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2023年03月11日22:31

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週プロ流智美あの日あの時予想2022年総括(11)

第228戦、3月16日発売号●【予想】馬場初代PWF世界ヘビー級王者に認定される(73年全日本プロレス東京ヒルトンホテル)【正解】興行のタイトル返上という空前絶後の快挙&暴挙、新日本プロレスがNWFヘビー級王座他を封印(81年新日本プロレス南青山事務所)【参考】2016年3月16日発売号は合計62分7秒の激闘、マイティ井上vs寺西勇(73年国際プロレス町田市体育館)

今回は予想、解説とも70年代、新日本プロレスと全日本プロレスに分かれてからの両団体の看板タイトルの話題となりました。

【予想解説】72年7月29日、日本プロレスから独立宣言をした馬場は「第二次サマー・シリーズ」最終戦の8月18日、宮城・石巻市民グラウンド特設リングで大木金太郎と組んでジート&ベポ(後のニコリ・ボルコフ)のザ・モンゴルズを破って有終の美を飾り、日本プロレスを後にすることになりますが、

「馬場君から辞表を受け取ったのは確かだが、慰留する」と語っていた芳の里日本プロレス社長は8月24日、日本プロレス協会会長である平井義一衆議院議員に調停を依頼しましたが馬場はこれを謝絶。その時に記者より「インターナショナル王座はどうするのか?」という質問が為されました。

馬場は「これは俺のベルト、持って出て行く」と宣言、調停案を馬場に却下されて怒り心頭の芳の里は「インターナショナル王座のベルトは日本プロレスが管理しJWC(日本プロレスリング・コミッショナー)が認定しているベルト、馬場がベルトを持っていくというなら大木の挑戦を受けて勝ってから持って行け」と大木が馬場に挑戦を表明。決戦の舞台として9月6日、田園コロシアム大会が浮上。

しかし、この試合、大木がセメントマッチを仕掛けるという噂が出回りました。翌8月25日から馬場は新団体旗揚げ準備の為に渡米。流さんのコラムによると馬場はロサンゼルスで日本プロレスのブッカーをしていたミスター・モト(チャーリー岩本)、テキサス州アマリロのドリー・ファンク・シニアらにベルトを持ったまま独立出来ないか相談していたとのことです。 

ベルトの帰属は団体側にあり、どうしても馬場がベルトを持って出たければ、日本プロレスの言い値で買取りするしかなく、日本プロレスにインターナショナルのベルトを馬場に売り渡す気はある訳もなく流石の馬場もこの工作は失敗し帰国した9月2日に馬場はあっさりとベルト返上を表明しています。

ただ、本件に関しては芳の里が大木と闘って勝ったら持って行け、と言っているところからガチンコでやって潰してしまえば良かった。全盛期の猪木なら、大木の腕を折る位のことは平気でやったかも知れないです。

私の考えは「退団とベルト返上はセット」というもので、返上するか、大木に負けてベルトを渡して出ていくのが業界のルール、新団体のエースとなる馬場が大木に負けてベルトを置いていくことは考えられず、返上して出ていくより選択肢はなかったということです。

馬場は10月20日、東京ヒルトンホテル(現キャピトル東急ホテル)で行われた全日本プロレス旗揚げレセプションにおいて、力道山家(百田家)が保管していた力道山が巻いていたインターナショナル王座のベルトを復活させ、新たに「世界ヘビー級選手権」として王座争奪十番勝負を行い、相応の成績を収めた場合は王者となると発表、「力道山の正統の後継者は自分である」というアピールでした。

馬場はブルーノ・サンマルチノ(2回)、テリー・ファンク、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ウィルバー・スナイダー(2回)、ドン・レオ・ジョナサン、パット・オコーナー、ボボ・ブラジルと10試合争奪戦を行い、8勝0敗2分の好成績で翌73年2月27日、日大講堂でブラジルを2−1で破った後、力道山ゆかりのインターナショナル王座のベルトを腰に巻いています。

3月16日、午後6時から東京ヒルトンホテルで、翌17日、世田谷区立総合体育館で開幕する「チャンピオン・カーニバル」記念レセプションが行われ、その席上で挨拶に立ったロード・ブレアース氏が新組織、PWF(パシフィック・レスリング・フェデレーション、太平洋沿岸レスリング同盟)設立の報告と初代会長就任を報告.

同時に、世界ヘビー級王座争奪戦を勝ち抜いた馬場が初代PWF世界ヘビー級王者になる事が発表された。力道山の身体のサイズに合わせて作られたインターナショナルのベルトは馬場の胴回りには合わず、新たに同ベルトを模倣した新しい皮製のベルトが新調されています。

【正解解説】前80年12月13日、東京体育館のリング上で新間寿営業本部長の口から発表された「IWGP」構想。

「乱立するプロレスの世界タイトルを一本化し、リアルワールドチャンピオンを決める」と世界を6つのゾーン(アジア、アメリカ、北米、ヨーロッパ、中南米、中近東)に分けて予選を行い、決勝トーナメントをそれぞれ6つの地区で開催、優勝決定戦はニューヨークMSGで行うという壮大なプランでした。

猪木にとっては「日本選手権」、「格闘技世界一決定戦」に次ぐ第3のライフワーク、念願の世界統一に向けて始動し始めました。

流さんのコラムでは81年3月20日付(19日発行)をソースに引用、記事の趣旨は次期4月3日、後楽園ホールで開幕する「WWFビッグ・ファイト・シリーズ第2弾」の情報で、同シリーズでは猪木は4月17日、鹿児島県立体育館でボブ・バックランド、最終戦の4月23日、蔵前国技館でスタン・ハンセンとNWFヘビー級王座防衛戦を行った後、同王座をIWGP参加の為、返上、封印するというもの。(バックランドはスケジュールの都合で来日キャンセルとなり、ハンセンとの2連戦に変更)

坂口征二もこれに追随し、保持していたWWF北米ヘビー級王座、この東スポの発売された翌日の3月20日、福島県会津体育館で行われるタイガー・ジェット・シン&ドン・ムラコ組との防衛戦を最後に長州力と組んで保持していた北米タッグ王座を返上するとしています。

記事を書いているのは当時の猪木番だった永島勝司(後の新日本プロレス取締役部長)ですが、どこにも3月16日という日付はなく、南青山の新日本プロレス事務所で16日に本件が発表されたという事実は書いてありません。このあたりをウヤムヤにして「16日の出来事」にこじつけるのは間違っていると思います。

※対戦成績は228戦41勝187敗、勝率180。
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