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2023年02月22日22:42

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週プロ流智美あの日あの時予想2021年総括(45)

第211戦、11月10日発売号●【予想】大木金太郎がヘッドギア特訓(76年渋谷センタースポーツジム)【正解】猪木がドイツの伝説ボクサー相手に敵地で辛勝、vsカール・ミルデンバーガー(78年西ドイツ・フランクフルト・フェストホール)

【予想解説】11月10日、という日は昭和の時代は出来事が少ない日に該当します。日本プロレス、国際プロレス2団体時代はちょうど秋のシリーズが終わり、年末シリーズが開幕するまでのオフ期か国際プロレスは年末シリーズが開幕しているが目立ったトピックスはなし。

72年以降の新日本プロレス、全日本プロレス、国際プロレスの3団体併存時代は新日本プロレスが73〜77年が「闘魂シリーズ第2弾」、79年が「闘魂シリーズ」の開催時期となりますが大きな出来事はなく、80年以降は年末にタッグ・リーグ戦を開催するためにオフになりました。

国際プロレスも動きは日本プロレスとの2団体時代とは不変で年末シリーズの序盤戦になりますがやはり話題になる出来事は殆どないです。

全日本プロレスに至っては旗揚げ以来、この日に興行を打ったのは88年まで一度もなく、ちょうど「ジャイアント・シリーズ」と「世界最強タッグ決定リーグ戦」の狭間になり、リング外での話題を自体があまりない団体だけに、予想もし辛い時期でもあります

流さんの連載が開始してから曜日が一回りして二巡目に入ったあたりからソースが「月刊プロレス」から「東京スポーツ」などスポーツ紙に移行してきているのは何回か書いていますが、私が東スポを宅配で取るようになり、それをスクラップブックにし始めたのが75年6月からで、当時は毎日取っていなかったので欠落もあり、年間を通して保存しているのは76年からになります。

今回は実験的に76年11月12日付(11日発行)の東スポに「大木、ヘッドギア特訓」の記事を見つけました。

この年の8月31日深夜、ソウル市内でタクシーに乗っていて交通事故に遭い、頭部に裂傷を負った大木ですが即入院の重傷でした。まだ回復が十分でなかった大木は9月24日、大宮スケートセンターで開幕の全日本プロレス「ジャイアント・シリーズ」に参加。

開幕戦の大宮大会ではワルドー・フォン・エリックとアジア・ヘビー級王座防衛戦を行いましたが、頭突きを打っては自分がダメージを受ける展開、1−1からノーコンテストとなり、タイトルはPWF本部預りに。

翌週の10月2日、後楽園ホールでのテレビ収録試合でキム・ドクとの韓国師弟コンビで鶴田&サムソン・クツワダ組を破った時は少し復調していました。

10月9日、大阪・高石市臨海スポーツセンターでのアブドーラ・ザ・ブッチャーとの「頭突き世界一決定戦」は来日前に入院していた為か無類のタフネスを誇るブッチャーに対し明らかにスタミナ切れで劣勢に廻り、ドクが乱入「してくれて」辛うじて反則負けで体面を保ちました。

後半戦になるにつれ回復、10月21日、福島市体育館でWVエリックと空位となっていたアジア・ヘビー級王座決定戦に勝ち王座に返り咲くとシリーズ最終戦10月28日、蔵前国技館での馬場&鶴田組のインターナショナル・タッグ王座にドクとのコンビで挑戦、1−1から反則勝ちでPWFルールにてベルト移動、新王者となりました。

大木が同王座に就いたのは日本プロレス末期の73年4月以来3年半ぶりで、これで馬場に次いでインターナショナルのシングルとタッグの二冠王者になったことになる訳です。

王者チームとなった大木&ドク組は次期「スーパー・パワー・シリーズ」最終戦、12月9日、日大講堂で馬場&鶴田組のリターンマッチを受けることになりました。シリーズへの参加は11月27日、伊勢市三重県営体育館からの特別参加だった大木ですが、頭部に負傷を抱えていた大木は早々と来日。

11月10日、旧日本プロレスの事務所に近かった渋谷のセンタースポーツジムに単身現れ、頭部を保護する為にヘッドギアを装置してヘッドバットの猛特訓しています。

結局、石頭を売りにしているプライドがあったか、ヘッドギアは試合では使われず、先のシリーズで頭部にグルグル巻きにしていた包帯も取っており、「昭和のプロレスラー」の意地を見せつけていました。

【正解解説】海外での出来事の日付を現地時間とするか日本時間とするか、という話ですがプロレスマスコミでは通例としては現地時間を採用するのが一般的です。私も子供の頃からそういう認識でおりました。

「あの日あの時」ではテリー・ファンクがジャック・ブリスコを破りNWA世界ヘビー級王者になったこと(現地時間75年12月10日を11日の出来事として採り上げ)、猪木vsタイガー・ジェット・シンのパキスタン・カラチ決戦(現地時間79年6月18日を19日の出来事として採り上げ)など日本時間を基準に「その日の出来事」として採り上げられ来たことが何回かあり、今回も同様で、私的には猪木vsミルデンバーガーは「11月9日」の出来事という認識です。

ローラン・ボックがプロモーターとなった「欧州世界選手権シリーズ」の中で、猪木が唯一、ヘビー級の元世界ランカーのプロボクサーと対戦した「格闘技世界一決定戦」シリーズに組み込まれているのがこのミルデンバーガー戦。

1937年11月23日ドイツ・カイザースラウンテン出身のミルデンバーガーは猪木戦の時点で40歳、直ぐその後41歳になっており既に引退していた身。

ミルデンバーガーがプロボクサーとして活躍していたのは60年代で、64年10月17日、ベルリンにてイタリアのサント・アモンティを破り、EBU欧州ヘビー級チャンピオンとなり6度の防衛に成功。

66年9月10日、フランクフルト・アム・マインでWBA、WBC統一世界ヘビー級王者のカシアス・クレイ時代のモハメド・アリに挑戦。試合は終始クレイが優勢を保って攻勢に出ていましたが、ミルデンバーガーは打たれても打たれても強靭な精神力で耐え続け、グレイの「蝶のように舞う」フットワークが止まると反撃。しかし、ワンサイドで打たれまくったミルデンバーガーの危険を察したレフェリーが、12ラウンドに遂に試合をストップを宣告するという壮絶な試合となった。クレイのTKO勝ちを宣してます。

アリは後年、打たれ強さに関してはミルデンバーガーをジョー・フレージャー以上に困難な対戦相手だったと名前を挙げています。

68年9月18日、ロンドンにてイギリスのヘンリー・クーパーに敗れて欧州ヘビー級王座の7度目の防衛に失敗、この試合を最後に引退しています。

引退してから10年以上経っていたミルデンバーガーですが、スピードはないものの重いパンチで猪木を苦しめ、第3ラウンドにはロープに詰めてボディブローで追い込んだ後、強烈な右フックでダウンを奪いました。猪木はカウント8で立ち上がり、ここで第3ラウンド終了のゴング、ゴングに救われました。

第4ラウンド、猪木が起死回生の廻し蹴り(延髄斬り)がミルデンバーガーの後頭部にヒット、ダウンしたところを一気に逆エビ固めに捉え、1分15秒、猪木がギブアップ勝ちを奪って快勝しています。

※対戦成績は211戦39勝172敗、勝率185。 
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