルータス、ザ・ブルート)、ニコリ・ボルコフ、チーフ・ジェイ・ストロンボー(ジョー・スカルパ)、バロン・シクルナ、トニー・ガレア、コロソ・コロセッティ、マーティン・ジョーンズ、ピート・リーブス、レイ・スチールの9選手に外国人ヒールサイドで上田馬之助が出場。

予選トーナメントはシードで決勝リーグ戦から参加がアンドレ・ザ・ジャイアント。リーグ戦外の参加外国人選手がウィリエム・ルスカ、終盤1週間にはWWWFヘビー級王者ボブ・バックランドが特別参加。

日本側は猪木、坂口、藤波辰巳、長州力、星野勘太郎、木戸修、山本小鉄、永源遙、木村健吾、藤原喜明の10選手。

20選手による予選トーナメントを行い、2回戦までを勝ち抜いた5選手が先ず決勝リーグ戦に進出、1回戦敗退者10選手による敗者復活トーナメント枠があり、3回戦までを行い、3選手が敗者復活ブロックから決勝リーグ戦に進出、これに予選シードのアンドレを加えた9人による決勝リーグ戦が行われることに。

決勝リーグ戦は予選トーナメント2回戦まで勝ち抜いた猪木、藤波、Bマグロー、ボルコフ、ストロンボーの5選手が先ず進出が決定、次いで敗者復活戦を制した坂口、長州、上田の3選手の出場が決定、プラスアンドレの9選手により5月11日、福岡九電記念体育館よりスタート。

得点形式が「ワールド・リーグ戦」とは大幅に変化、○勝ち5点、 ◇反則勝ち、☆リングアウト勝ち4点、□不戦勝5点、△引き分け(時間切れ、時間内とも)2点、●◆★■あらゆる負け、▲無効試合、没収試合0点というもの。

決勝リーグ戦は45分1本勝負で、初戦から優勝候補同士の猪木とアンドレの公式戦が実現、アンドレが猪木を圧倒し、17分24秒、倒れ込むようなアンドレのダイビング・ヘッドバットを喰らった猪木が場外に転げ落ち、そのままリング下でダウン、リングアウト負けを喫し、黒星発進となっています。アンドレは得点4を挙げました。

※対戦戦績は236戦44勝192敗、勝率186。
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