第223戦、2月9日発売号●【予想】初来日の「AWAの帝王」バーン・ガニア、グレート草津を破り王座防衛、来日最終戦を飾る(70年国際プロレス盛岡・岩手県営体育館)【正解】猪木と坂口が電撃合体、新日本がテレビ中継をゲット、猪木&坂口征二、新・日本プロレス合併記者会見(73年2月8日、新宿・京王プラザホテル)
本来なら一番予想したかったネタが84年2月9日新日本プロレス「新春黄金シリーズ」最終戦、大阪府立体育会館での猪木&前田日明&藤原喜明組vs長州力&アニマル浜口&谷津嘉章組の前田新日本プロレス所属最後の国内試合(10分52秒、藤原のレフェリーストップ負け。前田はシリーズ終了後のフィリピン遠征に参加)で、2番目がその2年前、82年の同日、同じ府立での猪木とラッシャー木村の3度目のシングルマッチ(浜口、寺西勇の介入により12分21秒、猪木のリングアウト負け)でしたが、近年のソースがもっぱら昔のスポーツ紙なのと、80年代以降は流さんの文章のトーンが明らかに落ちてくるので、どちらもないだろうなと…。
【予想解説】70年2月1日、未だ見ぬ強豪の最有力選手であり、AWA世界ヘビー級王者の「ミネソタの猛虎」、帝王バーン・ガニアが国際プロレスに初来日。ガニアは来日記者会見で田中忠治にチキンウイング・フェイスロックを決めるデモンストレーションを見せました。この後、当時渋谷にあった国際プロレスのオフィスで「新春チャレンジ・シリーズ」から来日していたモンスター・ロシモフと運命的な出会いを果たしました。
ガニアは2月3日の広島県立体育館から参戦、ガニアが参戦する2月9日までは「新春チャレンジ・シリーズ」兼「AWA世界戦シリーズ」として開催されました。ガニアの初来日第1戦は2月5日大阪、2月6日東京と連続してAWA世界ヘビー級王座に挑戦が決定しているストロング小林とのシングルマッチ30分1本勝負で30分時間切れ引き分けとなりました。本番前の予行演習といったところでしょうか?
2月5日、大阪府立体育会館でS小林はガニアのAWA世界ヘビー級王座に初挑戦。1本目は24分10秒、ガニアが裸絞め(スリーパー・ホールド)で先制、2本目は9分51秒、S小林がブレーンバスターからの体固めで返し、決勝の3本目は6分41秒、ガニアのバックドロップで両者後頭部を打っての共倒れとなり、両者カウントアウトで1−1の引き分けに終わりました。
翌2月6日、東京体育館では前日の再戦、ガニアのAWA世界ヘビー級王座に小林が再挑戦。1本目は22分18秒、ガニアが裸絞め(スリーパー・ホールド)でまたも先取、2本目は9分13秒、小林がアトミック・ドロップから逆エビ固めで絞め上げ、強豪ガニアがギブアップ。決勝の3本目、勝機を急いだ小林がボディスラムを連発、小林がボディスラムでガニアを投げようとして上体を前屈みにしたところをガニアは首固め。4分20秒、カウント3が入り2−1でガニアが2フォール奪っての防衛を果たしました。
2月7日は銚子市民体育館でガニアは2月9日、盛岡で王座挑戦を受けるグレート草津とノンタイトルのシングルマッチ45分3本勝負で対戦、1本目は15分57秒、ガニアが裸絞め(スリーパー・ホールド)で先制。2本目は4分7秒、草津がエビ固め、決勝の3本目は7分54秒、再びガニアの裸絞めがガッチリと決まり草津は脱出出来ずギブアップ負け。前哨戦は2−1でガニアが完勝してしまいました。
前哨戦で完敗してしまったら、挑戦資格なしと思われても仕方ないですが、このあたりは国際プロレスの日本側の力量不足が如実に出てしまっています。
2月8日、栃木・宇都宮スポーツセンター、メインイベントはガニアと杉山のノンタイトル時間無制限1本勝負。この試合はタイトルマッチにしてもおかしくないカードで、自身も48年ロンドン五輪アマレスアメリカ代表となり、オリンピアン大好きだったガニアは同じオリンピアンの杉山のことは高く買っていたと思います。試合は16分51秒、ガニアのリングアウト勝ちとなりました。(タイトルマッチだったと記載している文献もあり)
ガニアが参戦する「AWA世界戦シリーズ」最終戦は2月9日、盛岡・岩手県営体育館。メインイベントではガニアのAWA世界ヘビー級王座に草津が挑戦、2日前の銚子でのノンタイトル戦ではガニアに完敗を喫している草津だけに、本番では一矢報いたいところでしたが…。
1本目は7分37秒、ガニアが裸絞め(スリーパー・ホールド)で先制、2本目は16分13秒、両者リングアウトに終わり、2−1でガニアがタイトル防衛に成功、初来日最終戦を勝利で飾り帰国しています。
結果的にはS小林、杉山、草津共にガニアが手加減したにも関わらず、歯が立たなかったということが言えます。
【正解解説】猪木、馬場が相次いで抜けて窮地に陥った日本プロレスと旗揚げ以来ノーテレビで苦しい闘いを強いられた猪木の新日本プロレス。72年の暮れ、「ワールドプロレスリング」の視聴率低下を受けてNETの三浦甲子二専務は日本プロレスの坂口征二と猪木に「もう、お前たち、一緒にやれ!」と、日本プロレスと新日本プロレスの合併案を持ちかけ、猪木と坂口は銀座のステーキ、すき焼きの「らん月」で会談。三浦専務は芳の里日本プロレス社長にも、新日本プロレスと合併するように説得。
これにより2月8日、新宿・京王プラザホテルで猪木と坂口が出席して記者会見を行い、猪木の新日本プロレスを発展的解消とし、猪木を社長、坂口を副社長とする「新・日本プロレス」の発足を発表、芳の里社長は勇退ということになりました。
しかし、2月16日、「ダイナミック・ビック・シリーズ」開幕戦の後楽園ホールで、シリーズオフに韓国に帰っていた大木金太郎が「合併の話は聞かされていなかった。育ててくれた日プロを売るような真似は出来ない」とこれに反対、1年ちょっと前に日本プロレスを除名・追放処分となった猪木と一緒にやるのは抵抗がある人間も日本プロレス内には多く、大木の反対により「新・日本プロレス」計画は頓挫しました。
※対戦成績は223戦41勝182敗、勝率184。
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